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一級短文読解(120)
日期:2016-12-06 10:34  点击:1304
 このような眼は日本人にはないのである。僕は一度もこのような眼を日本人に見たことはなかった。その後も特に意識して注意したが、一度も出会ったことがない。つまり、このような憎悪が、日本人にはないのである。「三国志」における憎悪「チャタレイ夫人の恋人」における憎悪、血に飢え入ッ裂きにしてもなおあき足りぬという憎しみは日本人にはほとんどない。昨日の敵は今日の友という甘さが、むしろ日本人に共有の感情だ。およそ仇討ちにふさわしくない自分たちであることを、おそらく多くの日本人が痛感しているに相違いない。長年月にわたって徹底的に憎み通すことすら不可能にちかくせいぜい「食いつきそうな」眼つきぐらが限界なのである。    
伝統とか、国民性とよばれるものにも、時として、このような欺瞞が隠されている。およそ自分の性情にうらはらな習慣や伝統を、あたかも生来の希願のように背負わなければならないのである。だから、昔日本に行われていたことが、昔行われていたために、日本本来のものだということは成り立たない。外国において行われ、日本には行われていなかった習慣が実は日本人にふさわしいこともありえるのだ。模倣ではなく、発見だ。ゲーテがジェクスピアの作品に暗示を受けて自分の傑作をかきあげたように、個性を尊重する芸術においてすら、模倣から発見への過程は最もしばしば行われる。インスピレーションは、多く模倣の精神から出発して、発見によって結実する。    キモノとは何ぞや。洋服との交流が千年ばかり遅かっただけだ。そうして、限られた手法以外に、新たな発見を暗示する別の手法が与えられなかっただけである。日本人の貧弱な体躯が特にキモノを生み出したのではない。日本人にはキモノのみが美しいわけでもない。外国の恰幅のよい男たちの和服姿が、我々よりも立派に見えるにきまっている。 
 
(1)1~4はこの文章の直前にあったと考えられる内容は1~4のうちどれか、最も適切なものを一つ選べ。         
1昔の日本人が長い年月の間憎しみを持ちつづけて仇討ちをした話         
2キモノは日本の伝統であるので、現代の日本人が着物を着ないのは伝統の軽視であるという意見         
3外国人が激しい憎悪を込めた眼月をしたのを見た経験        
4外国人の男たちの立派な姿と個性的な眼つき 
 
(2)筆者の主張を1~4の中から一つ選べ。        
1昔からその国で行われていたことがその国の人々に最も適している。       
2昔からその国で行われていたことがその国の人々に最も適しているとは限らない。        
3昔から行われていたことや、その国で行われていることは尊重すべきである。        
4昔から行われていたことや、その国で行われていることは模倣ではなく発見である 

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