むかしむかし、但馬の国(たじまのくに→兵庫県北部)の高柳というところに、とても大きな柳の木がありました。
その高さは四十間(→約72メートル)、幹のまわりは二丈三尺(→約6.9メートル)という大きさで、五百年も前からそこにあるという事です。
秋になると、この柳の落葉は遠く一里(いちり→約3.9キロメートル)も離れた九鹿村(くろくむら)まで舞い下りて行くのです。
その九鹿村に、おりゅうという美しい娘がいました。
おりゅうは高柳の造り酒屋に女中として奉行(ほうこう)しており、ひまを見つけては柳の木の下で過ごしていました。
それを見た村人たちが、
「おりゅうは、柳の木の嫁さんだ」
と、言うほどです。
また村人たちは、こんな歌も歌いました。
♪夕焼け小焼けの、紅かね(→お化粧)つけて
♪九鹿娘は、どこ行きやる
♪風もないのに、柳がゆれる
♪娘恋しと、夕空に
♪柳の下には、殿ごがお待ち
♪おりゅう、いとしと、抱いてねた
♪娘ぬれてる、柳の露に
♪髪のほつれも、しっぽりと
やがておりゅうは、可愛らしい男の子を生みました。
すると誰もが、
「あの赤ん坊は、柳の木の精の子にちがいない」
と、思ったそうです。
その男の子が五歳になったある日、京都で三十三間堂(さんじゅうさんげんどう)のお堂を建てるため、柳の大木を棟木(むなぎ)にするから切り出す様にとの命令が下りました。
それを知ったおりゅうは、悲しくて毎日泣いてばかりいました。
やがて柳の木に、木こりたちがオノを入れる日がやって来ました。
カンコン、カンコン・・・。
次の日、木こりの棟梁(とうりょう)が柳の木を見ると、昨日オノを入れたはずなのに切り口がふさがっているのです。
「あれ? おかしい? 昨日、オノを入れたはずだが」
棟梁は首をかしげながらも、木こりたちにもう一度オノを入れる様に命じました。
カンコン、カンコン・・・。
木こりたちは昨日よりも深い切り口を入れて、その日は帰りました。
ところが次の日になると、また切り口がふさがっているではありませんか。
「馬鹿な!」
棟梁は、不思議でたまりません。
こんな事が何日も続いたある日、棟梁はこんな夢を見ました。
棟梁のもとへヒョロヒョロとやせたヘクソカズラ (→アカネ科の蔓性多年草)がやって来て、こう言うのです。
「あの柳の木は、木の殿さまです。
だから夜中になると、家来のヒノキや松が集まって切り口におがくずをつめているのです。
そうすると、おがくずは切り口の中で固まって、元のようになるのです。
わたしも殿さまを助けようと、おがくず拾いに来たのですが、ヒノキや松に、
『お前は、木の仲間じゃない。帰れ!』
と、言われましてね。
それがくやしくてくやしくて、だから言いつけに来たのです」
次の日、棟梁は切り口からこぼれたおがくずを、全部燃やして帰りました。
その次の日、切り口はふさがる事なく、そのまま残っていました。
「よし、これで切り倒せるぞ」
棟梁は毎日おがくずを燃やして帰り、ようやく柳の木を切り倒す事が出来たのです。
すると不思議な事に、突然、おりゅうが死んでしまったのです。
さて、やっと柳の木を切り倒したのですが、今度はどうしても柳の木が動きません。
馬に引かせても、力自慢の大人が何十人で引いても、丸太になった柳の木はびくともしないのです。
「せっかく切り倒したのに、これではどうしようもない」
「何か、良い手はないか?」
「そうだ。おりゅうの子に頼もう」
棟梁の命令で、村人たちがおりゅうの子どもを呼びに行きました。
おりゅうの子どもは母親を亡くしてしょんぼりしていましたが、村人たちに頼まれるとすぐに来ました。
そして柳の木をなでながら、こうささやきました。
「ここには、もうお母さんはいないよ。ぼくと一緒に、都へ行こう」
そのとたん、丸太になった柳の木が、ゴロゴロと動き出したのです。
そして柳の木は、おりゅうの子どもと一緒に京都まで行って、三十三間堂の棟木になりました。