むかしむかし、盛高寺(せいこうじ)という寺に、とても字の上手な和尚(おしょう)さんがいました。
ある日の事、この寺にテングがやってきて、
「すまぬが、しばらく和尚の手を貸していただきたい」
と、言ったのです。
和尚さんはびっくりして、テングに断りました。
「テングどのに手を引き抜かれては、何も出来なくなってしまう。そればかりはかんべんしていただきたい」
するとテングは、大笑いして言いました。、
「いやいや。何も手を引き抜いて持っていこうというのではない。和尚の字を書く力を貸してほしいだけだ。和尚はただ一言(ひとこと)、『貸す』と言ってくれればいい」
それを聞いて安心した和尚さんは、テングに言いました。
「それなら安心。手を貸そう」
「うむ。では拝借(はいしゃく)する」
テングはていねいに頭をさげると、そのまま寺を出ていきました。
ところがテングの帰ったあと、和尚さんの手は思うように動かなくなってしまいました。
《これでは、手を引き抜かれたのと同じだ》
和尚さんはガッカリして、テングに手を貸したことを後悔(こうかい)しました。
それからひと月ほどして、ようやくテングがやって来たのです。
「和尚、不自由をかけてすまなかった。この前借りた手を、返しにきた」
「それはありがたい」
和尚さんが思わず手をあげたら、手は思い通りに動くようになっていました。
「やれやれ、助かった」
和尚さんがためしに字を書いてみると、何と前よりもすばらしい字がすらすらと書けたのです。
和尚さんはすっかり喜んで、テングにお礼を言いました。
「テングどのに手を貸したおかげで、書の腕が一段とあがったようだ。ありがとう」
「いやいや、こちらこそ助かった。
和尚の手は評判(ひょうばん)通り、大したものだった。
その見事な筆には、仲間たちも驚いていたぞ。
そうそう、お礼のしるしに火よけの銅印(どういん→銅製の印かん)を一つ置いていく」
テングは和尚さんに銅印を渡すと、いつの間にか姿を消していました。
さて、それからも和尚さんの書の腕前はますますあがっていき、和尚さんに書いてもらった字を家に張っておくと、その家では火事が起きないと評判になりました。
そして和尚さんの書いた掛け軸は、『名僧(めいそう)の書』と呼ばれました。