食後のコーヒーを飲むふりをしながら、誠は腕時計を見た。九時を少し過ぎていた。
七時から始まった高宮家と唐沢家の会食は、殆ど頼子のおしゃべりで終始した。雪穂の養母である唐沢礼子も、寛容そうな笑みをたたえたまま、聞き役に徹してくれていた。知性に裏打ちされた本物の上品さを備えた女性だった。この人のことも、明日には裏切ることになるかもしれなしいと思うと、誠は心苦しかった。
レストランを出たのは九時十五分頃だった。ここで頼子が予想通りの提案をした。まだ時間が早いから、バーにでも行かないかというのだった。
「バーはきっと混んでるよ。一階のラウンジに行こう。あそこなら、酒だって飲めるし」
誠の意見に、まず唐沢礼子が同意した。彼女はアルコールが飲めないらしい。
エレベータで一階に下り、ラウンジに向かった。誠は時計を見た。九時二十分を過ぎていた。
四人でラウンジに入ろうとした時だ。「高宮」と背後から声がした。誠が振り返ると、篠塚が近づいてくるところだった。
「やあ」誠は驚いたふりをした。
「遅かったじゃないか。計画中止かと思ったぜ」篠塚は小声でいった。
「食事が長引いたんだ。でも、来てくれて助かった」
さらに一言二言話す格好をした後で、誠は雪穂たちのところへ戻った。
「この近くで永明大出身の連中が集まっているらしい。ちょっと顔を出してくるよ」
「何もこんな時に行かなくても」頼子が露骨に嫌な顔をした。
「いいじゃないですか。友人同士のお付き合いは大事ですものね」唐沢礼子がいった。
すみません、と誠は彼女に向かって頭を下げた。
「なるべく早く帰ってね」雪穂が彼の目を見ていった。
うん、と誠は頷いた。
ラウンジを出ると、誠は篠塚と共にホテルを飛び出した。ありがたいことに、篠塚は愛車のポルシェで来ていた。
「スピード違反で捕まったら、罰金は払ってくれよな」そういうなり篠塚は車を発進させた。
パークサイドホテルは品川駅から徒歩で約五分のところにある。十時少し前には、誠はホテルの正面玄関で、篠塚のポルシェから降り立っていた。
彼は真っ直ぐフロントへ行き、三沢千都留という女性が宿泊しているはずだがといった。髪を奇麗に刈ったホテルマンは、丁寧な口調でこういった。
「三沢様には、たしかに御予約いただいておりますが、まだチェックインされておりませんね」
到着予定時刻は九時になっていると、そのホテルマンはいった。
誠は礼をいい、フロントから離れた。ロビー内を見渡してから、近くのソファに腰を下ろした。フロントがよく見える位置だ。
間もなく彼女が現れる――そのことを想像しただけで、心臓の鼓動が速くなった。