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白夜行8-7
日期:2017-01-17 10:01  点击:367
 一月三日の朝刊に、『スーパーマリオ――』の海賊版ソフトが大量に見つかったという記事が出た。見つかった場所は、あるブローカーの自宅の駐車場だ。そのブローカーは、ファミコンソフトの古物商も営んでいるということだった。
 友彦が記事を読んだかぎりでは、そのブローカーが松浦であることは間違いなさそうだった。そして松浦は、行方をくらましているらしかった。海賊版ソフトを作った犯人や流通ルートについては、暴力団が関わっている可能性が高いということ以外、警察は掴んではいないようだった。無論、桐原の名前も全く出てこなかった。
 友彦はすぐ桐原に電話をしてみたが、呼び出し音が鳴るだけで誰も出なかった。
 一月五日、予定通りに『MUGEN』は店を開けた。だが桐原は現れず、友彦は弘恵と二人で仕入れや販売をこなした。まだ冬休みということもあり、中学生や高校生の客が多かった。
 仕事の合間に友彦は桐原に何度も電話をかけた。だが向こうの受話器が取り上げられることはなかった。
「桐原さん。何かあったんやろか」客がいない時、弘恵も不安そうにいった。
「あいつのことやから心配する必要はないと思うけど、帰りに寄ってみるわ」
「そうやね、そのほうがええね」
 弘恵は、いつも桐原が座っていた椅子に目を向けた。その椅子の背もたれにはマフラーがかけてあった。大晦日の夜、桐原が首に巻いていたマフラーだ。
 そしてその椅子の少し上の壁には、小さな額がかけてあった。これは弘恵が持ってきてかけたものだ。額に入れられているのは、あの夜桐原が見事な鋏さばきで作った少年と少女の切り絵だった。
 友彦はふと思いついて、桐原が使っていた机の引き出しを開けた。例の鋏を入れた箱が消えていた。
 この時友彦はある予感を抱いた。桐原はもう自分の前には現れないのではないか、というものだった。
 この日仕事が終わると、友彦は桐原の部屋に寄ってみた。しかしチャイムを鳴らしても、ドアの向こうで人の動く気配はなかった。外に出て窓を見上げてみたが、明かりは消えていた。
 翌日も、そのまた次の日も桐原は店に来なかった。やがて桐原の電話は解約の期限が来たらしく不通になった。友彦は彼のマンションに行ってみた。すると見知らぬ男たちが彼の部屋から家具や電化製品を運び出しているところだった。
「何をしてるんですか」リーダーらしき男に訊いた。
「何してるて……部屋の片づけです。ここに住んでた人から頼まれましてね」
「おたくらは?」
「便利屋ですけど」相手の男は怪訝そうに友彦を見た。
「桐原は引っ越したんですか」
「そういうことでしょうね。部屋を引き払うわけやから」
「引っ越し先はどこですか」
「さあ、それは聞いてません」
「聞いてないって……この荷物を運ぶんでしょ?」
「これは全部処分するようにいわれてます」
「処分? 何もかも?」
「そうです。代金も前金で貰ってます。すんません。こっちは仕事中なんですわ」そういうと男は他の者たちに指示を与え始めた。
 友彦は一歩下がり、桐原の荷物が次々に運び出される様子を眺めた。
 そのことを聞くと、弘恵は困惑と狼狽《ろうばい》を見せた。
「そんなあ……なんで急にそんなことを」
「あいつにはあいつの考えがあるんやろ。とにかく今は俺らだけで、何とか店を支えていくしかない」
「いずれ桐原さんから連絡があるやろか」
「あるに決まってる。それまでは二人でがんばろ」
 友彦の言葉に弘恵は心細そうな顔をしながらも頷いた。
 店を開けて五日目の午後、店に一人の男が現れた。古いヘリンボーンのコートを羽織った五十歳前後の男だった。その年代のわりに背が高く、肩幅も広かった。分厚い一重瞼の目は、鋭さと柔らかさの両方を備えていた。
 パソコンの客ではない、と友彦はすぐに思った。
「おたくがここの責任者?」男は尋ねてきた。
 はあ、と友彦は答えた。
「ふうん、お若いね。桐原君と同い年ぐらい……かな」
 桐原の名を出され、友彦はつい目を見開いた。その反応に男は満足したようだ。
「ちょっとええかな、話を訊きたいんやけど」
「お客さんは……」
 すると男は顔の前で手を振った。
「客やない。こういう者ですわ」男は上着の内側から手帳を取り出した。
 友彦がそれを見るのは初めてではなかった。高校二年の時、一度刑事の訪問を受けたことがある。あの時の刑事たちと同じ種類の臭いを、目の前にいる男も発していた。
 弘恵が出かけている時でよかったと思った。
「桐原のことで何か?」
「はあ、ちょっとね。ここ、座らせてもらってもええかな」男は友彦の正面に置いてあったパイプ椅子を指した。
「どうぞ」
「ほな、失礼して」男は椅子に腰を下ろし、背もたれに体重を預けた。その格好で店内を見回した。「難しそうなものを売ってはるなあ。こういうの、子供が買《こ》うていくの?」
「大人のお客さんが多いですけど、時々は中学生ぐらいのお客さんもいます」
 ふうん、といって男は首を振った。「えらい世の中になったもんや。もうついていかれへんな」
「用件は何ですか」少しじれて友彦は訊いた。
 刑事はそんな彼の表情を楽しむように薄い笑みを浮かべた。
「この店の本来の経営者は桐原亮司君やろ。彼は今、どこにおる?」
「桐原に何の用ですか」
「まずはこっちの質問に答えてもらいたいなあ」刑事はにやにやした。
「あいつは今……ここにはいません」
「うん、それはわかってる。去年まで借りてたマンションも解約済みで、部屋は蛻《もぬけ》の殻《から》やった。それでおたくに訊きに来たわけや」
 友彦はため息をついた。ごまかしはあまり意味がないようだ。
「じつはそれで僕らも困ってるんです。急に経営者が行方不明になったもんですから」
「警察には届けた?」
 いえ、と友彦は首を振った。
「そのうちに何か連絡があるだろうと思ってたところなんです」
「最後に彼と会うたのは?」
「大晦日です。店じまいまで一緒にいました」
「その後電話で話したことは?」
「ありません」
「仲間のあんたに何もいわんと雲隠れか。そんなことがあるかね」
「だから困ってるというてるやないですか」
「なるほど」男は自分の顎を撫でた。「最後に会《お》うた時、何か変わったことはなかったかな。桐原君の様子に」
「いえ、別に何も気づきませんでした。いつもと同じでした」表情を変えぬよう答えながら、なぜこの男は桐原のことを君付けで呼ぶのだろうと友彦は思った。
 男が上着のポケットに手を入れ、何か出してきた。「この男に見覚えは?」
 それは写真だった。松浦の上半身が写っていた。
 何と答えるべきか、友彦は瞬時に判断しなければならなかった。結局、嘘は少ないほうがいいという結論を彼は下した。
「知ってますよ。松浦さんでしょ。桐原の実家で働いてたとか」
「ここに来たことは?」
「何度かあります」
「どういう用件で?」
「さあ」友彦は首を捻って見せた。「久しぶりに桐原に会いに来た、というふうに聞いてますけど。僕は直接話をしたことは殆どないので、ようわかりません」
「ふうん」
 男はじっと友彦の目を見つめてきた。彼の言葉にどの程度の嘘が含まれているかを見極めようとする目だった。友彦はそらしたくなったが、懸命に耐えた。
「松浦さんが現れてからの桐原君の様子はどうやった? 何か印象に残ってるようなことはないかな」
「特にはありません。懐かしそうに話してましたよ」
「懐かしそうに?」
 男の目が光ったように友彦は感じた。
「はい」
「ほお……」男は興味深そうな顔で頷いた。「二人がどういう話をしてたか覚えてないかな。昔話とかも出たと思うんやけど」
「昔話もしてたみたいですけど、細かい内容は聞いてません。こっちはお客さんの応対で忙しかったし」
 桐原の父親が殺された事件について松浦がしゃべっていたことを、友彦は思い出していた。しかしここではいわないほうがいいと直感的に判断した。
 その時、ドアが開いて高校生ぐらいの男子が入ってきた。いらっしゃいませ、と友彦は声をかけた。
「そうか」男はようやく腰を上げた。「そしたら、また来ますわ」
「あの……桐原が何か?」
 友彦が訊くと、男は一瞬迷った顔をした後でいった。
「何をしたのかは、まだわからん。けど、何かをしたことは間違いない。それで捜してるんですわ」
「何かって……」
「おっ」友彦の言葉を無視し、男は例の切り絵を入れた額に目を向けた。「これ、彼が作ったもんやろ?」
「そうですけど」
「そうか。相変わらず上手《うま》いもんやな。しかも、男の子と女の子が手を繋いでる姿というのがええ」
 なぜこれを作ったのが桐原だとわかったのだろうと友彦は思った。そしてこの男が、単にスーパーマリオの海賊版製作の犯人を追っているわけではないことを確信した。
「邪魔したな」男はドアに向かいかけた。
「あの……」その背中に友彦は声をかけた。「お名前を伺ってもよろしいですか」
「ああ」男は立ち止まり、振り返った。「ササガキ、いうもんです」
「ササガキさん……」
「ではまた」男は部屋を出ていった。
 友彦は額を押さえた。ササガキ……その名前には聞き覚えがあった。たしか松浦が口にしていた。桐原の父親が殺された事件で、しつこくアリバイを調べていた刑事の名前がササガキだった、と。
 彼は後ろを振り向き、桐原が残していった切り絵を見つめた。

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