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白夜行13-4
日期:2017-01-17 11:01  点击:470
 頭の中で誰かが金鎚《かなづち》を叩いている。こーん、こーん、こーん、こーん。
 そしてかすかに笑い声。それを聞いて瞼《まぶた》を開けた。花模様の壁に光の線が一本。遮光カーテンの隙間から、朝の日が漏れているのだ。
 篠塚|美佳《みか》は首を捻《ひね》り、枕元の時計を見る。康晴がロンドンで買ってきてくれた、文字盤に動く人形の仕掛けが施された置き時計だ。セットした時刻になると、音楽に合わせて二人の少年と少女が踊り出すのだ。美佳は午前七時半にセットしていた。針は間もなくその時刻に達しようとしていた。あと一分も待てば、いつものように軽快なメロディが鳴りだすはずだった。しかし彼女は手を伸ばし、アラームを解除した。
 美佳はベッドから降りて、遮光カーテンを開けた。大きな窓とレースのカーテンを通して、太陽の光が溢《あふ》れ込んできた。薄暗かった彼女の部屋は、たちまち明るくなった。壁際に置いてあるドレッサーの鏡の中に、ネグリジェはしわだらけ、髪はぼさぼさの娘が、不機嫌の塊のような顔をして立っていた。
 また、こーん、と音がした。その後で人の声。話は聞き取れない。しかしどんなやりとりかは想像がつく。どうせくだらないことだ。
 美佳は窓際に寄り、まだ十分に青さの残る芝生の庭を見下ろした。思ったとおりだった。康晴と雪穂がゴルフの練習をしていた。というより、康晴が雪穂にゴルフを教えているのだった。
 雪穂がクラブを持って構える。すると康晴が彼女の後ろに重なるように立ち、彼女の手の上からクラブを持つ。まるで二人羽織だ。康晴は雪穂に何か囁《ささや》きながら、彼女の手と共にクラブを動かす。ゆっくりと上げ、ゆっくりと下ろす。康晴の唇は、今にも雪穂の首筋に触れそうだ。いや、きっと時にはわざと触れることもあるに違いない。
 そういったことをひとしきりやった後、ようやく康晴は彼女から離れる。彼の見守る中で、雪穂は実際にボールを打ってみせる。こーん。うまくいく時もあるが、失敗することも多い。雪穂は照れ笑いを浮かべ、康晴は何かアドバイスをする。そしてまた最初と同じだ。おかしな二人羽織から始まる。それが約三十分続くのだ。
 ここ何日間か、毎日のように見られる光景だった。雪穂がゴルフを始めたいといいだしたのか、康晴が誘ったのか、詳しいことは美佳も知らない。しかしどうやら二人は、夫婦で楽しめる共通の趣味を作ろうとしているようだった。
 ママがゴルフを始めようとした時は、あんなに反対したくせに――。
 美佳は窓から離れ、ドレッサーの前に立った。十五歳になったばかりの少女の身体がそこにある。まだ女らしい丸みの少ない、痩せた身体だ。手足だけがやけに細長く、肩の骨が尖《とが》っている。
 そこに雪穂の身体が重なった。美佳は彼女の裸体を一度だけ見たことがある。彼女がいることに気づかず、バスルームのドアを開けてしまったのだ。雪穂は全く何も身に着けていない状態だった。バスタオルさえ持っていなかった。
 美佳が目にしたのは、完璧な女の肉体だった。その輪郭は、まるでコンピュータで計算されつくしたような見事な曲線で成り立っていた。そのくせ轆轤《ろくろ》で作られた花瓶のようなシンプルさも兼ね備えている。豊かな胸は形が崩れておらず、ややピンクがかった白い肌の上に細かい水滴が浮いていた。無駄な肉が全くないというわけではない。だがわずかについた脂肪は、複雑な身体の曲線を滑らかに見せる役目を果たしていた。美佳は息をのんだ。ほんの数秒のことだったが、その造形は彼女の瞼に焼き付いた。
 その時の雪穂の対応も見事なものだった。彼女は少しもうろたえず、爪の先ほどの不快感も示さなかった。
「あら、美佳さん。お風呂に入る?」雪穂は笑顔でこういったのだ。あわてて裸体を隠そうともしなかった。
 取り乱したのは美佳のほうだ。何もいわずに逃げだした。部屋に駆け込み、ベッドにもぐりこんだ。いつまでも心臓が騒いでいた。
 あの時の醜態を思い出し、美佳は顔を歪めた。鏡の中の彼女も同じ表情を作った。彼女はヘアブラシを手に取り、乱れた髪をとかした。髪がもつれてブラシが止まる。力任せにとかそうとすると、髪が何本か切れた。
 その時ノックの音がした。「美佳さん、起きてますか。おはようございます」
 返事をしないでいると、三度目のノックの後でドアが開いた。葛西《かさい》妙子《たえこ》がおそるおそるといった感じで顔を出した。
「なんだ、起きてたんですか」妙子は部屋に入ってくると、美佳が出たばかりのベッドを早速直し始めた。太目の体躯《たいく》、大きな腰を包むエプロン、袖まくりしたセーター、頭の上に団子を載せたような髪形、いずれも一昔前の外国映画に出てくる家政婦そのものだと、彼女がこの家へ来て以来ずっと美佳は思っている。
「もっと寝ていたかったけど、目が覚めちゃったの。外がうるさくて」
「外?」妙子は不思議そうな顔をしてから、ああ、と頷いた。「このところ、旦那さまもすっかり早起きになられましたね」
「馬鹿みたい。こんなに朝早くから」
「お二人ともお忙しいですからね、朝でないとお時間がとれないんでしょうよ。いいことだと思いますよ、運動するのは」
「ママが生きてた時は、パパ、あんなことは絶対にしなかったのに」
「人間というのはね、年をとってくると変わるものなんですよ」
「だから若い女の人と結婚するわけ? ママより十歳も下の人と」
「美佳さん、おとうさまだってまだお若いんだから、一生お一人というわけにはいかないでしょう? 美佳さんはいつかお嫁に行ってしまうし、坊っちゃんもいずれは家を出ていかれるでしょうから」
「妙さんて支離滅裂ね。年をとると変わるといってみたり、まだお若いといってみたり」
 美佳の台詞《せりふ》に、長年彼女をかわいがってきた妙子も少し気分を害したようだ。唇を閉じると、ドアに向かって歩きだした。
「朝御飯が出来てますから、早く下りてきてください。これからは遅刻しそうになっても、もう車で送っていったりはしないとおとうさまはおっしゃってますから」
 ふん、と美佳は鼻を鳴らす。「それもきっとあいつの差し金なんだ」
 妙子は何もいわず、出ていこうとした。それを、「ちょっと待って」といって美佳は呼び止めた。妙子はドアを閉める手を止めた。
「妙さん、あたしの味方だよね」美佳はいった。
 すると妙子は戸惑ったような表情を見せてから、ふふっと笑った。
「私は誰の敵でもありませんよ」そして太った家政婦はドアを閉めた。
 美佳が学校へ行く支度を終えて一階へ下りていくと、ほかの三人はすでにダイニングテーブルについて食事を始めていた。壁を背に康晴と雪穂が並んで座り、手前に美佳の弟の優大《まさひろ》がいる。優大は小学校の五年生だ。
「まだとても自信がないわ。せめてドライバーだけでもきちんと打てるようにならないと、皆さんに迷惑をかけちゃう」
「案ずるより産むが易《やす》しというじゃないか。それに君はせめてドライバーだけでもというが、あれが一番難しいんだぜ。きちんと打てればプロだよ。とにかく、まず一度ラウンドしてみよう。それが第一歩だ」
「そういわれても不安だなあ」雪穂は首を傾げてから、美佳のほうに目を向けた。「あ、おはよう」
 美佳は返事をせず席についた。すると、おはよう、と今度は康晴がいった。非難する目をしている。仕方なく彼女は口の中で小さく、おはよう、と呟いた。
 テーブルの上にはハムエッグとサラダとクロワッサンが、それぞれの皿に盛りつけられていた。
「美佳さん、ちょっと待ってくださいね。今、スープを持っていきますから」キッチンのほうから妙子の声がした。何かほかの用事をしているようだ。
 雪穂がフォークを置いて立ち上がった。
「大丈夫よ、妙さん。あたしがやりますから」「いい。スープなんていらない」そういうと美佳はクロワッサンを掴み、かじった。そして優大の前に置いてあるミルクの入ったグラスを手にすると、ごくりと一口飲んだ。
「あっ、おねえちゃんずるいぞ」
「いいじゃないの、ケチ」
 美佳はフォークを持ち、ハムエッグを食べ始めた。すると目の前にスープが置かれた。雪穂が持ってきてくれたのだ。
「いらないっていったのに」俯《うつむ》いたまま彼女はいった。
「せっかく持ってきてもらったのに、そういう言い方はないだろう」康晴がいった。
 いいのよ、と雪穂が小声で夫をなだめる。気まずい沈黙が食卓に漂った。
 少しもおいしくない、と美佳は思った。大好物だった妙子のハムエッグの味がわからない。おまけに食事が楽しくない。胃袋の上が少し痛くなった。
「ところで君、今夜は何か予定があるの?」康晴がコーヒーを飲みながら雪穂に訊いた。
「今夜? 別にないけれど」
「だったら、四人で食事に出かけないか。じつをいうと知り合いが四谷でイタリアンレストランを開業して、ぜひ一度来てくれといわれているんだ」
「へえ、イタリアンね。いいわね」
「美佳と優大もいいな。見たいテレビがあるなら、ちゃんと録画予約しておけよ」
「やった。じゃあ、あんまりお菓子を食べないようにしようっと」優大はうれしそうにいう。そんな弟をちらりと見てから、「あたし、行かない」と美佳はいった。
 夫妻の視線が同時に彼女に注がれた。
「どうしてだ」と康晴が訊いてきた。「何か用でもあるのか。今日はピアノのレッスンもないし、家庭教師が来る日でもないだろう」
「行きたくないんだから仕方ないじゃない。別にいいでしょ、行かなくたって」
「なぜ行きたくないんだ」
「いいじゃない、何だって」
「何なんだ。いいたいことがあるなら、はっきりいいなさい」
「あなた」雪穂が横からいった。「今夜はやめましょう。よく考えたら、あたしも予定が全然ないわけじゃないし」
 康晴は返す言葉をなくした様子で娘を睨みつけてきた。雪穂が美佳のことを庇《かば》っているのは明白だった。そのことが余計に美佳を苛立《いらだ》たせる。
 フォークを乱暴に置き、彼女は立ち上がった。「あたし、もう出かけるから」
「美佳っ」
 康晴の声を無視し、美佳は鞄《かばん》と上着を持って廊下に出た。玄関で靴を履いていると、雪穂と妙子が出てきた。
「車に気をつけてね。あまり急いじゃだめよ」
 雪穂は床に置いてあった上着を拾い上げ、美佳のほうに差し出した。美佳は無言でそれを奪い取る。袖を通していると雪穂が微笑《ほほえ》みながらいった。「かわいいわね、その紺色のセーター」そして、ねえ、と妙子に同意を求める。
 妙子も、「そうですねえ」と笑って頷いた。
「最近の制服は、いろいろとお洒落ができるからいいわね。あたしたちの頃はワンパターンだったけど」
 わけのわからない怒りがこみあげてきた。美佳は上着を脱いだ。さらに雪穂たちが呆然とする中、ラルフ?ローレンのセーターも脱ぎ捨てた。
「ちょっと美佳さん、何をするんですか」妙子があわてていった。
「いいの。もうこれ、着たくなくなった」
「でも、寒いですよ」
「いいっていってるじゃない」
 騒ぎを聞いてか、康晴が出てきた。「今度は一体何をごねているんだ」
「何でもない。行ってきます」
「あっ、美佳さん、お嬢さん」
 妙子の声に重なるように、「ほっとけ」と康晴の怒鳴る声が聞こえた。その声を背に、美佳は門に向かって走った。玄関から門までの、花や木々に囲まれた長いアプローチが彼女は好きだった。季節の変化を感じるために、わざとゆっくり歩くことさえあった。しかし今はその長さが苦痛だった。
 
 一体何がそんなに嫌なのか、美佳は自分でもよくわからなかった。心の中のもう一人の彼女が冷めた口調で問いかけてくる。あんた、どうかしてるんじゃないの、と。それに対して彼女は答える。わかんないよ、わかんないけど、むかつくんだからしょうがないじゃない――。
 雪穂と初めて会ったのは、今年の春だった。康晴に連れられ、優大と二人で南青山のブティックに行った時のことだ。はっとするような美しい女性が挨拶してきた。それが雪穂だった。康晴は彼女に、子供たちに新しい服を買ってやりたいのだがといった。すると彼女は店の者に命じて、次々と奥から洋服を持ってこさせた。その時になって気づいたことだが、その店にはほかに客はいなかった。完全に貸し切り状態だったのである。
 美佳と優大はまるでファッションモデルにでもなったかのように、鏡の前で次から次へと服を着替えさせられた。優大などは途中で、「僕、もう疲れちゃった」と半べそをかきだした。
 無論、年頃の美佳としては、厳選された最高級品を身に着けられて、楽しくないはずはなかった。ただ、ずっとあることが心に引っかかってはいた。それは、この女の人は何者なのだろう、ということだった。同時に彼女は感づいてもいた。たぶん父親と特別な関係にある人なんだろう、と。
 そして、もしかすると自分たちにとっても特別な存在になるのではないかと思ったのは、美佳のパーティドレスを選んでいる時だった。
「家族でパーティに呼ばれる時もあるでしょう? そういう時でも、この服を着た美佳さんがいれば、きっとほかの家族を圧倒できるわ。親としても鼻が高いわよ」雪穂は康晴にこういったのだ。
 馴れ馴れしい口のききかたをしたことも気にはなった。だがそれ以上に美佳の神経を刺激したのは、この言い方の中に含まれていた二つのニュアンスだった。一つは、そのパーティには当然自分も出席しているはずだというものであり、もう一つは、美佳を自分たちの付属品として見ているというものだった。
 洋服を一通り見た後、どれを買うかという話になった。どれが欲しい、と康晴は尋ねてきた。美佳は迷った。欲しいものばかりで、絞るのが難しかった。
「パパが決めてよ。あたし、どれでもいいから」
 美佳がいうと、難しいなあ、といいながら、康晴は何着かを選んだ。その選び方を見て、パパらしいな、と美佳は思った。お嬢様風の服が多い。露出が少なく、スカートの丈も長い。それは死んだ美佳の母親の好みとも共通していた。彼女は少女趣味の残る女性で、美佳のことも人形のように着飾るのが好きだった。パパはやっぱりママの影響を受けているのだなと思うと、少し嬉しくなった。
 ところが最後に康晴は雪穂に訊いた。こんなところでどうかな、と。
 雪穂は腕組みをして選ばれた服を眺めていたが、「あたしは、美佳さんにはもう少し派手で溌剌《はつらつ》とした感じの服がいいと思うけど」といった。
「そうかなあ。じゃあ、君ならどれを選ぶ?」
 あたしなら、といって雪穂は何着かの洋服を選び出した。大人っぽく、それでいてどこか遊び心のある服が多かった。少女趣味のものは一着もなかった。
「まだ中学生なんだぜ。ちょっと大人っぽすぎないか」
「あなたが思っている以上に大人よ」
「そうかなあ」康晴は頭を掻《か》き、どうする、と美佳に訊いた。
 あたしは任せる、と彼女は答えた。それを聞いて康晴は雪穂に頷きかけた。
「よし、じゃあ全部買おう。似合わなかったら、責任をとってくれよ」
「大丈夫」康晴にそういってから、雪穂は美佳に笑いかけた。「今日からはもう、お人形さんは卒業ね」
 この時美佳は、心の中の何かが土足で踏み潰されたような気がした。彼女を着せ替え人形のようにして楽しんでいた、死んだ母親のことが侮辱されたように思えた。思い起こしてみれば、この時が雪穂に対して悪感情を持った最初の瞬間かもしれない。
 この日以来美佳と優大は、しばしば康晴に連れられ、雪穂と一緒に食事をしたり、ドライブに出かけたりした。雪穂といる時、康晴はいつも異様にはしゃいでいた。美佳の母親が生きていた頃には、たまにレジャーに出かけてもむっつりしていることが多かったが、雪穂の前ではじつに多弁だった。そのくせ何をするにも雪穂の意見を求め、彼女のいいなりになっていた。そんな時美佳には自分の父親が、とんでもない木偶《でく》の坊に見えた。
 七月に入ったある日、康晴からついに重大な報告を聞かされた。それは相談でもなく、打診でもなく、報告だった。唐沢雪穂さんと結婚するつもりだ、という話だった。
 優大はぼんやりしていた。さほど嬉しそうでもなかったが、雪穂が新しい母親になるということにも抵抗がないようだった。彼にはまだ自分の考えというものがないのだ、と美佳は思った。それに前の母親が死んだ時、彼はまだ四歳だった。
 美佳は、あたしはあまり嬉しくない、と正直にいった。自分にとっては七年前に亡くなった母親だけが、唯一人のママなんだ、とも。
「それはそれでいいんだ」と康晴はいった。「死んだママのことを忘れろといってるんじゃない。この家に、新しい人がやってくるだけだ。新しい家族が増えるだけのことだ」
 美佳は黙っていた。俯いて、あの人は家族じゃない、と心の中で叫んでいた。
 しかし転がり始めた石を止めることはできなかった。何もかもが美佳の望まない方向に進みだした。康晴は新しい妻を迎えられるということで浮き浮きしていた。そんな父親を彼女は心の底から軽蔑した。彼をこんな凡人に落としたと思うと、余計に雪穂のことが許せなかった。
 雪穂の何が気に入らないのかと問われると、美佳は困ってしまう。結局のところ、直感としかいいようがなかった。雪穂の美しさは認めるし、頭の良さにも敬服する。あの若さで店をいくつも経営するのだから、才能にも恵まれているのだろう。だが雪穂と一緒にいると、美佳は次第に自分の身体が強張《こわば》ってくるのを感じる。決して隙を見せてはならないと、心の中の何かが警告を発し続けるのだ。あの女性が発するオーラには、これまで美佳たちが生きていた世界には存在しない、異質な光が含まれているような気がする。そしてその異質な光は、決して美佳たちに幸福をもたらさないように思えるのだった。
 だがもしかするとこの思いは、美佳が独自に作り上げたものではないのかもしれなかった。ある人物の影響を受けている可能性が、間違いなく何パーセントかはある。
 その人物とは篠塚一成だった。
 康晴が雪穂との結婚を身内に表明して以来、一成は頻繁に訪れるようになった。彼は多くの親戚の中でただ一人、きっぱりと結婚には反対だといっていた。応接室で二人が話すのを、美佳は何度か盗み聞きしたことがある。
「康晴さんは彼女の本当の姿を知らないんだよ。少なくとも彼女は家庭におさまって、家族の幸せを第一に考えるというタイプじゃない。お願いだから、考え直してくれないか」一成は懸命の口調でいった。
 だが康晴は、もううんざりだという態度をとるだけで、従弟《いとこ》の話を真剣に聞こうとはしなかった。次第に康晴は一成のことを疎《うと》ましく思うようになったようだ。居留計を使って追い返したのを、美佳は何度か目撃していた。
 そしてそれから三か月後、康晴と雪穂は結婚した。さほど豪華な式でもなく、披露宴もおとなしいものだったが、新郎と新婦は幸せそうだった。出席者たちも楽しそうだった。
 ただ一人美佳だけが、暗い気持ちになっていた。何か取り返しのつかない事態に陥りつつあるように思えた。いや、一人だけではないかもしれない。篠塚一成も出席していたからだ。
 家に新しい母親のいる生活が始まった。外見上、篠塚家には大きな変化はないように思われる。しかし確実にいろいろなものが変わっていくのを美佳は感じていた。死んだ母親の思い出は消され、生活パターンも変容した。父親の人間性も変わった。
 亡くなった母親は生花が好きだった。玄関、廊下、部屋の隅に、いつもその季節に応じた花が飾られていた。今、それらの場所にあるのは、もっと豪華で美しい花だ。誰もが目を見張るほど見事なものだ。
 ただしそれは生花ではない。すべて精巧な造花だ。
 うちの家全体が造花になってしまうのではないか。美佳はそんなふうに思うことさえあった。

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