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白夜行13-11
日期:2017-01-17 11:07  点击:434
 笹垣が篠塚一成と共に、篠塚康晴の邸宅を訪れることにしたのは、十二月半ばの日曜日のことだった。この用件のため笹垣は、先月に続いて上京してきたのだ。
「会ってもらえますかね」車の中で笹垣はいった。
「まさか追い返されるようなことはないでしょう」
「留守やなかったらええんですけどね」
「その点は大丈夫です。スパイから情報を得てあります」
「スパイ?」
「家政婦さんですよ」
 午後二時過ぎ、一成の運転するベンツが篠塚邸に到着した。門のすぐ脇に、来客用のカースペースがある。一成はそこに車を止めた。
「外から見ただけでは、どれぐらいの広さかわからんぐらいのお屋敷ですな」門から屋敷を見上げて笹垣はいった。門や高い塀の向こうには木しか見えなかった。
 門の脇についているインターホンのボタンを一成が押した。すぐに返事があった。
「お久しぶりです、一成さん」中年の女の声だ。どうやらカメラで見ているらしい。
「こんにちは、タエコさん。康晴さんはいるかな」
「ええ、いらっしゃいます。ちょっとそのままお待ちください」
 いったんインターホンが切れた。一、二分して、またマイクから声が聞こえた。
「お庭のほうに回ってくださいとのことです」
「わかりました」
 一成が答えると同時に、門の横の通用口の扉から、かちりと金属音がした。解錠されたようだ。
 一成の後について、笹垣は敷地内に足を踏み入れた。石を敷いた長いアプローチが屋敷に向かって延びていた。外国映画みたいやなと笹垣は思った。
 玄関のほうから、二人の女性が歩いてくるところだった。一成に紹介されるまでもなく、それが雪穂と篠塚康晴の娘であることを笹垣は察知した。娘の名が美佳ということも、すでに知っている。
「どうしますか」一成が小声で尋ねてきた。
「私のことは適当にごまかしてください」笹垣も彼の耳元でいった。
 二人はゆっくりとアプローチを歩いた。雪穂が微笑みながら会釈してきた。そしてちょうどアプローチの半ばあたりで、全員が足を止めた。
「こんにちは、お邪魔します」一成が口火を切った。
「お久しぶりですね。お元気でした?」雪穂が尋ねる。
「まあ何とか。あなたもお元気そうだ」
「おかげさまで」
「大阪の店、いよいよオープンですね。どうですか、準備のほうは」
「計算通りに行かないことが多くて困っています。身体がいくつあっても足りないくらいで。今日もこれからそのことで打ち合わせを」
「そうですか。大変ですね」一成は隣の少女のほうを向いた。「美佳ちゃんも元気だった?」
 少女は笑って頷いた。どこか影が薄いような印象を笹垣は受けた。雪穂のことを受け入れていないらしいと一成から聞いていたが、見たかぎりではそんな雰囲気はなく、少し意外だった。
「ついでに美佳のクリスマス用の服を探してあげようと思って」雪穂がいった。
「なるほど。それはいい」
「一成さん、こちらの方は?」雪穂の目が笹垣のほうに向けられた。
「ああ、この人はうちの社に出入りしている業者の人です」淀みなく一成はいった。
 はじめまして、と笹垣は頭を下げた。顔を上げると、雪穂と目が合った。
 十九年ぶりの対峙《たいじ》だった。もちろん笹垣は大人になった彼女を何度も見ているが、こんなふうに向き合ったことはない。あの大阪の古いアパートで初めて会った時のことを彼は思い出した。あの時の少女が目の前にいる。あの時と同じ目をして。
 覚えてますかい、西本雪穂さん――笹垣は心の中で呼びかけた。私はあんたのことを、十九年間追いかけてきたんですよ。夢に見るほどにね。だけどまさかあんたは覚えてはいないでしょうねえ。こんな老いぼれのことなんか。うまく騙した馬鹿な人間の一人に過ぎないんでしょうからねえ。
 雪穂がにっこりしていった。「大阪の方かしら?」
 不意をつかれたような気分だった。アクセントでわかったらしい。「ええ、はい」と少しうろたえながら答えた。
「そう、やっぱり。今度心斎橋にお店を出すんです。ぜひ一度、お立ち寄りください」
 彼女はバッグの中からハガキを一枚出してきた。オープンの案内状だった。
「はあ、そしたら、親戚の者にでも声をかけてみます」笹垣はいった。
「懐かしい」雪穂はそういってじっと彼の顔を見つめてきた。「思い出します。昔のことを」その表情に笑みはなかった。遠い何かを見つめる目だった。
 その唇がふっとほころんだ。
「主人なら庭にいます。昨日のゴルフの成績が気に入らなかったらしくて、猛練習中なんですよ」一成にいった。
「じゃあ、邪魔しない程度にお時間をいただきましょう」
「いいえ、どうぞごゆっくり」雪穂は美佳に頷きかけ、歩きだした。彼女たちのために、笹垣と一成は道を開けた。
 雪穂の後ろ姿を見送りながら、あの女は自分のことを覚えているのかもしれない、と笹垣は思った。
 
 雪穂がいったように、康晴は南側の庭でゴルフボールを打っていた。一成が近づいていくとクラブを置いて笑顔で応対した。その顔からは、従弟《いとこ》を子会社に追い出した非情さは感じられなかった。
 だが一成が笹垣を紹介すると、康晴の顔に警戒の色が宿った。
「大阪の元刑事さん? ははあ」笹垣の顔をしげしげと眺めた。
「どうしても康晴さんの耳に入れておきたい話があってね」
 一成がいうと、康晴はすっかり笑みの消えた顔で、「じゃあ家の中で話を聞こうか」と室内を指した。
「いや、ここでいいよ。今日は比較的暖かいし、話をしたらすぐに帰るつもりだから」
「こんなところでか」康晴は二人の顔を交互に見てから頷いた。「まあいいだろう。タエさんに何か温かい飲み物でも持ってきてもらおう」
 庭には白いテーブルと椅子が四脚置いてあった。天気の良い日には、家族で英国風のティータイムを楽しむのかもしれない。家政婦が持ってきてくれたミルクティーを飲みながら、笹垣は幸福そうな家族の姿を思い浮かべた。
 しかしこの場は和やかなティータイムとはいかなかった。一成の話が始まるなり、康晴の顔がみるみる険しくなっていったからだ。
 一成の話とは――。
 雪穂に関するエピソードだった。笹垣と一成が話し合い、整理した、彼女の本性を暗示させる様々な出来事だった。当然桐原亮司という名前も、何度か登場することになった。
 だが予想通り、話の途中で康晴は激昂《げっこう》した。テーブルを叩き、立ち上がった。
「くだらん、何をいいだすかと思えば」
「康晴さん、とにかく最後まで聞いてくれ」
「聞かなくてもわかる。そんな戯《ざ》れ言《ごと》に付き合っている暇はない。そんなくだらんことをしている暇があったら、おまえのところの会社を立て直す方法でも考えろ」
「そのことについても情報があるんだ」一成も腰を上げ、康晴の背中にいった。「僕を陥れた犯人がわかった」
 康晴は振り返った。口元を歪めた。「まさかそれも雪穂の仕業だとでもいうんじゃないだろうな」
「篠塚薬品のネットワークにハッカーが侵入したことは聞いているだろう? そのハッカーは帝都大学付属病院のコンピュータを経由していた。そこの薬剤師がつい最近まで同棲していた男が、今までに何度も名前の出ている桐原亮司だった」
 一成の言葉に、康晴の目がかっと見開かれた。咄嗟《とっさ》に言葉が出ないのか、口を半開きにしたまま動かない。
「ほんまのことなんです」笹垣が横からいった。「その薬剤師が認めました。桐原亮司に間違いありません」
 康晴が何かいったようだ。関係ない――笹垣の耳にはそんなふうに聞こえた。
 笹垣はコートのポケットから一枚の写真を取り出した。
「これをちょっと見ていただけますか」
「何だ、これは。どこの写真だ」
「先程一成さんから説明していただいた、二十年ほど前に殺人事件のあったビルです。つまり大阪です。その薬剤師が桐原亮司と大阪に行った時に撮影したそうです」
「それがどうかしたのか」
「大阪に行った時の日付を聞きました。去年の九月十八日から二十日までの三日間です。これがどういう日やったか、当然覚えておられるでしょうな」
 康晴が思い出すまでに、少し時間を要した。だが彼はたしかに思い出した。あっと小さく漏れた声が、それを示していた。
「そうです」と笹垣はいった。「九月十九日は、唐沢礼子さんが亡くなった日です。なぜ急に呼吸が止まったのかは、病院でも不思議がってたそうですな」
「馬鹿なことをっ」康晴は写真を投げ捨てた。「一成、この頭のおかしい爺さんを連れて、さっさと帰ってくれ。今後、こういうことをまたいいだしたら、二度とうちの社には戻れないと思えよ。いっておくが、もうおまえのところの親父さんも、うちの社の役員じゃないんだからな」
 さらに彼は足元に転がっていたゴルフボールを拾い上げると、思い切りネットに向かって投げつけた。そのボールはネットを支える鉄柱に当たり、大きく弾んだ。そしてテラスに並べてある鉢植えにぶつかった。ぐしゃりと何かの潰れる音がした。しかし彼はそちらには見向きもせず、テラスから家に上がり、ガラス戸をぴしゃりと閉めた。
 一成がため息をついた。笹垣を見て、苦笑する。「半ば予想通りでしたね」
「唐沢雪穂にとことん惚れてはるんでしょう。あれがあの女の武器です」
「従兄も今は頭に血が上っていますが、冷静になれば、我々の話を吟味する気になるはずです。それを待つしかありません」
「まあ、そういう時が来たらええですけどな」
 二人が帰りかけた時、家政婦が駆け付けてきた。
「どうかされましたか。何かすごい音がしましたけど」
「康晴さんの投げたゴルフボールが、どこかに当たったみたいだよ」
「えっ、それでお怪我は?」
「怪我をしたのは鉢植えだよ。人間は無傷だ」
 家政婦は、あらあら、といいながら並べてある鉢植えの様子を見た。
「大変、奥様のサボテンが」
「彼女の? サボテン?」
「大阪から持ってこられたものなんですよ。あーあ、完全に鉢が割れちゃってる」
 一成が家政婦のところまで見に行った。
「彼女、サボテンを育てるのが趣味なのかい」
「いえ、亡くなったおかあさんの御趣味だったそうですよ」
「ああ、そういえばそんなことをいってたな。おかあさんの葬式の時に聞いた」
 再び一成が離れかけた時、「あらっ」と家政婦がいった。
「どうした?」と一成が訊く。
 家政婦は割れた鉢植えの中から何か摘みだした。「こんなものが入ってたんです」
 一成は彼女の手の中を見た。「ガラスだな。サングラスのレンズじゃないのか」
「そうみたいですね。元々の土の中に混じってたんでしょ」家政婦は首を捻りながらも、それを鉢植えの破片の上に置いた。
「どうしました」笹垣も少し気になり、彼等に近づいた。
「いや、大したことじゃありません。鉢植えの土の中に、ガラスの破片が入っていたんですよ」一成は割れた鉢植えを指差していった。
 笹垣はそのほうを見た。平たいガラスの破片が目に留まった。たしかにサングラスのレンズらしい。半分ほどのところで割れている。彼はそれを慎重に拾い上げた。
 一瞬後、全身の血が騒ぎだしていた。いくつかの記憶が蘇り、めまぐるしく交錯した。間もなくそれは一つの道筋となった。
「サボテンは大阪から持ってきたとおっしゃいましたな」彼は抑えた声で訊いた。
「そうです。彼女のおかあさんの家にあったものです」
「鉢植えは庭に置いてあったんですか」
「そうです。庭に並べてありました。笹垣さん、それが何か?」一成も、元刑事のただならぬ様子に気づいたようだ。
「いや、まだわかりませんけどな」笹垣は摘《つま》んだガラス片を日に透かした。
 それは薄い緑色をしていた。

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