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世界尽头与冷酷仙境17
日期:2017-02-16 19:30  点击:372
「お願い」と太った娘が言った。「このままじゃ世界が終っちゃうのよ」
 世界なんか終ればいいんだ、と私は思った。私の腹の傷口は悪鬼のごとく痛んだ。元気の良い双子の男の子がその四本の足で私の限られた狭い想像力の|枠《わく》を思いきり|蹴《け》とばしているみたいだった。
「どうかしたの? どこか具合が悪いの?」と女が|訊《き》いた。
 私は静かに深呼吸をし、そばにあったTシャツをとって、その|裾《すそ》で顔の汗を|拭《ぬぐ》った。
「|誰《だれ》かが|僕《ぼく》の腹をナイフで六センチばかり切っていったんだ」と私は空気を吐きだすような感じで言った。
「ナイフで?」
「貯金箱みたいに」と私は言った。
「誰が何のためにそんなひどいことしたの?」
「わからない。知らない」と私は言った。「さっきからずっとそれを考えてたんだ。でもわからない。こちらが訊きたいぐらいだよ。どうしてみんな僕のことを玄関マットみたいに踏みつけていくんだろうってさ」
 彼女は首を振った。
「ひょっとしてあの二人組は君の知りあいか仲間じゃないかって考えてたんだ。そのナイフを使った連中がさ」
 太った娘はしばらくのあいだわけがわからないといった表情を顔に浮かべてじっと私の顔を見ていた。「どうしてそんなこと思うの?」
「わからない。たぶん誰かのせいにしたいからだろう。わけのわからないことは誰かに押しつけると少しは気が楽になるんだ」
「でも何も解決しないわ」
「何も解決しないさ」と私は言った。「でもそんなのは僕のせいじゃない。僕がものごとを始動させたわけじゃないんだ。君のおじいさんが油をさしてスウィッチを入れたんだ。僕はそれに巻きこまれただけさ。どうして僕がそれを解決しなきゃいけないんだ?」
 再び激しい痛みが|戻《もど》ってきたので、私は口を閉じ、踏切り番みたいにそれが通りすぎていくのを待った。
「今日のことにしてもそうだ。まず君が早朝に電話をかけてきた。そして君のおじいさんが行方不明なので僕に助けてほしいって言った。僕はでかけていったが、君は現われなかった。家に帰って眠っていると変な二人組がやってきて部屋を破壊し、腹をナイフで裂いた。次に『|組織《システム》』の連中がやってきて僕を質問攻めにした。それから最後にまた君がやってきた。なんだかまるできちんとスケジュールに組まれているみたいじゃないか。バスケットボールのフォーメーションみたいにさ。君はいったいどこまで事情を知ってるんだ?」
「正直に言って、私の知っていることはあなたが知っていることとそれほどの差はないと思うわ。私は祖父の研究を手伝って、言われたとおりに行動していただけなの。あれをやれこれをやれ、あっちに行けこっちに来い、電話をかけろ手紙を書け、そんなこと。祖父がいったい何をしようとしていたのかについては私もあなたと同じようにまるで見当もつかないのよ」
「でも君は研究を手伝っていたんだろう?」
「手伝ったといってもただのデータ処理とか、そういう技術的なことばかりよ。私には専門的な知識はほとんどないし、そんなの見聞きしたって何も理解できっこないわ」
 私は指の|爪《つめ》の先で前歯を|叩《たた》きながら、考えを整理した。突破口が必要なのだ。状況が私という存在を完全に|呑《の》みこんでしまう前に、少しでもその状況をときほぐしておく必要があるのだ。
「さっき君はこのままじゃ世界が終るって言ったね。それはどうして? |何《な》|故《ぜ》、どういう風に世界が終るんだい?」
「知らないわ。祖父がそう言ったのよ。今私の身に何かがあれば世界が終るってね。祖父は冗談でそんなこと言う人じゃないのよ。彼が世界が終るって言えば、世界はほんとうに終るのよ。ほんとうよ。世界は終るの」
「よくわからないな」と私は言った。「世界が終るって、いったいどういうことなんだ?君のおじいさんは正確に〈世界が終る〉って言ったんだね? 〈世界が消滅する〉とか〈世界が破壊される〉とかじゃなくて?」
「ええそうよ、〈世界が終る〉って言ったの」
 私はまた前歯を叩きながら、世界の終りについて考えを巡らしてみた。
「それで……その……世界の終りがどこかで僕と結びついているわけなんだね?」
「そうね。あなたがキイなんだって祖父は言ってたわ。何年も前からあなた一人にポイントをしぼって研究をすすめているんだってね」
「もっといろんなことを思いだしてくれ」と私は言った。「時限爆弾っていったい何のことだ?」
「時限爆弾?」
「僕の腹をナイフで切った男がそう言ったんだ。僕が処理した博士のデータは時限爆弾みたいなもので、時間がくればどかんと爆発するんだってさ。いったいどういうことなんだい?」
「これは私の想像にすぎないんだけれど」と太った娘は言った。「祖父はずっと人間の意識について研究していたのだと思うわ。彼がシャフリング・システムを作りあげたあとずっとね。シャフリング・システムがすべてのはじまりじゃないかっていう気がするの。というのはシャフリング・システムを開発していた|頃《ころ》までは、祖父は私にいろんな話をしてくれたの。自分の研究について、今何をしているだとか、これから何をするだとかね。さっきも言ったように、私には専門的な知識なんてほとんど何もないけれど、それでも祖父の話はとてもわかりやすくて|面《おも》|白《しろ》かったわ。私、二人でそういうお話をするのが大好きだったの」
「でもシャフリング・システムを完成させてからは急に無口になったんだね?」
「ええ、そう。祖父はずっと地下の実験室にこもって、私に専門的な話はまったくしなくなったの。私が何か質問しても、適当な答しか返ってこないようになってしまったわ」
「それで|淋《さび》しかったんだね?」
「そう、淋しかったわ。すごく」彼女はまたしばらく私の顔をじっと見ていた。「ねえ、ベッドの中に入っていい? ここにいるとすごく寒いんだけど」
「傷にさわったり、体を揺さぶったりしなければ」と私は言った。なんだか世界じゅうの女の子が私のベッドにもぐりこもうとしているみたいだった。
 彼女はベッドの反対側にまわって、ピンクのスーツを着たままもそもそと|布《ふ》|団《とん》の中にもぐりこんだ。私がふたつかさねて使っていた|枕《まくら》のひとつを渡すと、彼女はそれを受けとってとんとんと手で叩き、ふくらませてから頭の下に入れた。彼女の首筋にははじめて会ったときと同じメロンの|匂《にお》いがした。私は苦労して体の向きを変え、彼女の方を向いた。それで我々はベッドの上で向きあうような格好になった。
「私、男の人とこんなに近づいたのはじめてなのよ」と太った娘は言った。
「へえ」と私は言った。
「街にもほとんど出たことがないの。それで待ちあわせの場所にもたどりつけなかったのよ。道順をくわしく聞こうとしたら音が消えちゃったし」
「タクシーの運転手に場所を言えばつれてってくれたのに」
「お金をほとんど持ってなかったの。すごくあわてて出てきたし、お金がいることなんてすっかり忘れていたの。だから歩いてくるしかなかったのよ」と彼女は言った。
「他に家族はいないの?」と僕は訊いた。
「私が六つのときに両親と兄弟はみんな交通事故で死んだの。車に乗っているところをうしろからトラックにぶっつけられて、ガソリンに引火して、みんな焼け死んだのよ」
「君だけが助かったの?」
「私はそのとき入院していて、みんなは私の見舞いに来る途中だったのよ」
「なるほど」と私は言った。
「それからずっと私は祖父のそばにいるの。学校にも行かなかったし、ほとんど外にも出なかったし、友だちもいないし……」
「学校に行かなかった?」
「ええ」となんでもなさそうに娘は言った。「祖父が学校に行く必要なんかないって言ったの。学科はぜんぶ祖父が教えてくれたわ。英語やロシア語から解剖学まで。それからお料理だとか縫物なんかはおばさんが教えてくれたわ」
「おばさん?」
「住みこみで家事とか掃除とかをしてくれていたおばさん。とても良い人だったわ。三年前に|癌《がん》で|亡《な》くなっちゃったけど。おばさんが亡くなってからはずっと祖父と二人きりなの」
「じゃあ六つのときからずっと学校に行ってないわけ?」
「ええそうよ、でもべつにそんなのたいしたことじゃないわ。だって私、なんだってできるもの。外国語だって四つできるし、ピアノとアルト・サックスもできるし、通信機を組み立てることもできるし、航海術や綱わたりも習ったし、本だっていっぱい読んだわ。サンドウィッチだっておいしかったでしょ?」
「うん」と私は言った。
「学校教育というのは十六年間かけて|脳《のう》|味《み》|噌《そ》を擦り減らせるだけのところだって祖父は言ってたわ。祖父もほとんど学校に行かなかったのよ」
「たいしたもんだ」と私は言った。「でも同じ|年《とし》|頃《ごろ》の友だちがいないっていうのは淋しくないの?」
「さあ、どうかしら。私とても忙しかったから、そんなこと考える暇もなかったの。それに私、どうせ同じ年頃の人たちとは話もあいそうになかったし……」
「ふうん」と私は言った。まあそうかもしれない。
「でも私、あなたにはすごく興味あるのよ」
「どうして?」
「だって、なんだか疲れてるみたいだし、でも疲れていることが一種のエネルギーになっているみたいだしね。そういうのって、私にはよくわからないの。私の知っている人でそういうタイプの人って一人もいなかったの。祖父も決して疲れたりしない人だし、私もそうだし。ねえ、ほんとうに疲れてるの?」
「たしかに疲れてる」と私は言った。二十回繰りかえして言ってもいいくらいのものだ。
「疲れるってどういうことなのかしら?」と娘が|訊《たず》ねた。
「感情のいろんなセクションが不明確になるんだ。自己に対する|憐《れん》|憫《びん》、他者に対する怒り、他者に対する憐憫、自己に対する怒り——そういうものがさ」
「そのどれもよくわからないわ」
「最後には何もかもがよくわからなくなるのだ。いろんな色に塗りわけたコマをまわすのと同じことでね、回転が速くなればなるほど区分が不明確になって、結局は|混《こん》|沌《とん》に至る」
「面白そうだわ」と太った娘は言った。「あなたはそういうことにすごくくわしいのね、きっと」
「そう」と私は言った。私は人生をむしばむ疲労感について、あるいは人生の中心からふつふつと|湧《わ》きおこってくる疲労感について、百とおりくらいの説明をすることができるのだ。そういうことも学校教育では教えてもらえないもののひとつだ。
「あなたアルト・サックス吹ける?」と彼女が私に訊ねた。
「吹けない」と私は言った。
「チャーリー・パーカーのレコード持ってる?」
「持ってると思うけど、今はとても探せる状態じゃないし、それにステレオの装置も壊されちゃったから、いずれにせよ聴けないよ」
「何か楽器はできる?」
「何もできない」と私は言った。
「ちょっと体に触っていい?」と娘は言った。
「だめ」と私は言った。「触る場所によってすごく傷が痛むんだ」
「傷がなおったら触っていい?」
「傷がなおって、世界がまだ終っていなかったらね。とにかく今は肝心な話のつづきをしよう。君のおじいさんがシャフリング・システムを完成させたときから|人《ひと》|柄《がら》が変ってしまったというところまで話が進んだと思うんだけど」
「ええ、そうなの。あれ以来祖父はすっかり変ってしまったわ。あまり口をきかず、気むずかしくて、独りごとばかり言うようになっちゃったの」
「彼は——君のおじいさんは——シャフリング・システムについてどんな風に言ってたか思いだせるかい?」
 太った娘は耳につけた金のイヤリングを指でさわりながら、少し考えこんでいた。
「シャフリング・システムは新しい世界に通じる|扉《とびら》だって言ってたわ。それはそもそもはコンピューターにインプットするデータを組みかえるための補足的な手段として開発されたものだけど、使いようによってはそれは世界の組みたてそのものを変えてしまうだけのパワーを身につけることができるようになるかもしれないって。ちょうど原子物理学が核爆弾を産みだしたようにね」
「つまり、シャフリング・システムが新しい世界への扉で、僕がそのキイになるってわけかな?」
「|綜《そう》|合《ごう》すれば、そういう風になるんじゃないかしら」
 私は|爪《つめ》の先で前歯を叩いた。大きなグラスに氷と一緒に入れたウィスキーが飲みたかったが、私の部屋からは氷もウィスキーも消滅していた。
「君のおじいさんの目的は世界を終らせることにあると思う?」と私はたずねた。
「いいえ。そんなんじゃないわ。祖父はたしかに気むずかしくて身勝手で|人《ひと》|嫌《ぎら》いだけど、ほんとうはとても良い人なのよ。私やあなたと同じように」
「それはどうも」と私は言った。そんなことを言われたのは生まれてはじめてだった。
「それに祖父はその研究が誰かの手にわたって悪用されることをすごく|怖《おそ》れていたのよ。だから祖父がそれを悪いことに使うわけないでしょ。祖父が『|組織《システム》』を辞めたのも、そのまま研究をつづければ、必ず『|組織《システム》』がその研究成果を悪用するだろうって思ったからなの。だから辞めて、一人で研究をつづけることにしたの」
「でも『|組織《システム》』は世界の良い方の側にいるんだよ。コンピューターから情報を盗んでブラック・マーケットに流す記号士の組織に対抗して、情報の正当な所有権を守っているわけだからね」
 太った娘は僕の顔をじっと見て、それから肩をすくめた。「でも祖父はどちらが善でどちらが悪かなんて、あまり問題にしてなかったみたいよ。善と悪というのは人間の根本的な資質のレベルでの属性であって、所有権の帰属する方向とは別の問題だって言ってたわ」
「うん、まあそうかも知れない」と私は言った。
「それから祖父はあらゆる種類の権力というものを信用していなかったの。たしかに祖父は『|組織《システム》』に一時期属していたけれど、それは豊富なデータや実験材料や大がかりなシミュレーション・マシーンを自由に使わせてもらうための方便だったの。だから複雑なシャフリング・システムを完成させてしまったあとでは、自分一人で研究を進めた方がずっと楽だし有効だって言ってたわ。一度シャフリング・システムにこぎつけてしまえば、そのあとは設備を必要としないいわば思念的な作業しかないんだって」
「ふうん」と私は言った。「君のおじいさんは『|組織《システム》』を辞めるときに、僕の個人的なデータをコピーして持ちだしたりはしなかった?」
「わからないわ」と彼女は言った。「でも、そういうことをしようと思えばできたんじゃないかしら。だって祖父は『|組織《システム》』の研究所の所長として、データの保持と利用に対してあらゆる権限を持っていたから」
 たぶん私の想像どおりだろう、と私は思った。博士は私の個人データを持ちだして、それを自分のプライヴェートな研究に利用し、私をメイン・サンプルとしてシャフリング理論をずっと先のほうまで推しすすめたのだ。それで話のおおよその筋はとおる。小男の言うように、博士はその研究の核心に達したので私を呼び寄せ、適当なデータを私に与え、それを私がシャフリングにかけることでそこにかくされた特定のコードに私の意識が反応するように仕向けたのだ。
 もしそのとおりだとすれば、私の意識——あるいは無意識——は既に反応をはじめていることになる。時限爆弾、と小男は言った。私はシャフリングを終えてからの時間を頭の中でざっと計算してみた。シャフリングを終えて目を覚ましたのが|昨夜《ゆ う べ》の十二時前だから、それから二十四時間近くが経過している。かなりの時間だった。時限爆弾がいったい何時間後に爆発するようにセットされているのかはしらないが、とにかくその時計の針は二十四時間ぶん既に時を刻んでいるのだ。
「もうひとつだけ質問があるんだ」と私は言った。「君は〈世界が終る〉って言ったね?」
「ええ、そうよ。祖父がそう言ったの」
「君のおじいさんが〈世界が終る〉って言ったのは、僕のデータ研究を始める前? それともあと?」
「あと」と彼女は言った。「たぶんそうだと思うわ。だって祖父が正確に〈世界が終る〉って言いだしたのはつい最近のことなんですもの。どうして? それが何か関係あるの?」
「僕にもよくわからない。でも何かがひっかかるんだ。というのは僕のシャフリングのパスワードは〈世界の終り〉と呼ばれているんだ。偶然の一致とはとても思えないしね」
「そのあなたの〈世界の終り〉というのはどんな内容のものなの?」
「それはわからない。それは僕の意識でありながら、もう僕の手の届かないところに隠されてしまっているんだ。僕にわかっているのは、その〈世界の終り〉ということばだけなんだ」
「それをとりもどすことはできないの?」
「不可能だな」と私は言った。「軍隊を一個師団使っても『|組織《システム》』の地下金庫からそれを盗みだすことはできない。警戒も厳重だし特殊な装置が仕掛けてあるからね」
「祖父は地位を利用してそれを持ちだしたのね?」
「おそらくね。でもそれは推測にすぎない。あとは君のおじいさんに直接問いただしてみるしか手はないようだね」
「じゃあ、祖父をやみくろの手から救ってくれるのね?」
 私は腹の傷を手で抑えながら、ベッドの上に身を起した。頭の|芯《しん》がずきずきと痛んだ。
「そうせざるを得ないだろう」と私は言った。「君のおじいさんの言う〈世界の終り〉というのがいったい何を意味するのかは僕にはわからないけれど、とにかくそれを|放《ほう》っておくわけにはいかないものね。たぶんなんとか手を打って阻止しないことには|誰《だれ》かが大変な目にあうことになりそうな気がする」そしてその誰か[#「誰か」に丸傍点]というのはたぶん私自身だろう。
「いずれにせよ、そうするためにはあなたは祖父をたすけださなくちゃいけないわ」
「我々三人がみんな良い人間だから?」
「そうよ」と太った娘は言った。

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