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世界尽头与冷酷仙境26
日期:2017-02-16 19:39  点击:377
 夢読みの終ったあとで|僕《ぼく》が発電所に行く話をすると、彼女は暗い顔をした。
「発電所は森の中にあるのよ」と彼女は赤く燃えている石炭をバケツの中の砂に埋めて消しながら言った。
「森のほんの入口だよ」と僕は言った。「門番だってべつに問題はないって言ったよ」
「門番が何を考えているかは|誰《だれ》にもわからないわ。ほんの入口と言ったって、やはり森は危険なところなのよ」
「でもとにかく僕は行ってみるよ。どうしても楽器をみつけたいしね」
 彼女は石炭をぜんぶ出してしまうと、その下の引きだし口を開け、そこにたまった白い灰をバケツにあけた。そして何度か首を振った。
「私もついていくわ」と彼女は言った。
「どうして? 君は森に近づきたくないんだろう? それに僕だって君をまきこみたくない」
「あなたを一人でやるわけにはいかないからよ。あなたは森の怖さをまだ十分には知らないもの」
 
 我々は曇り空の下を川沿いに東に向けて歩いた。まるで春の到来を思わせるような暖かい朝だった。風もなく、川の水音もいつもの冷ややかな|明《めい》|晰《せき》さを失ってどことなくくすんで聞こえた。十分か十五分歩いたところで僕は手袋をとり、マフラーを外した。
「春のようだね」と僕は言った。
「そうね。でもこんな暖かさは一日しかつづかないの。いつもそうよ。またすぐに冬が|戻《もど》ってくるわ」と彼女は言った。
 橋の南岸にまばらに並んだ人家をとおり越してしまうともう道の右手には畑しか見えなくなり、それにつれて丸石敷きの舗道も狭い|泥《どろ》|道《みち》に変った。畑の|畝《うね》のあいだには白く凍りついた雪が|掻《か》き|傷《きず》のようなかたちに何本も残っていた。左手の川岸には柳が並び、やわらかな枝を|川《かわ》|面《も》に垂らしていた。小さな鳥がその不安定な枝にとまり何度かバランスをとるように枝を揺すってから、あきらめてべつの樹木へと飛びたっていった。太陽の光は淡く、やさしかった。僕は何度か顔を上に向けて、その静かなあたたかみを味わった。彼女は右手を自分のコートのポケットに入れ、左手を僕のコートのポケットに入れていた。僕は左手で小型のトランクを持ち、右手でポケットの中の彼女の手を握っていた。トランクの中には我々の昼食と管理人にわたすみやげものが入っていた。
 春が来れば様々なものごとがもっと楽になるに違いない、と彼女のあたたかい手を握りながら僕は思った。もし僕の心が冬を乗りきり、影の体が冬を乗りきることができれば、僕は自分の心をもっと正確なかたちでとり戻すことができるだろう。影が言うように僕は冬に打ち勝たねばならないのだ。
 我々はまわりの風景に目をやりながら、ゆっくりと川上に向って歩いた。そのあいだ僕も彼女もほとんど口をきかなかったけれど、それは話すことがないからではなく、話す必要がないからだった。大地のくぼみに沿って白くのこった雪や、赤い木の実をくちばしにくわえた鳥や、ごわごわとして肉の厚い畑の冬野菜や、川の流れがところどころに作りだす小さな澄んだ|淀《よど》みや、雪に|覆《おお》われた尾根の姿を我々はひとつひとつたしかめるように|眺《なが》めながら歩いた。目にうつるありとあらゆる事象が、突然やってきた|束《つか》の|間《ま》の|温《ぬく》もりを胸いっぱいに吸いこみ、体のすみずみにまで|浸《し》みこませているように見えた。空を覆った雲にもいつものような重苦しさはなく、我々のささやかな世界をやわらかな手でそっと囲んでいるような不思議な親密感が感じられた。
 枯れた草の上を獣たちが食べ物を求めてさまよっている姿にも出会った。彼らは白みを帯びた淡い金色の毛皮に包まれていた。その毛は秋よりはずっと長く、そして厚くなっていたが、それでも彼らの体が前に比べて|遥《はる》かにやせこけていることははっきりと見てとれた。肩の上には古いソファーのスプリングのようにくっきりとした形の骨がとびだし、口もとの肉はだらしなく見えるまでにたるんで下に垂れ下がっていた。|眼《め》には生彩がとぼしく、|四《し》|肢《し》の関節は球形にふくらんでいる。変っていないのは額から突き出た一本の白い角だけだった。角は以前と同じように、まっすぐに誇らしげに空を突いていた。
 獣たちは三頭か四頭で小さなグループを組み、畑の畝をつたって小さな茂みから茂みへと移り歩いていた。しかし木の実や食用に適したやわらかな緑の葉はもう|殆《ほと》んど目につかなくなっていた。高い樹木の枝にはまだいくらか実は残っていたが、彼らの背たけではとてもそこまでは届かず、獣たちはその|樹《き》の下で地面に落ちた実を|空《むな》しく探し求めたり、鳥がそれをついばんでいくのを|哀《かな》しそうな目でじっと見上げたりしていた。
「どうして獣たちは畑の作物に手をつけないんだろう?」と僕は|訊《き》いてみた。
「それはきまっていることなのよ。どうしてかは私にもわからないわ」と彼女は言った。「獣たちは人間の口にするものには決して手をつけないの。もちろん私たちが与えれば食べることはあるけれど、そうでない限りは食べないの」
 川岸では何頭かの獣たちが前脚を折り畳むようにして身をかがめ、淀みの水を飲んでいた。我々がすぐそばを通りすぎても、彼らは顔ひとつあげずに水を飲みつづけていた。淀みの水面には彼らの白い角の姿がくっきりと映っていたが、それはまるで水底に落ちた白い骨のように見えた。
 
 門番が教えてくれたように、三十分ばかり川岸を歩いて東橋を過ぎたあたりに右に折れる小さな道があった。普通に歩いていれば見逃してしまいそうなほどの細い小さな道だ。そのあたりにはもう畑はなく、道の両側には丈の高い草が茂っているだけだった。そんな草原が東の森と畑とのあいだを隔てるように広がっているのだ。
 草原のあいだの道を|辿《たど》っていくと、少しずつ上り坂になり、それにつれて草もまばらになっていった。そして坂は斜面になり、ついには岩山になった。もちろん岩山とはいっても何のとりかかりもない岩山をよじのぼるわけではなく、そこにはかなりきちんとしたステップがついていた。岩は比較的やわらかな砂岩で、ステップのかどは足に踏みならされて丸くなっている。十分ばかり歩いたところで、我々はその丘の頂上に出た。全体の高さとすれば僕の住んでいる西の丘よりは少し低いくらいだろう。
 丘の南側は北側とはちがってなだらかな下り坂になっていた。枯れた草原がしばらくつづき、その向うに黒々とした東の森が海のように広がっている。
 我々はそこに腰を下ろして息を整え、しばらくまわりの風景を眺めた。東側から見る街の風景は僕がいつも目にしている眺めとはずいぶん印象がちがっていた。川はおどろくほど直線的で、|中《なか》|洲《す》はひとつもなく、ただまっすぐに水が流れている人工的な水路のように見えた。川の向う側には北の湿地がつづき、湿地の右手には川を隔ててとび地[#「とび地」に丸傍点]、のような格好で東の森が大地を|浸蝕《しんしょく》している。川のこちら側の左手には我々が通りすぎてきた畑が見えた。見わたす限りに人家はなく、東橋もがらんとしてどことなく寂しげだった。目をこらせば職工地区や時計塔を認めることもできたが、それはなんとなくずっと遠くから送られてくる実体のないまぼろしのように思えた。
 
 ひと休みしたあとで、我々は森に向けて坂を下った。森の入口には底の見える浅い池があり、その中央には骨のような色に枯死した巨木の根もとだけが立っていた。そこに二羽の白い鳥がとまって我々の姿をじっと眺めていた。雪は固く、我々の|靴《くつ》はその上に足あとひとつ残さなかった。長い冬は森の中の風景を一変させていた。そこには鳥の声もなく、虫の姿もなかった。巨大な樹木だけが生命の力を凍りつくことのない深い地底から吸いあげ、暗く曇った空にのばしていた。
 森の中の道を歩いているうちに奇妙な音が耳につくようになった。それは森の中を舞う風の音に近かったが、あたりには風の吹いている気配はまったくといっていいほどなかったし、それに風の音にしてはあまりにも単調でピッチの変化がなかった。音は前に進むにつれてより大きくより明確になっていったが、それが何を意味するのかは我々にはわからなかった。彼女も発電所の近くまで来るのは初めてのことだったのだ。
 太い|樫《かし》の木があり、その向うにがらんとした広場が見えた。広場の一番奥に発電所らしき建物があった。もっともそうはいっても、その建物には発電所という機能を示す特徴はひとつとしてなかった。ただの巨大な倉庫のようなものだった。何か変った設備があるわけでもないし、高圧線が出ているわけでもない。我々の耳にした奇妙な風音のようなものはどうやらその|煉《れん》|瓦《が》づくりの建物の中から聞こえてくるようだった。入口にはしっかりとした両開きの鉄の|扉《とびら》がつき、壁のずっと上の方には小さな窓がいくつか見えた。道はその広場のところで終っていた。
「どうやらこれが発電所のようだね」と僕は言った。
 しかし正面の扉には|鍵《かぎ》がかかっているらしく、我々二人が力を合わせても扉はぴくりとも動かなかった。
 我々は建物をぐるりと一周してみることにした。発電所は正面よりは奥行の方がいくぶん長く、そちらの壁にも正面と同じように高く小さな窓が一列に並び、窓からあの奇妙な風音が聞こえていた。しかしドアはない。のっぺりとした何のとりかかりもない煉瓦の壁がそびえているだけだ。それはまるで街をとり囲むあの壁と同じように見えたが、近寄ってみるとこちらの方の煉瓦は壁を構成している煉瓦とはまるで質の違う粗雑なものだった。手でさわった感触もざらざらしているし、ところどころが欠けたりもしている。
 裏手には建物と隣接して同じ煉瓦づくりのこぢんまりとした人家が建っていた。門番小屋と同じ程度の大きさのもので、ごく普通のドアと窓がついていた。窓にはカーテンがわりに布の穀物袋がかかり、屋根には|煤《すす》で黒ずんだ煙突が立っていた。少くともこちらの方には人の生活の|臭《にお》いのようなものが感じられた。僕は木の扉を三回ずつ三度ノックしてみたが、返事はなかった。扉には鍵がかかっていた。
「向うに発電所の入口があるわ」と彼女が言って僕の手をとった。彼女の指さす方を見ると、たしかに建物の裏手の|隅《すみ》の方に小さな入口がついていて、その鉄の扉は外に向って開いていた。
 入口の前に立つと風音は一層大きくなった。建物の内部は予想していたよりずっと暗く、目が暗さに慣れるまでは両手でおおいを作ってじっと中をのぞきこんでも、そこに何があるのか見当もつかなかった。中には電灯ひとつなく——発電所に電灯がひとつもついていないというのはなんとなく不思議だった——高い窓から|射《さ》しこむ弱い光はやっと天井のあたりにとどまっているだけだった。風音だけが我がもの顔にがらんとした建物の中を舞っていた。
 声を出しても誰にも聞こえそうにもなかったので、僕はそのまま入口に立って黒い眼鏡を外し、目が|暗《くら》|闇《やみ》に慣れるのを待った。彼女は少し離れて、僕のうしろに立っていた。彼女はできることなら建物には近寄りたくなさそうに見えた。風音と暗闇が彼女を|怯《おび》えさせているのだ。
 いつも暗闇に慣れているせいで、僕の目が建物の床のまん中あたりに立っている男の姿をみとめるのに、それほどの時間はかからなかった。やせた|小《こ》|柄《がら》な男だった。男の前には幅が三メートルか四メートルある太い鉄の円柱がまっすぐに天井までそびえていて、男はじっとその円柱を眺めていた。その円柱の|他《ほか》には設備らしい設備、機械らしい機械はひとつとしてなく、建物の中は室内乗馬場のようにがらんとしていた。床にも壁と同じように煉瓦が敷いてあった。まるで巨大なかまどだ。
 僕は彼女を入口に置いて一人で建物の中に入っていった。入口と円柱のまん中あたりまで進んだところで、男は僕の存在に気づいたようだった。彼は体を動かさずに顔だけをこちらに向け、僕が近づいていくのをじっと見ていた。若い男だった。たぶん僕よりいくつか年は下だろう。彼はあらゆる面で門番とは対照的な外見をしていた。手脚と首筋はすらりと細く、顔の色は白かった。|肌《はだ》はなめらかでほとんど|髭《ひげ》のあともなく、髪のはえぎわは広い額のいちばん上まで後退していた。服装もこざっぱりとしてととのっていた。
「こんにちは」と僕は言った。
 彼は|唇《くちびる》をしっかりと結んだままじっと僕の顔を見つめ、それから小さく|会《え》|釈《しゃく》をした。
「お邪魔じゃありませんか?」と僕は|訊《たず》ねてみた。風音のせいで大きな声を出さねばならなかった。
 男は首を振って邪魔ではないことを示し、それから僕に向って円柱についた葉書ほどの大きさのガラス窓を指さした。その中をのぞいてみろということらしかった。よく見ると、ガラス窓は円柱についた扉の一部だった。扉はしっかりとボルトで固定されている。ガラス窓の向うでは地面と平行にとりつけられた巨大な扇風機のようなものが激しい勢いで回転していた。それはまるで何千馬力というモーターが軸を回転させているかのようだった。おそらくどこかから吹きこんでくる風圧でファンを回転させ、その力を利用して電気を起しているのだろうと僕は想像した。
「風ですね」と僕は言った。
 そうだ、という風に男は|肯《うなず》いた。それから彼は僕の腕をとって入口の方に向った。彼は僕よりは頭半分ばかり背が低かった。我々は仲の良い友人のように肩を並べて入口に向った。入口には彼女が立っていた。若い男は彼女に対しても僕に対するときと同じような小さな会釈をした。
「こんにちは」と彼女は言った。
「こんにちは」と男も答えた。
 彼は我々二人を風音のあまりとどかないところまでつれていった。小屋のうしろには森を切り|拓《ひら》いた畑があった。そのいくつか並んだ切り株の上に我々は腰を下ろした。
「すみません。私はあまり大きな声が出ないんです」と若い管理人は弁解するように言った。「あなたがたはもちろん街の方ですね?」
 そうだ、と僕は答えた。
「ごらんになったように」と若い男は言った。「この街の電力は風の力でまかなわれています。ここの地面には大きな穴がぽっかりと口を開けていて、そこから吹きあげてくる風を利用しているわけです」
 男はしばらく口を閉ざして足もとの畑を見つめていた。
「風は三日に一度吹きあげます。このあたりの地下には|空《くう》|洞《どう》が多いんです。その中を風や水が|往《ゆ》き|来《き》しています。私はここで設備の保全をしています。風のないときにファンのボルトを閉めたり、グリースを塗ったりしているんです。あるいはスウィッチが凍りついたりしないようにね。そしてここで起した電気は地下ケーブルで街に送られます」
 管理人はそう言って畑を見まわした。畑のまわりを森が壁のように高く囲んでいた。畑の黒い土は丁寧に整えられていたが、そこにはまだ作物の姿はなかった。
「暇なときに少しずつ森を拓いて、畑を広げているんです。一人ですからもちろん大がかりなことはできません。大きな木は|迂《う》|回《かい》して、なるべく手をつけられそうなところを選んでいるんです。でも自分の手で何かをやるというのは良いものです。春になれば野菜もできます。あなたがたはここに見学にいらっしゃったんですか?」
「そんなところです」と|僕《ぼく》は言った。
「街の人はまずここにはみえません」と管理人は言った。「森の中には|誰《だれ》も入ってこないんです。もちろん配達の人はべつですがね。週に一度その人が食糧とか日用品を届けにきてくれるんです」
「ここにずっと一人で住んでいるんですか?」と僕は訊いてみた。
「ええ、そうです。もうずいぶん長くですね。音を聞いているだけで細かい機械の調子までわかるくらいです。なにしろ毎日機械と話をしているようなものですからね。長くやっていればそれくらいのことはわかるようになります。機械の調子が良ければ、私自身もとても落ちつくんです。それから森の音もわかります。森はいろんな音を立てるんです。まるで生きているみたいにです」
「森に一人で住んでいるのはつらくありませんか?」
「つらいかつらくないかというのは私にはよくわからない問題です」と彼は言った。「森はここにあるし、私はここに住んでいます。それだけのことです。誰かがここにいて機械の様子を見ていなきゃならないんです。それに私がいるところは森のほんの入口ですからね、奥のことはよくわからないんです」
「他にあなたのように森に住みついている人はいるんですか?」と彼女が訊ねた。
 管理人はしばらく考えこんでいたが、やがて小さく何度か肯いた。
「何人かは知っています。もっとずっと奥の方ですが、何人かはいます。彼らは石炭を掘ったり、森を拓いて畑を作ったりしています。でも私の会ったことのあるのはほんの数人だし、それもほんの少ししか口をきいていません。私は彼らに受け入れられていないからです。彼らは森に住みついていますが、私はここで暮しているだけですからね。奥の方にはもっとたくさんそういう人たちがいるんでしょうが、それ以上のことは私にもわかりません。私は森の奥には行かないし、彼らは入口の方までは殆んど出てはこないんです」
「女の人を見かけたことはありませんか?」と彼女が質問した。「三十一か二くらいの女の人」
 管理人は首を振った。「いいえ、女の人は一人も見かけませんでしたね。私の出会ったのは男ばかりです」
 僕は彼女の顔を見たが、彼女はそれ以上は口をきかなかった。
 

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