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野火10
日期:2017-02-27 16:55  点击:352
 一〇 鶏鳴
 
 二日の後、私はその椰子の林を去った。立ち上るのには努力を要したが、一度立ってしまえば、後は機械的に足が運ばれた。
 私の眼はしかし依然として、樹に実を求めていた。観覧席のように河原に臨んだ斜面の林の中に、私は眼を凝らして球形の懸垂物を探していた。無駄であった。熱帯の狂わしく繁った緑が、どぎつく陽を照り返しているばかりであった。常夏の国の天然の恵みに関する、北方人の空想を私は嘲った。
 褐色の石がごろごろした河原を、私はどこまでも下って行った。岸の土から石油らしい黒い液体が、艶のある雑色の模様を浮べて滲み出て、流れに達することなく、砂に吸い込まれていた。
 川は次第に広く、岸に草原が発達して、芒が輝き出した。人間のように群がって、河原の最もささやかな堆土にも、根を下しに来た。繊毛が風に立ち、花穂の周囲に戯れて、それから遠い空間に撒開した。
 一つの丘があった。両側を細い支流に区切られて独立し、芒が馬の鬣のように、頂上まで匍い上っていた。その形を私は何故か女陰に似ていると思った。
 私の足はその丘に向った。道があり、一条に芒の連る線を真直に上っていた。紅土を露出した道は、草根の発達した土から、五寸ばかり深く刻まれていた。
 刻まれた側面は凹んだ短い弧の連続で、明らかにシャベルの背の曲線を示していた。この淋しい谷に見る人間の道具の跡は、私を戦慄させた。
 その時私は耳に鶏鳴を聞いた。丘の上から、静かな午後の空気を引き裂いて、けたたましく、続けて鳴いた。 
 シャベルの跡と鶏鳴——この結合から私に来た観念は「比島人」であった。つまり我々侵入者を懲らしめようと、常に用意している危険な存在であった。しかし私は上り続けた。
 頂上で芒の列は尽き、鞍状の草原が延びて、先に黒い喬木を並べた木立が見えた。鶏鳴がまたその奥でした。
 道はやはり草原に深く刻まれて、木立に到っていた。その緑の蔭の中に、門柱のように二本の丸太が立っているのが見えた。そこを通ると、道は二叉に分れ、庭園風の人工的な曲線を描いて、一つの叢を挟んでいた。先に陽が光っていた。
 静かであった。叢を廻った向うに家があり、人と鶏がいるのはたしかと思われた。一瞬逡巡が私を捉えたが、銃を取り直し、押されるように、光の中へ出て行った。
 意外な光景が私を待っていた。斜面が開け、大木の枯れた樹幹が、半町ばかり嶮しく降った下まで、縦横に横わっていた。底に一方が開いた窪地があり、それを越した対面に、同じような倒木を持つ斜面が匍い上って、林に囲われていた。
 人はいなかった。一軒の小屋が斜面を見晴し、数羽の鶏が軒に近い一樹にとまって、近づくと、また鳴いた。樹は萩に似た橢円形の細かい葉をつけ、軒よりわずかに高かった。
 鶏は痩せた黒い比島の鶏であった。やはり飼鳥であろう、人を怖れる様子はなく、ひとしきり鳴き交すと、あとは黙って、一斉に横顔を向けてじっとしていた。
 一瞬私は極楽鳥の幻影を見た。眼の高さから交互に生えた枝に、一枝に一羽ずつとまった規則性も、この世のものでないように思われた。
 しかし私が次に考えたのは、やはり彼等を捕えることであった。私は日本の鶏のように肥満していない彼等が、よく飛ぶのを知っていた。私は慎重に近より、不意打しようとした。しかし、彼等は私が手を延ばす前に一斉に飛び立ち、遠い地面に降りた。
 私は地に伏して銃を構え、慎重に覘って撃った。彼等はグライダーほどの角度で飛び立ち、斜面を下へ、遠く飛んで着陸した。そしてさらに短く連続して鳴きながら、駈けて行った。
 やるせない思いが胸を走った。膂力なく射撃をよくしない私は、かつて椰子の根方に無為に横わっていたように、今はこの極楽鳥を目の前に、飢えていなければならないのである。
 鶏は斜面の下の遠いところを、射撃者を無視した足取りで歩いていたが、時々立ち止り、地面についばんだ。何を食べているのであろう。いや、あそこに食べるものがある。
 しかし倒木の間を下りて行きながら、私は鶏の食べているものを確める必要がないのを知った。根株の間に到るところ、カモテ・カホイ(木の芋)と呼ばれる、木のような高い茎を持つ芋が植えてあった。蔓芋の葉も匐っていた。私はすぐカモテ・カホイの直立した茎の一本を倒した。地下茎が千成瓢箪のようについていた。手で土を払いかじった。
 芋は歯の間で崩れるように噛みくだかれて喉を通った。何本目かで私は漸くその甘味を感じ、窪地へ降りて、そこを流れる水を飲み、芋についた土を洗い落す余裕を持った。
 水は窪地の奥に湧いていた。いぼのように火山灰を盛り上げて吹き出し、薄く膜のように溜っていた。周囲は小枝を挿して囲ってあった。流れの下に私は里芋の特徴ある葉と茎を認めた。ここは比島人の山の畠だったのである。
 日本の敗残兵が食糧を漁っているこの山間に、こういう畠が残されていたことは奇蹟に近かった。もし私がロビンソン・クルーソーであったら、ここで土に跪いて神に感謝を捧げたであろう。極東の無神論者にとっても、これは確かに何者かに感謝すべき情況であったが、何に感謝していいか、私にはわからなかった。
 豆もあった。灌木ほどの高さに育ち、鉈状の房が褐色に熟れてはじけ、小さな黒い粒を露出させていた。(鶏が啄んでいたのは、この豆の地上に落ちたものであった)。また或る草は蛇苺のような赤い小粒をつけ、トマトの味と匂いがあった。
 飽食した私は再び小屋へ上って行った。小屋は竹の柱に茅を屋根としていた。埃が匂い、床が軋んだ。土間には土を築いた簡単な竈があり、二つ三つこわれた土器が倒れていた。割竹を並べて上げた床には、花模様を刺繍した洋風のクッションのほか、何もなかった。私はその不思議なクッションを枕にすると、忽ち深い眠りに落ちた。

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