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野火21
日期:2017-02-27 17:01  点击:363
 二一 同胞
 
 最後の林を出端れると、私は切り開かれた畠の斜面の、朝の光の中に動く、三つの人影を見た。戦闘帽に緑色の襦袢、見違うことは出来なかった。日本兵であった。
 涙が突然左右の地面に落ちた。
「おーい」
 と叫びながら、私は手を振り、駈け上った。
 人影は一斉にこっちを向いた。人形のように、彼等同士の間で忙しく顔を向け合い、それからまたこっちを向いて、じっとしていた。
 顔の一つに近づいて、そのむずかしい表情に、私ははっとした。階級章は彼が伍長であることを示していた。
「おめえ、どこの兵隊だ」と彼はいった。
 私は自分がまだ軍隊の組織の中にいたことを意識し、改めて敬礼していった。
「小泉兵団村山隊歩兵、田村一等兵であります」
「村山隊はアルベラで全滅したっていうぞ」
 といいながら、若い兵士が寄って来た。頬が尖り、髯は延びていたが、彼が現役兵であるのは、太い眉の下で活溌に動く眼で知られた。これは上等兵であった。
「自分は入院中をやられて、一人でここへ来たのであります」
「ああ、お前か。鉄帽があったから、誰かいたらしいって、いってたんだ。今まで何処へ行ってた」
 ともう一人の一等兵がいった。私は女を殺したことをのけて、昨夜からの冒険のあらましを語った。
「ふーん」と伍長は疑わしそうに私の顔を見た。「よく一人っきりで行く気になったな。銃はどうした?」
 私は咄嗟に嘘を吐いた。
「帰りに谷へ落しました」
「ふむ。仕様がねえ奴だ……もっともお前も」と傍の上等兵を顧みて「ブラウエンで落しちゃったな」
「落しちゃったも糞もあるものか。真暗な林の中を、やみくもに逃げて来たんだ。ちょっと手から離れたら、金輪際見つかるもんじゃねえ。そのうちどっかで拾うさ」
「死んだ兵隊のでも取るか」と伍長は笑った。
「班長殿はどこの隊でありますか」
「大島隊だ。ブラウエンへ斬り込んで、散々やられての帰りさ。落下傘部隊と協力するはずだったんだが、上空でやられて、三十人ぐらいっきゃ降りやがらねえ。それもさっさと、俺達の方のジャングルへ逃げ込んで来やがった。お蔭でこっちもやられちゃったのさ。弾も糧秣もねえし……昨日この畠を見つけて、やっと一息吐いたところだ」
 見ると、畠は甚だ精力的に荒されていた。芋の木は殆んど倒され、根芋がひとところに積まれてあった。
「こんなに芋がしこたま手に入ったのは、天の祐けさ、これだけありゃ、パロンポンまで持つだろう」
 パロンポンとは島の西北の半島突端の、後続部隊が上陸した町である。
「班長殿達はパロンポンへ行かれるのでありますか」
「おめえ、まだ知らねえのか。レイテ島上の兵は尽くパロンポンに集合すべし、って軍命令が出ている。お偉ら方もやっと、とてもいけねえと気がついたらしい。どの隊もみんなそっちへ退却中だ。パロンポンから大発で、セブへ渡してくれるって話だ——ははあ、その命令を知らねえから、こんなとこでうろうろしてやがんだな」
「はい、知りませんでした」
「よし、俺達は芋を掘れるだけ掘ったら、出発する。お前もさっさと自分で掘って、行ったらいいだろう」
「よろしくお願い致します」
 彼等は顔を見合せた。
「よろしくたあ、久振りで娑婆の匂いを嗅いだような気がするな。誰も連れてってやるっていったわけじゃねえぜ。おめえ、病人だろう。随いて来られるのか」
「出来るだけやってみます」
「ふふ、俺達はニューギニヤじゃ人肉まで食って、苦労して来た兵隊だ。一緒に来るないいが、まごまごすると食っちまうぞ」
 彼等は声を合せて笑ったが、上等兵は私の雑嚢に目をとめた。
「何だ、そりゃ。やにふくらんでるじゃねえか」
「塩であります」
「塩?」
 歓声に似た声が、一斉に三人の口から洩れた。
「そいつあ、豪儀だ。……ええと」伍長の口調は急に丁寧になった。「どうだ、そいつを俺達にも少し分けて貰えめえか。そんなに一人で持ってても仕様があるめえ。一緒に連れてってやるよ。食やしねえよ。ありゃ冗談だ」
 私に異議があるはずがなかった。
「そうか。そいつぁ、有難てえ。じゃ、あっちで分けて貰うとしようか……だが、ちょっと嘗めさせろ」
 彼等は争うように私の雑嚢へ手を入れると、一つまみずつ頬張った。
「うめえ」
 と口ごもりながら、めいめいにいった。一等兵の眼尻に、涙がちょっぴり溜った。
「どこで取ったんだ」
 と小屋へ向って歩き出しながら、上等兵がいった。
「下の村であります」
「もっとほかになかったのか」
「塩だけであります」
「そんなはずはねえがな。方々探したか」
「一軒だけであります」
「惜しいことをしたな。何かあったんだよ……俺達もついでに、ちょっくら寄って見ようか?」
「住民が逃げましたから、今頃はゲリラが来てるかも知れません」
「ああそうか。じゃここも長居は無用だな」
 私は振り返った。丘の背が海へ低くなったところ、昨日野火を見たあたりから、今日も一条の煙が、上っているのが見えた。十字架も見馴れた形で、いつもの林の上に光っていたが、こうして同胞達と会ってしまった今では、私に何も語らなかった。
 希望が生れていた。昨日からの出来事は、悪夢の名残のように、後頭部についていたが、この時パロンポン集合という一片の軍命令に要約された生還の希望を、私が信じ込んでしまった速さを考えると、中隊を出て以来、私の奇妙な経験と夢想が、すべて私が戦場で隊から棄てられたという、単純な事実に基いていたことがわかる。
 今は私は僚友と共にあり、塩を与えるという行為によって、彼等と社会的関係にある。彼等は分隊長のように、私を追い出すことは出来ないはずである。この関係に入ってしまえば、比島の村における私の殺人も、私がそれを口外しない以上、存在しないと同然であった。そして私はあらゆるレイテの敗兵と同じ資格で、セブに脱出し、やがては内地へ生還することも出来るのだ。
 敗軍における僚友が、どういうものであるか知っていたはずの私が、一握りの塩によって我々が結ばれ、協力し得ると信じてしまったのは、まさに二十日以上の孤独の結果であった。
 小屋には鶏の羽が散乱していた。
「鶏、やったんですか」
「二匹だけしめたが、あとは逃げられたよ」と上等兵は笑った。
 そこで私は私の塩を平等に、新しい僚友達に分けた。この行為は私が彼等と新しく繋ばれる、儀式のように思われた。彼等の顔に浮んだ感謝の表情は、とにかく一様であった。
「じゃ、出掛けるか。おめえ、早く芋を掘れ、塩のお礼に、俺達が掘ったのを分けてやってもいいが、なるべく沢山ある方がいいからな。もっともあらかた掘っちゃったか。おめえの畠を荒してすまなかった」
 と冗談をいうくらい、伍長は上機嫌であった。

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