三四 人類
日が暮れ、焚火の火の赤さが増した。安田と永松はそれぞれ雑嚢から、猿の干肉を出し、火の上に載せた。安田は一枚、永松は二枚出した。そのうち一枚は私の分であった。
「おい、あと何枚ある?」と安田が訊いた。
「いくらもねえ」
「何枚だってきいてるんだ」
「何枚だっていいじゃねえか。一人日に三枚より、食べねえきまりは守ってるよ。お前は煙草さえ出しゃいいんだ」
「煙草はやるが、口が一つ増えたんだ。そのつもりで、少しはせっせと獲らなくっちゃ、駄目だってことさ」
永松は黙っていた。彼が安田に答えないのを見るのは、これが初めてであった。
「ちっ」
と安田は舌打ちして、私を見た。
銭蕗に似た闊い葉が、飯盒で煮られた。安田も永松も噛んだだけで、吐き出した。生の草に馴れた私が、呑み込むのを見て、
「腹をこわすぞ」と安田が注意した。
食事が終ると、永松は胸のポケットから煙草の葉を出し、丹念にちぎって、これも大事に取ってあるらしい洋罫紙の切れ端で巻いて、火を点けた。一服一服押し戴くように、差し上げて喫んだ。安田は満足気に、そのさまを見やった。
「なあ、田村、煙草なんて何処がうめえのかね。身体にゃ毒にきまってるんだ。煙草喫む奴は馬鹿だ。ねえ、そうじゃねえか」
「どうかな」
私の喉は異様なむず痒さを感じた。永松はしかし予期に反して、私にも一服吸えとはいわなかった。
吸い終ると、彼は汚れた飯盒を集め、暗闇に姿を消した。近くの泉へ洗いに行ったらしい。
残された安田との差し向いは何となく気まずかった。もし神が垂れ下って、見ていてくれなかったら、堪えられなかったろう。
「すまねえな」と私はいった。「もう少し歩けるようになったら、食糧探してくる」
「いいさ、いいさ。どうせ長いこたねえ」
永松は飯盒に水を汲んで帰って来た。
「ほらよ」
といって、一つを安田の傍におき、一つを手に持ったまま、
「どれ、寝に行こうか」と私を促した。
「え、みんなここへ寝るんじゃねえのか」
「俺の寝床はあっちだ。お前も来ねえ」
私はだるかった。寝るのは安田の傍でもよかった。
「俺はここでもいいよ」
「まあ、一緒に来ねえ。すぐそこだよ」
「当人がいいっていうんなら、それでいいじゃねえか」
と安田がむっとしたようにいった。永松は笑った。
「悪いこたいわねえ。安田は夜になると足が痛むんでね。唸られて、煩さくって寝られねえよ。さあ」
といって、彼は私を抱き起した。安田は横を向いていた。
暗闇の中を永松にかかえられて歩いた。少し行って、安田に聞えないのが、たしかなところまで来ると、私は永松に訊いた。
「どうして、一緒に寝ねえんだ」
「まあ、今にわかるさ。こうなると、戦友だって頼りにゃならないのさ。俺がお前を連れて来たなあ、安田よりゃ頼りになるからさ」
「…………」
「お前の手榴弾、安田に取られねえように気をつけろよ。お互いに兵器は大事に持ってなくっちゃいけねえからね」
「よく俺が手榴弾持ってるの、わかったな」
「はは、そんなことぐらい、わかんなくってどうする。ほら、こうやって、お前を抱いてやってるじゃねえか」
永松は私の胴をかかえた手を延ばし、雑嚢を上から叩いた。
永松の「寝床」は安田のいる崖際から、二十間以上離れた窪地であった。竹を組み、上に萱を綴ったものを、懸け渡してあった。缶詰の空缶や被甲の内部その他、あらゆる兵士の持物のがらくたが、丁寧に一個所にまとめてあった。一振の蛮刀があった。
「いい蛮刀だな」
「猿が獲れた時料理するのさ。これが砥石だ」
天然の粗い砂岩であった。
「安田にここを教えちゃいけねえぜ。あの野郎、足のこと大層にいってやがるが、全然歩けねえってわけじゃねえんだ。こっちが寝てる間に、何されるかわからねえものな、あいつと一緒に寝ねえのは——つまり、早い話、この銃でも掻払われちゃいけねえからだ」
「何故盗るんだい」
「ふふ、まあ、今にわかるよ」
私自身も、永松に気をつけなければならないのかも知れなかった。しかし何を気をつけたらいいか、わからなかった。疲労と、久振りで胃に食物が入った倦怠から、私はすぐ眠った。