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光と影02
日期:2017-02-27 17:19  点击:303
      二
 
 翌々日の午後、船は無事大阪に着いた。傷病兵達は農夫の担ぐ戸板に載せられて大阪城内の臨時病院へ陸送された。
 この大阪陸軍臨時病院は、以前からあった大阪鎮台横の陸軍病院に加え、周囲にさらに十二棟の病室を急造して合わせたもので、最盛時には八千五百人からの傷病兵を収容したと云われている。臨時病院の院長はのちに軍医総監となった石黒忠悳で、外科部長は佐藤進であった。
 この佐藤進という人は佐倉順天堂で有名な順天堂医院の後継者で、日本で初めて独逸に留学し、正式に独逸医学を修めた人であり、その外科的技倆は当時並ぶ者ないと云われていた人であった。彼は自分が養子となった順天堂医院に勤めていたが、西南戦争が始まり、大阪臨時病院に熟練した外科医が不足していると聞くと、自ら医院を一時捨てて陸軍病院に志願したほどの熱血漢であった。陸軍省では彼のこの義勇奉公の精神を認め、直ちに陸軍軍医監とし、臨時病院副院長に任命したのである。
 
 臨時病院に入院した寺内、小武の二人の病室は東二番病棟で同室人は六人であった。いずれも少尉から大尉までの将校で、兵隊の大部屋よりはいくらか小綺麗であった。
 二人とも貫通銃創による右上腕肘関節上部の粉砕骨折で、ともに創は化膿して周りは赤く腫れあがり、創口からは青い鼻汁のような膿が流れ出ていた。副木を外すと腕は肩から力なく垂れ下り、他の手で持ち上げると肘で曲った上に、更にその四、五センチ上の骨折部でも曲るという奇妙な形を呈する始末だった。
 大阪に着いた三日目の午後に、二人は続けて手術を受けることになった。二例とも上腕の半ばから切断することに軍医達の間で異論はなかった。
「どちらから先にしますか」担当の川村軍医はその日の昼休み、医局で佐藤に尋ねた。
「二人とも同じだからどちらからでもいいが」
 呟きながら佐藤はふと目の前のカルテを見た。カルテは小武、寺内の順に重ねられていた。
「小武大尉、寺内大尉の順でいいだろう」
「承知しました」
 答えると川村軍医は手術器具の準備に医局を出た。
 貫通銃創による上腕骨の粉砕骨折と云っても、現在では切断ということはまずあり得ない。癌とか肉腫のように放置すると命にかかわるものや、血管や筋肉が広範囲に飛び散っている場合に限ってのみ切断術が行なわれる。切断というのは最後の手段でいつでも出来るのだから急ぐ必要はないのである。
 だがこれらはあくまで現在の話である。抗生物質も、体内に放置しても銹びない骨接合用金属もなく、手術器具も幼稚であった当時としては、創の化膿した粉砕骨折を、その上部で切断することは当然の医学常識であった。もしぐずぐずして切断の時期を失すると化膿菌が拡がり、敗血症や脱疸を起し、死をも招きかねないからである。
 その日の昼、小武と寺内は昼食をとらず、下着から病衣までを新しいのに着替えた。手術は午後からなので麻酔のために昼食は禁じられていた。
「遺書でも書いておこうか」
「そうだな」
 腕一本の切断だが、当時のクロロフォルム吸飲麻酔法や切断手術には、なお多少の危険があった。
 小武はベッドに正坐し、小箱の上に半紙と墨を揃えた。だが改まって考えてみると大して書くこともない。母のせいは周防の防府でまだ生きていた。数えてみると五十二歳であった。二十七歳の今日まで孝養らしい孝養もしなかったと小武はかすかな悔を覚えた。
(しかし微力ながらお国のためにだけは尽した)
 母もそれだけは分ってくれると思った。結局、孝養の至らなかったことを詫びる旨だけを、左手で簡単に書き記して封をした。
「少し散策して来ようか」
「一時までには戻らねばならぬ」
「庭までならいいだろう」
 遺書を書いた故か二人の顔は少し蒼ざめていた。二人は中庭へ通じる廊下を経て庭へ出た。
「あと半月もすれば桜だな」
 小武は芝生に胡坐《あぐら》をかき、芽吹き始めた桜の枝を見た。
「桜が咲くまでには退院できるかな」
「どうかな」
「しかし右手がなくなるというのは不便なものだな、五、六行書くのに汚い字で普通の倍以上もかかった」
「なければないで、また左手がすぐ慣れてくるだろう」
 小武は寺内へより自分に云いきかせるように云った。
「お前、妻は?」寺内が尋ねた。
「妻か……妻はない」
 小武は遠くへ眼を向けて答えた。
「そうか、それはよかった」
「お前は?」
「俺は一年前に貰った」
「東京にいるのか」
「そうだ」
「まだ報せていないのだな」
「うん」寺内は手に草を握ったままうなずいた。
「それはやはり報せてやった方がいい」
 云いながら小武は本庄むつ子の姿を思い浮かべていた。日本橋呉服商、本庄弥八郎の娘で十八歳であった。西南戦争から戻ったら叔父の仲だちで結婚をする予定になっていた。
「軍人のくせに妻など娶るべきではなかったのだ」寺内が吐きすてるように云った。
「そんなことはないさ」
 むつ子とは婚約だけであった。不具になってもその分だけ荷が軽い。だがそれだけ絆も薄いのだ。柄になく小武は淋しさを覚えた。廊下では相変らず看護卒の往来が激しい。戸板の上に軍装の男が横たわっている。
「また船が着いたのだな」
「これでは医者もたまらないな」
「我々の方は二人とも佐藤軍医監がやって下さるらしい」
「あの方なら心配はない」
「行こうか」
 小武は手術が気になった。時間でもくり上って呼びに来ていたりしたら大変である。
「先の方がいいな」
「そうかな」
「どうせ切るのだから早くやって貰った方がさっぱりする、それに……」
 芝生を歩きながら寺内が云い淀んだ。
「なんだ」
「医者も先の方が疲れがなくて順調にできるのではないかな」
「そんなことはない、一番目も二番目も同じだ、二番目の方がむしろ手慣れていいかもしれん」
「器械が足りなくなる、なんてことが起るのではないか」
「安心せい、これだけの大病院だ」
「しかし何故お前が先で、俺が後になったのかな」
「それは勿論、軍医達がいろいろ考えた結果だろう。でも一番目、二番目と云っても、せいぜい一刻の差だ」
「戦場でならともかく、こんな病院で死ぬのは嫌だからな」
 寺内の柄にない弱音を聞いていると、小武も不吉な予感にとらわれた。
「明日になれば二人とも片腕で飯を食っているさ」
 小武はことさらに陽気に云った。不思議なことに腕の痛みはなかった。半刻後に手術台に上るという緊張感が、痛みを忘れさせているのだった。
 
 午後一時半、小武は看護卒に付き添われて手術室に向かった。廊下の窓ごしに見える午後の空は雲一つなく底抜けに明るかった。空気が乾いていると思った。それがその日、小武が意識のなかで知っている最後の戸外の情景であった。
 午後二時丁度、佐藤軍医監執刀の下、川村以下二名の若い軍医が助手となって、小武大尉の上腕切断術が始められた。麻酔用クロロフォルムを嗅がされ、一時は興奮期に入り暴れ苦しんでいた大尉も、いまは麻酔剤がきいておとなしく眠りについていた。
 まず皮膚を、断端を筒状におおう形に型取りしながら切り離し、上方に翻転してから筋肉に向かう。このあとは輪切りに骨まで一気に進む。佐藤軍医監は一尺五寸にも達する細く長い切断刀を顔の正面に垂直に立てた。刀に向けて微かに黙祷をする。それにならって腕を支え、創口を開いている二人の軍医も目を伏せた。切断する時の術者の礼儀である。
「ゆくぞ」
 その声で軍医達は一瞬の瞑目から覚めた。
「止血帯は大丈夫だな」
「はい」
 肩口は太い皮紐で皮膚が括れるほど引き絞られている。その位置で一旦すべての血を停止しておく。この紐が緩んではたちまち大出血を起し一命を失う。輸血も補液もなかった時代である。
「では」
 細く長い刃が午後の手術場の中で輝いた。刃は斜め横から縦に走り、一転して裏面の肉を横断した。瞬間、小武大尉の上体が反り返ったが、左右を固めた軍医達に押え込まれた。一瞬のうちに中央の径二寸の骨を残して筋肉、血管、神経のすべては切り離されてしまった。
「鋸」
 切り離された個所から肉を上方におし上げ露出した骨に洋鋸が当てられた。
「しっかり持て」
 小さな骨粉を出しながら鋸は骨を切り進んでいく。
「離れるぞ、いいか」
 その瞬間、小武大尉の腕は音もなく待ち構えた若い軍医の手の中に落ちた。
「被布に包んでおけ」
「はい」
 腕は妙に軽々しく虚しかった。これが今迄敬礼をし、抜刀し、敵をねじ伏せた腕とは思えなかった。軍医は手術場の隅でもう一度丁重に頭を下げると、孤独になった腕を白い被布でくるんで床の上に置いた。
 断端の血管を閉じ、神経を束ね、その上に筋肉を覆《かぶ》せ、皮膚を寄せれば手術は終る。見かけの派手さに較べ、切断術はさして難しい手術ではない。それは建物の壊れた部分を取り除くのが、復元するのより易しいのと似ていた。
 半刻で小武大尉の手術は終り、彼はなお麻酔が覚めきらぬままに病室へ戻された。
 
 寺内大尉が手術台に上ったのはその約半刻あとであった。すぐクロロフォルムを嗅がされ悶えた末、やがて彼も意識を失い手術台上に褌一枚の姿で眠りに入った。
 小武大尉の手術に加わった三人の若い軍医達は手を洗い直し、新しい術衣に着替えて再び寺内大尉が横たわっている手術台を囲んだ。
 全身に消毒布をかけ、切り落す腕だけが光の中にあった。ゆっくりと佐藤進が手術台に向かった。軍医達は佐藤がメスを執り、皮膚を切り込むのを待った。
 三十秒経ち、一分経った。だが佐藤はメスを執らない。不審に思って川村が目を上げた時、佐藤が云った。
「川村君、一つ実験をやってみないかね」
「はあ?」
「軍陣外科の実験だ」
「と云いますと……」
 川村には佐藤の云おうとしていることが分らなかった。
「こんな若い青年の腕を切るのはいかにも辛い」
 それは川村も同じだった。佐藤ほどではないが川村もここへ来て十以上に及ぶ手足を切断していた。手術はともかく、不具を決定的にしたという気持がたまらない。
「粉砕した骨片を充分に摘《と》りだすという方法がポンペの医学書に書いてある。腕を残したいのだ」
「お言葉ですが、この例は化膿がひどすぎて……」
 川村軍医もポンペの医学書は読んでいた。その中に砕かれた骨片を充分に摘り出し、良い肢位に肢を固定して骨の新生を待つという方法が書かれている。だがこれには骨が化膿していないという条件があった。
「ほかに何が問題かね」佐藤が尋ねた。
「それにこれも前の例と同じに砕けた骨片が多く、全部摘り出すと骨のない部分だけで一寸以上もの空間が生じます。その間を新生骨がうずめるのはかなり困難なことかと思います」
 川村の云うことは正論であった。それが医学的に正しいことは佐藤が一番良く知っていた。だがその方法は正しいというだけで新味はなかった。
「あまり沢山の腕を切り落したのでなあ」
 それが佐藤の本音であった。しかし、佐藤にしたところでポンペの方法で治るという根拠も自信もなかった。初めから適応が違うのである。
「化膿していてはやはりいかんかのう」
 分りきっていることを佐藤は呟いた。化膿があるかぎり創はふさがらず健康な骨までも蝕み延々と排膿が続き敗血症になる危険性もある。それは医学書にはっきりと書かれている。だが川村はそんなことを改めて云う気にはなれなかった。外科医として佐藤の気持はよく分った。
「何年か経てば膿はおさまるかも知れん。どんな利かぬ手でも、自分の手があるにこしたことはないだろう」
「ですが、寺内大尉にはすでに……」
「寺内君には悪いが実験台になって貰おう、どうかね」
「はい」
 川村に異論はなかった。出来ることなら彼も切断以外の手術をやってみたかった。
「軍陣外科は戦争の度に進歩し、それがまた次の戦争に役に立つ」佐藤は誰にともなく云った。
「じゃ、いいな」
 メスを持ちながら佐藤は、何故こんな時にこんなことをやる気になったのか、自分で自分の気持が分らなかった。
 

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