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宣告06
日期:2017-02-27 17:34  点击:348
     六
 
 祁答院が病室に絵の道具を持ち込みたい、と云い出したのは旅行から帰って三週間経った五月の初めであった。
「ここで描きたいのですがよろしいでしょうか」
 右腕から点滴を受けたまま彼が云った。
「ここで描けますか」
「ベッドを控え室に移してこの一間全部を使えばやれます」
「控え室で眠るのですか」
「描いている間は誰にも逢いませんから」
 痩せて大きくなった眼だけが異様に輝いている。祁答院の芸術家としての本性がようやく目覚めたようである。
「幾日くらいかかるのですか」
「分りません、とにかく死ぬ前にやり終えるだけです」
 声とともに眼が熱っぽく船津に語りかけていた。妻のかね子は横で一言も云わなかった。一度云い出したらあとへ退くはずがないとでも云いたげに諦めた表情である。
「貴方が云ったとおり、これが私の最後の作品になります」
「………」
「よろしいですね」
 船津は祁答院の視線を顔に感じながら考えた。今、描くことを許すことは死に追いやるようなものであった。だが、だからと云って今となって許さないということは出来そうもない。死期を告げたことも、旅行を許したことも、すべてが最後の傑作を書かせるためであった。医学的には失敗であったが、その失敗はもはや作品を描くことでしか償いようがない。
 船津は目をあげた。壁のカレンダーの日がさらに赤い×印で塗り潰されている。あと何日か、そう思った時、彼は祁答院を見返した。
「よろしいですよ」
「描かせてくれますか」
「ベッドを早速動かさせます」
「明日から本格的に始めます」
「頑張って下さい」
 船津は今は医者というよりも祁答院の助手でしかなかった。
 
 病室の西側の壁一面に三十号に及ぶ下地が立てかけられた。その前に椅子に背をもたせて祁答院は外房でスケッチしてきた画帳をとり出した。構想はすでに出来上っていたらしく一日目から当りをつけ出した。描きたいという欲望だけが彼を画面の前に坐らせているようだった。
 日本画はまず画面に木炭で大体の形を描きそこに線描筆で線を描き、本描きをする。このあと、はけを用いて画面全体を地塗する。そこまで下絵の段階である。長く根気のいる作業である。
 一日二度、体の調子の比較的落ちついている午前十時から十二時と、午後二時から四時までの各二時間を描くのに当てるという約束であった。
 だがこれは痩せ衰えた祁答院にとってはかなりの苦痛であった。画面の低いところは椅子にかけたままでもできたが、高いところや極端に低いところは、背伸びするか蹲《かが》まねばできない。旅行から戻ってきて以来、ベッドにしかいたことのない祁答院は立ち上っただけで軽い眩暈に襲われる。十分間立ち続けただけで全身に汗が滲み出る。安楽椅子に坐りしばらく息を整え力が満ちてくるのを待つ。だがその間も彼の眼は画面に灼《や》きつけられている。
 描いている時は面会人は勿論、船津でさえ彼に話しかけない。話しかけても彼は答えない。すべての神経が画面に集中しているのである。たがそれだけに二時間の作業を終えたあとの疲労は甚しかった。作業を終え床に入り込むと途端に彼はすべての力を使い尽したように眠り込む。軽く口をあけた寝顔は頬が落ち、眼には黒い隈が生じ、睫毛がかすかな翳を落している。その肌は土気色で生者のものとは思えない。
 だが彼は午後二時に再び眼覚める。痛みで覚める時もあるが、眠っている時には妻が起す。一度、折角眠っているのだからと起さなかった時、祁答院はベッドの毛布をすべて蹴り捨てて怒った。
「俺には期限があるのだぞ、展覧会の締切りとは違う、また来年ということもできん絶対的な期限なのだ」
 どこにそんな余力が残っていたかというような声をあげて叱りつけた。それ以来どんなに熟睡していても妻は彼を起すことにしている。午後の二時間は彼にとっては午前の二時間よりさらに辛い。午後は立つ仕事はしない。坐って描けるところだけに集中する。時々椅子を引き退《さ》げさせては全体を眺める。絶えず自分で呟き、文句を云いながら描いていく。まるで画面にとり憑《つ》かれた虫のようである。
 描き出して三日目に測った体重は五十キロを割り四十九キロに減じていた。百七十センチと年齢にしては上背のある祁答院だけに、その減りようは限界を越えていた。
 仕事が始まって一週間経ってから病室に二人の助手が現われた。いずれも祁答院の弟子で彼の家に住んでいた人である。二人は祁答院の手が及びかねる部分を命じられるとおり彼に替って描く。だが他人の手では所詮、自分の手のようにはいかない。
「もう少し丸味を出して、少し下に、馬鹿、そんな下じゃない、下手くそ」
 椅子に坐ったまま彼は自分で出来ぬじれったさを弟子に投げつけた。作業の間中、弟子は徹底的に怒鳴られる。三十前の勉強中の画家に六十を過ぎた天才的な画家と同じような線を描けという方が無理である。だが彼はそれを無理とは思わない。無理とか当然という以前に彼の頭には絵のことしかない。あと数カ月の命であることをかね子から聞かされた弟子達は黙々と祁答院の罵声に従った。
 描き始めてから一カ月半でどうやら下絵ができ上った。いよいよ彩色である。
 だがその前日に祁答院は再び発熱をみた。夜の検温は三十七度八分である。疲れが再び熱を誘ったのである。朝になっても体温は三十七度五分を下らず食欲は全くなかった。
 船津は早速、点滴を指示した。祁答院は荒い息をくり返していた。
「今日は休んだ方がいいですね」
 聴診を終えたあと船津はドアの外で妻に伝えた。だが十時に妻が外来にいた船津の許へ駈けつけてきた。
「今日も仕事をやると云うのです」
「本気ですか」
「点滴も自分でとってしまいました」
 船津は病室へ戻った。控え室のベッドは空で、点滴チューブは宙に浮いている。
「筆、隈筆だ、しっかり支えてろ」
 奥から相変らず祁答院の叱声が聞こえる。病室とのドアを開けると、二人の助手に両脇から支えられて祁答院が画面の前につっ立っている。もう一人の助手が足場もないほど拡げられた絵具壺から、筆に絵具を塗っては手渡している。
「丹」
 祁答院が朱色を求めた時、かね子が叫んだ。
「あなた」
 声を聞いて背を支えられたまま祁答院が振り向いた。寝間着の上に胸から膝まで白い仕事着をつけている。
「先生がお見えですよ」
 祁答院は瞬時、船津の顔を見ていたが、やがて一言も云わず再び視線を画面へ戻した。
「薄いぞ」
 低く云って今程渡された筆を助手に戻す。色はまだ右のごく一部しかうずめられていないが、線描きでそれが海岸の風景であるとしれる。何段も続く丘陵の先に海が見える構図である。
 妻が困惑した表情をみせた。
「いいですよ、自由にさせてあげて下さい」
 船津は控室に戻りながら、振り返った時の祁答院の燃えるような眼を思い出していた。

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