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猿の抵抗03
日期:2017-02-27 18:01  点击:272
     三
 
 今日、新しく猫の看板が立てられた。
 場所は前と同じ処だが、今度のは|にゃんこ《ヽヽヽヽ》というより|ドラ猫《ヽヽヽ》に近い猫相の良くない顔に描かれている。しかも黒い顔には不釣合に、赤と黄の派手な三角帽をかぶせてある。顔に似合わないこと甚だしい。しかし人目は今度の方が惹くかもしれない。前のが壊されてから、丁度一週間目である。
 午前十時に佐野君のところへ女性の見舞客が来た。もう三度目なので病室へ入るなり躊躇せずに一番奥の彼氏のベッドへ近付いた。この人は最初来た時、大きなデリシャスと柔らかい紙に包んだ梨を一つずつ私達へ配っていった。
 グリーンのコートと同じ地のベレーをかぶったこの女性は、佐野君の許婚者なのだろうと私は推測していたが、まだあまり親しくもない彼にそんな不躾な質問は出来なかった。
 昼食を食べ終った時に今度は私のところに面会人が来た。
「川井さん御面会」という看護婦の声に私は驚いて身を起した。
 私の処へ面会人が来ることなぞは滅多になかった。来るとしたら義兄か、さもなくば市役所の福祉課の人でもあろうか、私は何気なく身構えた。しかし病室のドアを押して現われたのは、白衣を着た二人の学生であった。
「川井さんいますか」
 彼等を見て私は気合が抜けてしまった。先週、学生実習に出されてから早くも一週間が経っていた。臨床実習は学生を三つの大きなグループに分けているらしく、今週は第二番目のグループが私の症状を見て、勉強する番らしかった。
 二人は鞄からノートを取り出すと、先週の生徒と同じような手順で私に質《たず》ね、診察を始めた。実のところ私はもう学生実習は勘弁して貰いたかった。だが私は学用患者であった。特異な症状を持っているからこそ、大学病院にのんびり入院していることもできる。医師や学生にいじくりまわされるのは、いわば私の生きていく糧《かて》であった。自分の奇形をたねに金を得る見世物芸人がいる。私もそれと大して変りはない。これは私にとって大切なお勤めであった。
 先週の学生実習が終った翌日、桐田医師は、
「大変だったろう」と云った。
「大変どころか、怖ろしかった」と私は正直に答えた。
「心配するな。死にはしない」彼はそう云ったが私が怖れているのはそんなことではなかった。自分の症状が医学書に記載してある通り、寸分の狂いもなく現われるのが怖かったのである。彼は私を病気を持っている者としてしかみない。私自身よりも私の病気が面白いのだ。
「来週も頼むよ」
「上手にですか」
「みんな期待してるんだ」そう云うと彼はハイライトを一本、抜き取ってくれた。煙草を貰っても私は気が進まない。
 
 二人は部厚い医学書を見較べながら私の症状を調べていく。
「両手をずっと開いて、こうして指先を合わせてみて」
「真中でね」
 そんなことは先刻承知のことであった。私はこのテストの熟練工である。目を閉じてやれば、指先は合わないに決っている。二人は満足気にノートへ何やら記入していく。
 私はふとこの純情そうな学生から、いろいろなことを聞き出してやろうと思いついた。
「どこが悪いとこんなことになるの」
 二人は患者からの突然の質問に戸惑ったような顔を見合わせた。慣れた医師ならこんな質問は適当にあしらって、あまり詳しくは教えないものだが、学生達は本をめくって、もう一度念入りに、確かめてから云った。
「運動失調だから、主に小脳の協同運動の中枢がやられているということになるんです」
「やられているというのはどういうこと、梅毒で?」私はちょっと声を落して聞いた。
「いや、これは変性梅毒ですからね、純粋の梅毒ではないわけです。スピロヘーターより、むしろその毒素が問題だと云われているんです」
 背の高い方が今度はすらすらと答えた。私は学生の試験官のような気分になった。
「済みません肢《あし》を組んで下さい」再び膝のテストが始まった。ハンマーで膝の下を叩く、例の通り反応はない。
「これは何というの」ずうずうしくなって叩かせながら私は聞いた。
「膝蓋腱《しつがいけん》反射」小さい方が云うと、
「いや、ウェストファール症候だろう」と大きい方が云い加えた。
「普通は腱反射というのだけど、反応がない状態をそう呼ぶんです」
「これは何処が罹《や》られているの」
「脊髄だよな、末梢の反射路だから」小さい方はあまり自信がないらしく一言一言大きい方の同意を求める。
「第四腰髄の反射路が切れている症状です」
「成程」学生に答えさせながら私は何となく愉快だった。
 彼等は型の如く、筆と針先で肢の方の知覚検査をやり出した。これは脊髄の後根という知覚を感じるところがやられている証拠だと云う。そこまでやると「まだ何かあったか」と大きい方が質ねた。
「こんなんでいいんじゃないか」小さい方はあまり勉強はしていないらしい。
「目の方はいいの」私が云ってやると二人はきょとんとして私を見つめる。
「そうだ、やるんだよ」大きい方が再びノートを開いた。
「トリアスかい?」小さい方が云った。
「トリアスってなあに?」この言葉は先週の臨床講義の時の帰りしなに桐田医師が云った言葉だった。二人は再び顔を見合わせた。
「何だい」私がもう一度聞くと大きい方が観念したように説明を始めた。
「要するに三つという事で……ある病気のね、それを決定する代表的な三つの症状を云うわけです」
 あの時、「トリアスを立派に備えている」と桐田医師は云っていた。
「じゃこの病気のトリアスは何なの?」
「ううんと……」小さい方はどうもつまずく。
「ウェストファール症候と、アーガイルロバートソン症候と、ランツニイレンデシュメルツェン、この三つです」
「何だいそれは、小父さんはドイツ語は全然だめだ、教えてくれよ」大きい方がまた困惑した表情を見せる。
「ランツニイレンとかって云うのは」
「肢の方に電気にうたれたような痛みが走るでしょう」
「うんうん、あるある」私は陽気に答えると、
「アーガイルってのは」
「いまやってみます……ちょっとこっちを向いて下さい」
 彼等はいかにも丁寧であった。桐田医師のように当然のような態度で診られるのからすると、こちらの方がずっと感じが良い。
「ちょっと眩しいですよ」
 わかっている事だった。
「普通は光が入ると目の瞳孔は縮むんですけど、小父さんのは縮まらないんです。このように瞳孔が強直を起したままの状態を云うのです」
 大きい方は仲々よく勉強してきているらしい。これで光に向うと妙に眩しい理由が初めて解った。
 彼等はノートをしまい始めた。
「この病気で死ぬようなことがあるの?」
 いよいよ、私は核心のところを尋ねた。
「ありませんよ、慢性だから、二、三十年の間、少しずつ進むだけです」
「そして最後にはどうなるの」
「頭に来ちゃうんだろう」小さい方が口を滑らした。
「なあに」慌てて私はきき返した。冗談じゃない。その一言をきいて私はすっかり取乱してしまった。
「いやその……時に頭の方が冒される場合もあるのです……」
 大きい方が苦しそうに答える。そうは云うが、この場合は小さい方が云った事の方が確からしい。最後はそれこそ脳梅毒みたいになって狂い死にするのであろうか。私は今までひとごとのように聞いていた様々な症状が、すべて私自身にしみついた癒しようのない症状なのだと云う事を改めて知った。あれもこれも、そのどれもが大変な代物であった。本当に容易ならぬ病気にとりつかれたものである。私は物を云う気力もなく目を伏せた。
「それじゃ、どうもすみませんでした」
 二人は本当に済まなそうに頭を下げた。そんなに気にしなくてもいいのだ。こんな病気になったことは彼等に責任はないことだ。
「御苦労さん」そう云いながらやはり私の心は晴れなかった。
 
 その夜、私は仲々寝つかれなかった。金子氏の鼾が何時もと違ってかん高いのだ。しかしそれよりも二人の学生から聞き出した様々な症状の説明が、頭から離れなかったのが最大の原因であった。
 梅毒の毒素が小脳から脊髄に廻っていることは確からしい。最後には頭に来る。小さい方の学生はあれだけはずばりと云ってのけた。他はほとんど自信が無さそうだったが、末期に脳に来るという事だけは初歩的な知識なのかも知れなかった。
 桐田医師は勿論、そんなことは充分に知り尽しているに違いなかった。脊髄の、小脳の何処がやられているからどのような症状がでるということもすべて見通している。彼にとっては、私は貴重で面白い患者に違いない。私は教科書みたいなものだ。私の示すどんな些細な症状も彼には簡単に説明がついてしまう。私は彼にすべてを握られているのだから秘密の持ちようもなかった。本当に自分の体はおかしいのだろうか。
 私は布団の端から両腕を出すと、思い出したようにフィンガーフィンガーテストを試みた。目を閉じるときまって右の人差し指が左のそれに合わずに通り過ぎた。目を開いて見ると指と指との間隔は五センチ近くも離れている。
「小脳失調の典型的な例を供覧する」
 明日の午後、桐田医師は多くの学生の前で私に指を交差させながら得々と説明するに違いない。あれはぎっしり詰った観客の前で、手品をしてみせるのと少しも変りやしない。やる人は裏の裏まで知り尽している。やってみてからのお楽しみという寸法だった。
 冗談ではない。私はあんな医師の操り人形になるのは御免だった。あいつなどに解らないところが私にだってある筈だ。云いなりになぞなりたくなかった。そう思ううちに、私は我ながら面白い考えを思いついた。
 両端から指を進めてくる。右は大抵、五センチ程左の指の前を通る。それならいっその事、初めから五センチ位外れる積りで進めれば合うのではないだろうか。最初から合わせない積りでやれば、却って合うのではないだろうか。
 思い切って私はやってみた。五センチ外側を、と思うと却って突飛もなく外れる事があった。仲々うまくいくものではなかった。
 だが私は桐田医師を何とか見返してやりたかった。こんな誤魔化しがたとえ成功しても私の病気は少しもよくなるわけではなかったが、私のすべてを知っているかのような桐田医師に一泡ふかせてやりたかった。医学の上にどっかと胡坐《あぐら》をかいている、あの自信あり気な態度を崩してやりたかった。
 三十分もやった時、ふとしたはずみで指先と指先が触れた。信じられなかった。もう一度やった。戸惑ったが、そう離れずに触れた。うまくいくのかも知れない。私は躍起になった。更に三十分やった。慎重にやると二回に一回は指先が合う。右の掌を、軽く外側へ向け、十センチ位は外す積りで弧を描いていると当るのだ。くたびれた腕を床で暖め、奮い起すように私は何度も試みた。今止めると折角覚えた感覚を忘れて、もとのもくあみになってしまう恐れがある。
 練習を始めて一時間は経った。合わずにすれ違うのは三回に一回くらいになった。
 一度でも成功すると私は一層強気になった。
 更に三十分もすると七、八割は合うようになった。膝の方も、と私の欲は拡がっていく。彼等は私の膝が叩かれても反射を示さないのを期待している。この病気はそうなる筈だと信じている。桐田医師は明日皆の前でこの不思議な現象を大見得きって説明しようとしているのだ。
「どっこいそうはいかないぞ。そんな目は簡単に狂わせてみせる」
 くたびれると桐田医師の顔を思い出して私はファイトを盛り立てた。膝を叩いた時、素早く下肢を挙げてやればいいのだった。これはすべて調子よくゆくとは限らない。しかし二回に一度でも叩くと同時に挙げれば桐田医師はあわてるに違いない。こんな筈ではないと云っても、すでにお客が詰めかけて、見ているのだ。この反応はその気になれば何時でも出来ることだった。
 布団の下で肢を組み合わせ、掌の側面でぽんと膝の下を叩く。叩くと同時に肢を挙げる。しかし弾かれたように挙げねばならない。挙げるだけは簡単だが作為的にやったのはすぐ見付かりそうだった。これの方が難しい、でもやれるだけはやってみよう。私は時の経つのも忘れて布団の中で何回もくり返した。
 それが終ると私は起き上り、詰所で懐中電燈を借りてトイレへ行った。鏡で私は自分の目を見つめた。鏡に写った目だけみるのはひどく疲れる。瞳孔はよくみるとたしかにいびつで強張ったように動かない。云われた通り光を入れても瞳の大きさは少しも変らなかった。
 瞳孔の大きさまで変えることはとても出来そうもなかった。二十分もすると寒さと根負けで、これだけは諦めてしまった。
 しかしこれでトリアスのうちの二つ、最悪の場合でもひとつは打消すことが出来る。便所から戻ると私はもう一度、フィンガーフィンガーテストを試みた。一回目はちょっと失敗したが二回目からは殆ど上手《うま》く行った。
 敬遠していた学生実習が、急に待ち遠しく思われた。明日の午後は「あっ」と云わせてやる。
「教科書通りの病状が揃っている」桐田医師のちょっと気取った云いまわしがどう変るのか、私は浮き浮きしながら眠りについた。

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