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梁惠王章句上(三)
日期:2017-03-24 22:52  点击:498


梁惠王曰、寡人之於國也、盡心焉耳矣、河内凶、則移其民於河東、移其粟於河内、河東凶亦然、察鄰國之政、無如寡人之用心者、鄰國之民不加少、寡人之民不加多、何也、孟子對曰、王好戰 、請以戰喩、塡然鼓之、兵刃既接、棄甲曳兵而走、或百歩而後止、或五十歩而後止、以五十歩笑百歩、則何如、曰、不可、直不百歩耳、是亦走也、曰、王如知此、則無望民之多於鄰國也、不違農時、穀不可勝食也、數罟不入洿池、魚鼈不可勝食也、斧斤以時入山林、材木不可勝用也、穀與魚鼈不可勝食、材木不可勝用、是使民養生喪死無憾也、養生喪死無憾、王道之始也、五畝之宅、樹之以桑、五十者可以衣帛矣、鷄豚狗彘之畜、無失其時、七十者可以食肉矣、百畝之田、勿奪其時、數口之家、可以無飢矣、謹庠序之教、申之以孝悌之義、頒白者不負戴於道路矣、七十者衣帛食肉、黎民不飢不寒、然而不王者未之有也、狗彘食人食而不知檢、塗有餓莩而不知發、人死、則曰非我也歳也、是何異於刺人而殺之、曰非我也兵也、王無罪歳、斯天下之民至焉。

 梁の恵王が言った。
 梁恵王「小生、国の政策にはひたすらに心を尽しているつもりです。河内地方が凶作となれば、その住民を河東地方に移住させて食糧難を緩和し、反対に河東地方の糧食を河内地方に移入します。逆のばあいもまたそうします。わが隣国を見回しても、おそらく小生ほど政策に気を遣っている君主はいないはずです。それなのに隣国の人民が減じてわが国に移り増えるといったことが起きないのは、どうしてなのでしょうか?」
 孟子「王は戦争がお好きであるとうかがっております。戦争によって喩えさせてくだい。今、いよいよ進撃の陣太鼓が鳴り響きました。両軍の兵は刀で接近戦に入りました。このとき、二人の者がおじけづいてヨロイも武器も捨てて背走したとします。一人は五十歩走って止まりました。もう一人は百歩走って止まりました。ここで五十歩で止まった者が百歩で止まった者を笑ったとしたら、果たしてこんな資格があるのでしょうか?」
 梁恵王「ありませんな。百歩走らなかっただけで、背走したのは同じなのですからな。」
 孟子「王よ。そのことをお分かりならば、王の国の人民が隣国より多くなることをお望みになってはなりません。だいたい、人民を使役するのに農繁期を避ければ、食糧は食べきれないほど収穫できるものなのです。池に細かい網を入れて乱獲しなければ、魚は食べきれないほど水揚げできるものなのです。伐採者に山に入る時期を規制すれば、材木は使い切れないほど伐り出せるものなのです。このように飯も魚も材木もありあまるほど得られるようにまず配慮する政策は、これこそ人民が家族を養いきちんとした葬式を行えるようにするものです。家族を養いきちんとした葬式を行えるようにする政策は、王道の始まりです。(土地・家族に対しては、このような制度を採用するべきです。つまり、) •
一家族につき宅地を五畝(9.1アール)。そこに桑の木を植えさせれば、五十の年寄りが絹を着ることができます。


鷄 ・豚・犬の飼育をむやみに屠殺せず計画的に繁殖させれば、七十の年寄りが肉を食べることができます。


一家族につき農地を百畝(1.82ヘクタール)。農繁期をじゃましないようにすれば、一家族数人ぐらいなら餓えることはありません。


道徳学校の教育を徹底させ、親への孝行(孝)と年長者への尊敬(悌)の秩序を教え込ませれば、白髪の老人が道路で重荷を背負って苦しむような光景はなくなります。

こうして、七十歳の老人がみな絹の服を着て肉を食い、人民は餓えも凍えもしなくなります。ここまでして王にならない者は、未だかってありませんでした。
 なのに、犬や豚に与える食糧は十分に確保しても、貯蔵庫に食糧を蓄えない。路頭で飢え死にしている者があっても、貯蔵庫を開かない。こんなやり方をしながら人が死ねば「今年は凶作だからしょうがない」などと言うのは、人を刺し殺しておいて「俺がやったんではない」と強弁するのと一緒ではありませんか。王が、人民の困窮を凶作のせいなどにせず、これは自らの責任だと自覚して政治をなさるようならば、天下の人民は王の下に群がり集まってくるでしょう。」

 


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