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梁惠王章句上(七 その2)
日期:2017-03-24 22:58  点击:474
曰、不爲者與不能者之形、何以異、曰、挾大山以超北海、語人曰我不能、是誠不能也、爲長者折枝、語人曰我不能、是不爲也、非不能也、故王之不王、非挾大山以超北海之類也、王之不王、是折枝之類也、老吾老、以及人之老、幼吾幼、以及人之幼、天下可運於掌、詩云、刑于寡妻、至于兄弟、以御于家邦、言擧斯心、加諸彼而已、故推恩足以保四海、不推恩無以保妻子、古之人所以大過人者無他焉、善推其所爲而已矣、今恩足以及禽獸、而功不至於百姓者、獨何與、權然後知輕重、度然後知長短、物皆然、心爲甚、王請度之、


 斉宣王「やっていないということと、能力がないということの違いを教えてください。」
 孟子「『泰山を抱えて渤海を飛び越えるようなことは、私はできない』と言うとき、それは能力がないということです。一方、『目上の人におじぎをすることは、私にはできない』というとき、それはやっていないということです。能力がないはずがない。つまり、王が王としての資格が無いのは、山を引っこ抜いて海をひとまたぎするようなことをしないからではなくて、本当はできるはずの目上の人へのおじぎをしていないようなものだからなのです。自分の親を敬う心を他人の親にまで及ぼし、自分の子供をいつくしむ心を他人の子供にまで及ぼせば、天下は手のひらで転がすがごとく用意に手に入りましょう。詩経にこうあります。

 

 文王、妃に家法を示したまい、
 兄弟にまで掟をおよぼし、
 かくのごとくして、ようよう家整い、国家を御したまう。
 (大雅『思齊』より)

こういうわけです。身内への心を家の外までも及ぼした、ということを言っているだけなのです。ゆえに、身内への心を外に展開させれば、それだけで天下を保つのに十分となります。逆に、身内への心を外に展開させることがないようならば、そんな思いやりのなさでは己の妻と子をつなぎとめることすらできますまい。いにしえの人が今の人より優れていた点は何か?なんということはない。身内への心を外にまで展開できた、それだけなのです。王は今、情けのお心を禽獣どもにまで及ぼされた。なのに人民に恩沢が至っていないというのは、どうしてなのでしょうか。モノの重さはハカリで量り、モノの長さはモノサシで計ります。モノはこうやってみな基準の道具ではかることができます。だが、心の大きさ情けの深さははかることが大変難しい。それでも王よ、どうかご自分の心の大きさ深さをはかるように、気を配られませい。


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