孟子之平陸、謂其大夫曰、子之持戟之士、一日而三失伍、則去之否乎、曰、不待三、然則子之失伍也、亦多矣、凶年飢歳、子之民、老羸轉於溝壑、壯者散而之四方者幾千人矣、曰、此非距心之所得爲也、曰、今有受人之牛羊而爲之牧之者、則必爲之來牧與芻矣、來牧與芻而不得、則反諸其人乎、抑亦立而視其死與、曰、此則距心之罪也、他日見於王曰、王之爲都者、臣知五人焉、知其罪者、惟孔距心、爲王誦之、王曰、此則寡人之罪也。
孟子が平陸(へいりく。山東省)に行って、そこを治める大夫(上級家老)の孔距心に言った。
孟子「あなたの配下の持戟の士(戟を持つ一般家臣)が一日に三回隊伍を離れる規律違反を犯したならば、この者を罷免するでしょうか?」
孔距心「三回も待たずに罷免しますよ。」
孟子「ほう。ならば、あなたもまた隊伍を離れるに等しい行為を多くしていませんか?凶作飢饉の年にはあなたの領地の人民はどうですか。老人と病人が溝に転がり落ちて倒れているではありませんか。壮年の者が幾千人も四方に離散してしまうではありませんか。(職務怠慢でしょうが。)」
孔距心「ですがそのようなことは、それがしの為しうる範囲のことではありません。」
孟子「今、人から牛羊を委託されて飼っている者がいるとします。その者は必ず家畜のための牧地とまぐさを探すでしょう。牧地とまぐさが探しても見つからなければ、その者は牛羊を持ち主に返すでしょうか、それとも黙ってそれらが飢え死にするのを見ているでしょうか?(職務怠慢なのに、なぜ領地を返上しないのですか。)」
孔距心は言った、「確かにこれは、それがしの罪です。」
他日、孟子は斉王に会見して言った、「王の国の都市を治める家臣をそれがしは五人知っておりますが、その中で自らの罪を自覚しているのは孔距心だけです。」
こうして、孟子は王に対して孔距心との問答の内容を語った。斉王もまた言った、「確かにそれは、小生の罪です。」