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破戒3-4
日期:2017-05-31 22:30  点击:343
        (四)
 
 其日蓮華寺の台所では、先住の命日と言つて、精進物(しやうじんもの)を作るので多忙(いそが)しかつた。月々の持斎(ぢさい)には経を上げ膳を出す習慣(ならはし)であるが、殊に其日は三十三回忌とやらで、好物の栗飯を炊(た)いて、仏にも供へ、下宿人にも振舞ひたいと言ふ。寺内の若僧の妻までも来て手伝つた。用意の調(とゝの)つた頃、奥様は台所を他(ひと)に任せて置いて、丑松の部屋へ上つて来た。丑松も、銀之助も、文平も、この話好きな奥様の目には、三人の子のやうに映つたのである。昔者とは言ひ乍ら、書生の談話(はなし)も解つて、よく種々(いろ/\)なことを知つて居た。時々宗教(をしへ)の話なぞも持出した。奥様はまた十二月二十七日の御週忌の光景(ありさま)を語り聞かせた。其冬の日は男女(をとこをんな)の檀徒が仏の前に集つて、記念の一夜を送るといふ昔からの習慣を語り聞かせた。説教もあり、読経もあり、御伝抄(おでんせう)の朗読もあり、十二時には男女一同御夜食の膳に就くなぞ、其御通夜の儀式のさま/″\を語り聞かせた。
『なむあみだぶ。』
 と奥様は独語のやうに繰返して、やがて敬之進の退職のことを尋ねる。
 奥様に言はせると、今の住職が敬之進の為に尽したことは一通りで無い。あの酒を断つたらば、とは克(よ)く住職の言ふことで、禁酒の証文を入れる迄に敬之進が後悔する時はあつても、また/\縒(より)が元へ戻つて了ふ。飲めば窮(こま)るといふことは知りつゝ、どうしても持つた病には勝てないらしい。その為に敷居が高くなつて、今では寺へも来られないやうな仕末。あの不幸(ふしあはせ)な父親の為には、どんなにかお志保も泣いて居るとのことであつた。
『左様(さう)ですか――いよ/\退職になりましたか。』
 斯う言つて奥様は嘆息した。
『道理で。』と丑松は思出したやうに、『昨日私が是方(こちら)へ引越して来る時に、風間さんは門の前まで随いて来ましたよ。何故斯うして門の前まで一緒に来たか、それは今説明しようとも思はない、なんて、左様(さう)言つて、それからぷいと別れて行つて了ひました。随分酔つて居ましたツけ。』
『へえ、吾寺(うち)の前まで? 酔つて居ても娘のことは忘れないんでせうねえ――まあ、それが親子の情ですから。』
 と奥様は復(ま)た深い溜息を吐(つ)いた。
 斯ういふ談話(はなし)に妨(さまた)げられて、銀之助は思ふことを尽さなかつた。折角(せつかく)言ふ積りで来て、それを尽さずに帰るのも残念だし、栗飯が出来たからと引留められもするし、夜にでもなつたらば、と斯う考へて、心の中では友達のことばかり案じつゞけて居た。
 夕飯は例になく蔵裏(くり)の下座敷であつた。宵の勤行(おつとめ)も済んだと見えて、給仕は白い着物を着た子坊主がして呉れた。五分心(ごぶしん)の灯は香の煙に交る夜の空気を照らして、高い天井の下をおもしろく見せる。古壁に懸けてある黄な法衣(ころも)は多分住職の着るものであらう。変つた室内の光景(ありさま)は三人の注意を引いた。就中(わけても)、銀之助は克(よ)く笑つて、其高い声が台所迄も響くので、奥様は若い人達の話を聞かずに居られなかつた。終(しまひ)にはお志保までも来て、奥様の傍に倚添(よりそ)ひ乍ら聞いた。
 急に文平は快活らしくなつた。妙に婦人の居る席では熱心になるのが是男の性分で、二階に三人で話した時から見ると、この下座敷へ来てからは声の調子が違つた。天性愛嬌(あいけう)のある上に、清(すゞ)しい艶のある眸(ひとみ)を輝かし乍ら、興に乗つてよもやまの話を初めた時は、確に面白い人だと思はせた。文平はまた、時々お志保の方を注意して見た。お志保は着物の前を掻合せたり、垂れ下る髪の毛を撫付けたりして、人々の物語に耳を傾けて居たのである。
 銀之助はそんなことに頓着なしで、軈(やが)て思出したやうに、
『たしか吾儕(わたしども)の来る前の年でしたなあ、貴方等(あなたがた)の卒業は。』
 斯う言つてお志保の顔を眺めた。奥様も娘の方へ振向いた。
『はあ。』と答へた時は若々しい血潮が遽(にはか)にお志保の頬に上つた。そのすこし羞恥(はぢ)を含んだ色は一層(ひとしほ)容貌(おもばせ)を娘らしくして見せた。
『卒業生の写真が学校に有ますがね、』と銀之助は笑つて、『彼頃(あのころ)から見ると、皆(みん)な立派な姉さんに成りましたなあ――どうして吾儕(わたしども)が来た時分には、まだ鼻洟(はな)を垂らしてるやうな連中もあつたツけが。』
 楽しい笑声は座敷の内に溢(あふ)れた。お志保は紅(あか)くなつた。斯ういふ間にも、独り丑松は洋燈(ランプ)の火影(ほかげ)に横になつて、何か深く物を考へて居たのである。

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