(一)
郊外は収穫(とりいれ)の為に忙(せは)しい時節であつた。農夫の群はいづれも小屋を出て、午後の労働に従事して居た。田(た)の面(も)の稲は最早(もう)悉皆(すつかり)刈り乾して、すでに麦さへ蒔付(まきつ)けたところもあつた。一年(ひとゝせ)の骨折の報酬(むくい)を収めるのは今である。雪の来ない内に早く。斯うして千曲川の下流に添ふ一面の平野は、宛然(あだかも)、戦場の光景(ありさま)であつた。
其日、丑松は学校から帰ると直に蓮華寺を出て、平素(ふだん)の勇気を回復(とりかへ)す積りで、何処へ行くといふ目的(めあて)も無しに歩いた。新町の町はづれから、枯々な桑畠の間を通つて、思はず斯(こ)の郊外の一角へ出たのである。積上げた『藁(わら)によ』の片蔭に倚凭(よりかゝ)つて、霜枯れた雑草の上に足を投出し乍ら、肺の底までも深く野の空気を吸入れた時は、僅に蘇生(いきかへ)つたやうな心地(こゝろもち)になつた。見れば男女の農夫。そこに親子、こゝに夫婦、黄に揚る塵埃(ほこり)を満身に浴びながら、我劣らじと奮闘をつゞけて居た。籾(もみ)を打つ槌(つち)の音は地に響いて、稲扱(いねこ)く音に交つて勇しく聞える。立ちのぼる白い煙もところ/″\。雀の群は時々空に舞揚つて、騒しく鳴いて、軈(やが)てまたぱツと田の面に散乱れるのであつた。
秋の日は烈しく照りつけて、人々には言ふに言はれぬ労苦を与へた。男は皆な頬冠(ほつかぶ)り、女は皆な編笠(あみがさ)であつた。それはめづらしく乾燥(はしや)いだ、風の無い日で、汗は人々の身体を流れたのである。野に満ちた光を通して、丑松は斯の労働の光景(ありさま)を眺めて居ると、不図(ふと)、倚凭(よりかゝ)つた『藁によ』の側(わき)を十五ばかりの一人の少年が通る。日に焼けた額と、柔嫩(やはらか)な目付とで、直に敬之進の忰(せがれ)と知れた。省吾(しやうご)といふのが其少年の名で、丁度丑松が受持の高等四年の生徒なのである。丑松は其容貌(かほつき)を見る度に、彼の老朽な教育者を思出さずには居られなかつた。
『風間さん、何処(どちら)へ?』
斯う声を掛けて見る。
『あの、』と省吾は言淀(いひよど)んで、『母さんが沖(野外)に居やすから。』
『母さん?』
『あれ彼処に――先生、あれが吾家(うち)の母さんでごはす。』
と省吾は指差して見せて、すこし顔を紅(あか)くした。同僚の細君の噂(うはさ)、それを丑松も聞かないでは無かつたが、然し眼前(めのまへ)に働いて居る女が其人とはすこしも知らなかつた。古びた上被(うはつぱり)、茶色の帯、盲目縞(めくらじま)の手甲(てつかふ)、編笠に日を避(よ)けて、身体を前後に動かし乍ら、々(せつせ)と稲の穂を扱落(こきおと)して居る。信州北部の女はいづれも強健(つよ)い気象のものばかり。克(よ)く働くことに掛けては男子にも勝(まさ)る程であるが、教員の細君で野面(のら)にまで出て、烈しい気候を相手に精出すものも鮮少(すくな)い。是(これ)も境遇からであらう、と憐んで見て居るうちに、省吾はまた指差して、彼の槌を振上げて籾(もみ)を打つ男、彼(あれ)は手伝ひに来た旧(むかし)からの出入のもので、音作といふ百姓であると話した。母と彼男(あのをとこ)との間に、箕(み)を高く頭の上に載せ、少許(すこし)づつ籾を振ひ落して居る女、彼(あれ)は音作の『おかた』(女房)であると話した。丁度其女房が箕を振る度に、空殻(しひな)の塵(ほこり)が舞揚つて、人々は黄色い烟を浴びるやうに見えた。省吾はまた、母の傍(わき)に居る小娘を指差して、彼が異母(はらちがひ)の妹のお作であると話した。
『君の兄弟は幾人(いくたり)あるのかね。』と丑松は省吾の顔を熟視(まも)り乍ら尋ねた。
『七人。』といふ省吾の返事。
『随分多勢だねえ、七人とは。君に、姉さんに、尋常科の進さんに、あの妹に――それから?』
『まだ下に妹が一人と弟が一人。一番年長(うへ)の兄さんは兵隊に行つて死にやした。』
『むゝ左様(さう)ですか。』
『其中で、死んだ兄さんと、蓮華寺へ貰はれて行きやした姉さんと、私(わし)と――これだけ母さんが違ひやす。』
『そんなら、君やお志保さんの真実(ほんたう)の母さんは?』
『最早(もう)居やせん。』
斯ういふ話をして居ると、不図(ふと)継母(まゝはゝ)の呼声を聞きつけて、ぷいと省吾は駈出して行つて了つた。