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破戒4-4
日期:2017-06-03 10:03  点击:300
        (四)
 
『おつかれ』(今晩は)と逢(あ)ふ人毎に声を掛けるのは山家の黄昏(たそがれ)の習慣(ならはし)である。丁度新町の町はづれへ出て、帰つて行く農夫に出逢ふ度に、丑松は斯(この)挨拶を交換(とりかは)した。一ぜんめし、御休所、笹屋、としてある家(うち)の前で、また『おつかれ』を繰返したが、其は他の人でもない、例の敬之進であつた。
『おゝ、瀬川君か。』と敬之進は丑松を押留めるやうにして、『好い処で逢つた。何時か一度君とゆつくり話したいと思つて居た。まあ、左様(さう)急がんでもよからう。今夜は我輩に交際(つきあ)つて呉れてもよからう。斯ういふ処で話すのも亦(ま)た一興だ。是非、君に聞いて貰ひたいこともあるんだから――』
 斯(か)う慫慂(そゝのか)されて、丑松は敬之進と一緒に笹屋の入口の敷居を跨いで入つた。昼は行商、夜は農夫などが疲労(つかれ)を忘れるのは茲(こゝ)で、大な炉(ろ)には『ぼや』(雑木の枝)の火が赤々と燃上つた。壁に寄せて古甕(ふるがめ)のいくつか並べてあるは、地酒が溢れて居るのであらう。今は農家は忙しい時季(とき)で、長く御輿(みこし)を座(す)ゑるものも無い。一人の農夫が草鞋穿(わらぢばき)の儘(まゝ)、ぐいと『てツぱ』(こつぷ酒)を引掛けて居たが、軈(やが)て其男の姿も見えなくなつて、炉辺(ろばた)は唯二人の専有(もの)となつた。
『今晩は何にいたしやせう。』と主婦(かみさん)は炉の鍵に大鍋を懸け乍ら尋ねた。『油汁(けんちん)なら出来やすが、其ぢやいけやせんか。河で捕れた鰍(かじか)もごはす。鰍でも上げやせうかなあ。』
『鰍?』と敬之進は舌なめずりして、『鰍、結構――それに、油汁と来ては堪(こた)へられない。斯ういふ晩は暖い物に限りますからね。』
 敬之進は酒慾の為に慄へて居た。素面(しらふ)で居る時は、からもう元気の無い人で、言葉もすくなく、病人のやうに見える。五十の上を一つか二つも越したらうか、年の割合には老(ふけ)たといふでも無く、まだ髪は黒かつた。丑松は『藁によ』の蔭で見たり聞いたりした家族のことを思ひ浮べて、一層斯人(このひと)に親しくなつたやうな心地がした。『ぼや』の火も盛んに燃えた。大鍋の中の油汁(けんちん)は沸々(ふつ/\)と煮立つて来て、甘さうな香(にほひ)が炉辺に満溢(みちあふ)れる。主婦(かみさん)は其を小丼(こどんぶり)に盛つて出し、酒は熱燗(あつかん)にして、一本づゝ古風な徳利を二人の膳の上に置いた。
『瀬川君。』と敬之進は手酌でちびり/\始め乍ら、『君が飯山へ来たのは何時でしたつけねえ。』
『私(わたし)ですか。私が来てから最早(もう)足掛三年に成ります。』と丑松は答へた。
『へえ、其様(そんな)に成るかねえ。つい此頃(こなひだ)のやうにしか思はれないがなあ。実に月日の経つのは早いものさ。いや、我輩なぞが老込む筈だよ。君等がずん/\進歩するんだもの。我輩だつて、君、一度は君等のやうな時代もあつたよ。明日は、明日は、明日はと思つて居る内に、もう五十といふ声を聞くやうに成つた。我輩の家(うち)と言ふのはね、もと飯山の藩士で、少年の時分から君侯の御側に勤めて、それから江戸表へ――丁度御維新(ごいツしん)に成る迄。考へて見れば時勢は還(うつ)り変つたものさねえ。変遷、変遷――見たまへ、千曲川の岸にある城跡を。彼(あ)の名残の石垣が君等の目にはどう見えるね。斯う蔦(つた)や苺(いちご)などの纏絡(まとひつ)いたところを見ると、我輩はもう言ふに言はれないやうな心地(こゝろもち)になる。何処の城跡へ行つても、大抵は桑畠(くはばたけ)。士族といふ士族は皆な零落して了つた。今日迄踏堪(ふみこた)へて、どうにかかうにか遣つて来たものは、と言へば、役場へ出るとか、学校へ勤めるとか、それ位のものさ。まあ、士族ほど役に立たないものは無い――実は我輩も其一人だがね。はゝゝゝゝ。』
 と敬之進は寂しさうに笑つた。やがて盃の酒を飲乾して、一寸舌打ちして、それを丑松へ差し乍ら、
『一つ交換といふことに願ひませうか。』
『まあ、御酌(おしやく)しませう。』と丑松は徳利を持添へて勧めた。
『それは不可(いかん)。上げるものは上げる、頂くものは頂くサ。え――君は斯の方は遣(や)らないのかと思つたが、なか/\いけますねえ。君の御手並を拝見するのは今夜始めてだ。』
『なに、私のは三盃上戸(さんばいじやうご)といふ奴なんです。』
『兎(と)に角(かく)、斯盃は差上げます。それから君のを頂きませう。まあ君だから斯様(こん)なことを御話するんだが、我輩なぞは二十年も――左様(さやう)さ、小学教員の資格が出来てから足掛十五年に成るがね、其間唯同じやうなことを繰返して来た。と言つたら、また君等に笑はれるかも知れないが、終(しまひ)には教場へ出て、何を生徒に教へて居るのか、自分乍ら感覚が無くなつて了つた。はゝゝゝゝ。いや、全くの話が、長く教員を勤めたものは、皆な斯ういふ経験があるだらうと思ふよ。実際、我輩なぞは教育をして居るとは思はなかつたね。羽織袴(はおりはかま)で、唯月給を貰ふ為に、働いて居るとしか思はなかつた。だつて君、左様(さう)ぢやないか、尋常科の教員なぞと言ふものは、学問のある労働者も同じことぢやないか。毎日、毎日――騒しい教場の整理、大勢の生徒の監督、僅少(わづか)の月給で、長い時間を働いて、克(よ)くまあ今日迄自分でも身体が続いたと思ふ位だ。あるひは君等の目から見たら、今茲(こゝ)で我輩が退職するのは智慧(ちゑ)の無い話だと思ふだらう。そりやあ我輩だつて、もう六ヶ月踏堪(ふみこた)へさへすれば、仮令(たとへ)僅少(わづか)でも恩給の下(さが)る位は承知して居るさ。承知して居ながら、其が我輩には出来ないから情ない。是から以後(さき)我輩に働けと言ふのは、死ねといふも同じだ。家内はまた家内で心配して、教員を休(や)めて了(しま)つたら、奈何(どう)して活計(くらし)が立つ、銀行へ出て帳面でもつけて呉れろと言ふんだけれど、どうして君、其様(そん)な真似が我輩に出来るものか。二十年来慣れたことすら出来ないものを、是から新規に何が出来よう。根気も、精分も、我輩の身体の内にあるものは悉皆(すつかり)もう尽きて了つた。あゝ、生きて、働いて、仆(たふ)れるまで鞭撻(むちう)たれるのは、馬車馬の末路だ――丁度我輩は其馬車馬さ。はゝゝゝゝ。』

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