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破戒6-3
日期:2017-06-03 10:07  点击:275
        (三)
 
 其晩、寝床へ入つてからも、丑松は父と先輩とのことを考へて、寝られなかつた。銀之助は直にもう高鼾(たかいびき)。どんなに丑松は傍に枕を並べて居る友達の寝顔を熟視(みまも)つて、その平穏(おだやか)な、安静(しづか)な睡眠(ねむり)を羨んだらう。夜も更(ふ)けた頃、むつくと寝床から跳起(はねお)きて、一旦細くした洋燈(ランプ)を復た明くしながら、蓮太郎に宛てた手紙を書いて見た。今はこの病気見舞すら人目を憚(はゞか)つて認(したゝ)める程に用心したのである。時々丑松は書きかけた筆を止めて、洋燈の光に友達の寝顔を窺つて見ると、銀之助は死んだ魚のやうに大な口を開いて、前後も知らず熟睡して居た。
 全く丑松は蓮太郎を知らないでも無かつた。人の紹介で逢つて見たことも有るし、今歳(ことし)になつて二三度手紙の往復(とりやり)もしたので、幾分(いくら)か互ひの心情(こゝろもち)は通じた。然し、蓮太郎は篤志な知己として丑松のことを考へて居るばかり、同じ素性の青年とは夢にも思はなかつた。丑松もまた、其秘密ばかりは言ふことを躊躇(ちうちよ)して居る。だから何となく奥歯に物が挾まつて居るやうで、其晩書いた丑松の手紙にも十分に思つたことが表れない。何故(なぜ)是程(これほど)に慕つて居るか、其さへ書けば、他の事はもう書かなくても済(す)む。あゝ――書けるものなら丑松も書く。其を書けないといふのは、丑松の弱点で、とう/\普通の病気見舞と同じものに成つて了つた。『東京にて、猪子蓮太郎先生、瀬川丑松より』と認(したゝ)め終つた時は、深く/\良心(こゝろ)を偽(いつは)るやうな気がした。筆を投(なげう)つて、嘆息して、復(ま)た冷い寝床に潜り込んだが、少許(すこし)とろ/\としたかと思ふと、直に恐しい夢ばかり見つゞけたのである。
 翌朝のことであつた。蓮華寺の庄馬鹿が学校へやつて来て、是非丑松に逢ひたいと言ふ。『何の用か』を小使に言はせると、『御目に懸つて御渡ししたいものが御座(ござい)ます』とか。出て行つて玄関のところで逢へば、庄馬鹿は一通の電報を手渡しした。不取敢(とりあへず)開封して読下して見ると、片仮名の文字も簡短に、父の死去したといふ報知(しらせ)が書いてあつた。突然のことに驚いて了つて、半信半疑で繰返した。確かに死去の報知には相違なかつた。発信人は根津の叔父。『直ぐ帰れ』としてある。
『それはどうも飛んだことで、嘸(さぞ)御力落しで御座ませう――はい、早速帰りまして、奥様にも申上げまするで御座ます。』
 斯(か)う庄馬鹿が言つた。小児(こども)のやうに死を畏れるといふ様子は、其愚(おろか)しい目付に顕(あら)はれるのであつた。
 丑松の父といふは、日頃極めて壮健な方で、激烈(はげ)しい気候に遭遇(であ)つても風邪一つ引かず、巌畳(がんでふ)な体躯(からだ)は反(かへ)つて壮夫(わかもの)を凌(しの)ぐ程の隠居であつた。牧夫の生涯(しやうがい)といへばいかにも面白さうに聞えるが、其実普通の人に堪へられる職業では無いのであつて、就中(わけても)西乃入の牧場の牛飼などと来ては、『彼(あ)の隠居だから勤まる』と人にも言はれる程。牛の性質を克(よ)く暗記して居るといふ丈では、所詮(しよせん)あの烏帽子(ゑぼし)ヶ嶽(だけ)の深い谿谷(たにあひ)に長く住むことは出来ない。気候には堪へられても、寂寥(さびしさ)には堪へられない。温暖(あたゝか)い日の下に産れて忍耐の力に乏しい南国の人なぞは、到底斯(か)ういふ山の上の牧夫に適しないのである。そこはそれ、北部の信州人、殊に丑松の父は素朴な、勤勉な、剛健な気象で、労苦を労苦とも思はない上に、別に人の知らない隠遁の理由をも持つて居た。思慮の深い父は丑松に一生の戒を教へたばかりで無く、自分も亦た成るべく人目につかないやうに、と斯う用心して、子の出世を祈るより外にもう希望(のぞみ)もなければ慰藉(なぐさめ)もないのであつた。丑松のため――其を思ふ親の情からして、人里遠い山の奥に浮世を離れ、朝夕炭焼の煙りを眺め、牛の群を相手に寂しい月日を送つて来たので。月々丑松から送る金の中から好(すき)な地酒を買ふといふことが、何よりの斯(この)牧夫のたのしみ。労苦も寂寥(さびしさ)も其の為に忘れると言つて居た。斯ういふ阿爺(おやぢ)が――まあ、鋼鉄のやうに強いとも言ひたい阿爺が、病気の前触(まへぶれ)も無くて、突然死去したと言つてよこしたとは。
 電報は簡短で亡くなつた事情も解らなかつた。それに、父が牧場の番小屋に上るのは、春雪の溶け初める頃で、また谷々が白く降り埋(うづ)められる頃になると、根津村の家へ下りて来る毎年(まいとし)の習慣である。もうそろ/\冬籠りの時節。考へて見れば、亡くなつた場処は、西乃入か、根津か、其すら斯電報では解らない。
 しかし、其時になつて、丑松は昨夜(ゆうべ)の出来事を思出した。あの父の呼声を思出した。あの呼声が次第に遠く細くなつて、別離(わかれ)を告げるやうに聞えたことを思出した。
 斯の電報を銀之助に見せた時は、流石(さすが)の友達も意外なといふ感想(かんじ)に打たれて、暫時(しばらく)茫然(ぼんやり)として突立つた儘(まゝ)、丑松の顔を眺めたり、死去の報告(しらせ)を繰返して見たりした。軈(やが)て銀之助は思ひついたやうに、
『むゝ、根津には君の叔父さんがあると言つたツけねえ。左様(さう)いふ叔父さんが有れば、万事見ては呉れたらう。しかし気の毒なことをした。なにしろ、まあ早速帰る仕度をしたまへ。学校の方は、君、奈何(どう)にでも都合するから。』
 斯う言つて呉れる友達の顔には真実が輝き溢(あふ)れて居た。たゞ銀之助は一語(ひとこと)も昨夜のことを言出さなかつたのである。『死は事実だ――不思議でも何でも無い』と斯(こ)の若い植物学者は眼で言つた。
 校長は時刻を違(たが)へず出勤したので、早速この報知(しらせ)を話した。丑松は直にこれから出掛けて行きたいと話した。留守中何分宜敷(よろしく)、受持の授業のことは万事銀之助に頼んで置いたと話した。
『奈何(どんな)にか君も吃驚(びつくり)なすつたでせう。』と校長は忸々敷(なれ/\しい)調子で言つた。『学校の方は君、土屋君も居るし、勝野君も居るし、其様(そん)なことはもう少許(すこし)も御心配なく。実に我輩も意外だつた、君の父上(おとつ)さんが亡(な)くならうとは。何卒(どうか)、まあ、彼方(あちら)の御用も済み、忌服(きぶく)でも明けることになつたら、また学校の為に十分御尽力を願ひませう。吾儕(われ/\)の事業(しごと)が是丈(これだけ)に揚つて来たのも、一つは君の御骨折からだ。斯うして君が居て下さるんで、奈何(どんな)にか我輩も心強いか知れない。此頃(こなひだ)も或処で君の評判を聞いて来たが、何だか斯う我輩は自分を褒められたやうな心地(こゝろもち)がした。実際、我輩は君を頼りにして居るのだから。』と言つて気を変へて、『それにしても、出掛けるとなると、思つたよりは要(かゝ)るものだ。少許位(すこしぐらゐ)は持合せも有ますから、立替へて上げても可(いゝ)のですが、どうです少許(すこし)御持ちなさらんか。もし御入用(おいりよう)なら遠慮なく言つて下さい。足りないと、また困りますよ。』
 と言ふ校長の言葉はいかにも巧みであつた。しかし丑松の耳には唯わざとらしく聞えたのである。
『瀬川君、それでは届を忘れずに出して行つて下さい――何も規則ですから。』
 斯う校長は添加(つけた)して言つた。

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