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破戒7-1
日期:2017-06-03 10:08  点击:282
        (一)
 
 それは忘れることの出来ないほど寂しい旅であつた。一昨年(をとゝし)の夏帰省した時に比べると、斯(か)うして千曲川(ちくまがは)の岸に添ふて、可懐(なつか)しい故郷の方へ帰つて行く丑松は、まあ自分で自分ながら、殆んど別の人のやうな心地がする。足掛三年、と言へば其程長い月日とも聞えないが、丑松の身に取つては一生の変遷(うつりかはり)の始つた時代で――尤(もつと)も、人の境遇によつては何時変つたといふことも無しに、自然に世を隔てたやうな感想(かんじ)のするものもあらうけれど――其精神(こゝろ)の内部(なか)の革命が丑松には猛烈に起つて来て、しかも其を殊に深く感ずるのである。今は誰を憚(はゞか)るでも無い身。乾燥(はしや)いだ空気を自由に呼吸して、自分のあやしい運命を悲しんだり、生涯の変転に驚いたりして、無限の感慨に沈み乍(なが)ら歩いて行つた。千曲川の水は黄緑の色に濁つて、声も無く流れて遠い海の方へ――其岸に蹲(うづくま)るやうな低い楊柳(やなぎ)の枯々となつた光景(さま)――あゝ、依然として旧(もと)の通りな山河の眺望は、一層丑松の目を傷(いた)ましめた。時々丑松は立留つて、人目の無い路傍(みちばた)の枯草の上に倒れて、声を揚げて慟哭(どうこく)したいとも思つた。あるひは、其を為(し)たら、堪へがたい胸の苦痛(いたみ)が少許(すこし)は減つて軽く成るかとも考へた。奈何(いかん)せん、哭(な)きたくも哭くことの出来ない程、心は重く暗く閉塞(とぢふさが)つて了つたのである。
 漂泊する旅人は幾群か丑松の傍(わき)を通りぬけた。落魄の涙に顔を濡して、餓(う)ゑた犬のやうに歩いて行くものもあつた。何か職業を尋ね顔に、垢染(あかじ)みた着物を身に絡(まと)ひ乍ら、素足の儘(まゝ)で土を踏んで行くものもあつた。あはれげな歌を歌ひ、鈴振鳴らし、長途の艱難を修行の生命(いのち)にして、日に焼けて罪滅(つみほろぼ)し顔な巡礼の親子もあつた。または自堕落な編笠姿(あみがさすがた)、流石(さすが)に世を忍ぶ風情(ふぜい)もしをらしく、放肆(ほしいまゝ)に恋慕の一曲を弾じて、銭を乞ふやうな卑(いや)しい芸人の一組もあつた。丑松は眺め入つた。眺め入り乍ら、自分の身の上と思ひ比べた。奈何(どんな)に丑松は今の境涯の遣瀬(やるせ)なさを考へて、自在に漂泊する旅人の群を羨んだらう。
 飯山を離れて行けば行く程、次第に丑松は自由な天地へ出て来たやうな心地(こゝろもち)がした。北国街道の灰色な土を踏んで、花やかな日の光を浴び乍ら、時には岡に上り時には桑畠の間を歩み、時にはまた街道の両側に並ぶ町々を通過ぎて、汗も流れ口も乾き、足袋(たび)も脚絆も塵埃(ほこり)に汚(まみ)れて白く成つた頃は、反(かへ)つて少許(すこし)蘇生の思に帰つたのである。路傍(みちばた)の柿の樹は枝も撓(たわ)むばかりに黄な珠を見せ、粟は穂を垂れ、豆は莢(さや)に満ち、既に刈取つた田畠には浅々と麦の萌(も)え初めたところもあつた。遠近(をちこち)に聞える農夫の歌、鳥の声――あゝ、山家でいふ『小六月』だ。其日は高社山一帯の山脈も面白く容(かたち)を顕(あらは)して、山と山との間の深い谷蔭には、青々と炭焼の煙の立登るのも見えた。
 蟹沢(かにざは)の出はづれで、当世風の紳士を乗せた一台の人力車(くるま)が丑松に追付いた。見れば天長節の朝、式場で演説した高柳利三郎。代議士の候補者に立つものは、そろ/\政見を発表する為に忙しくなる時節。いづれ是人も、選挙の準備(したく)として、地方廻りに出掛けるのであらう。と見る丑松の側(わき)を、高柳は意気揚々として、すこし人を尻目にかけて、挨拶も為(せ)ずに通過ぎた。二三町離れて、車の上の人は急に何か思付いたやうに、是方(こちら)を振返つて見たが、別に丑松の方では気にも留めなかつた。
 日は次第に高くなつた。水内(みのち)の平野は丑松の眼前(めのまへ)に展けた。それは広濶(ひろ/″\)とした千曲川の流域で、川上から押流す泥砂の一面に盛上つたところを見ても、氾濫(はんらん)の凄(すさま)じさが思ひやられる。見渡す限り田畠は遠く連ねて、欅(けやき)の杜(もり)もところ/″\。今は野も山も濃く青い十一月の空気を呼吸するやうで、うら枯れた中にも活々(いき/\)とした自然の風趣(おもむき)を克(よ)く表して居る。早く斯(こ)の川の上流へ――小県(ちひさがた)の谷へ――根津の村へ、斯う考へて、光の海を望むやうな可懐(なつか)しい故郷の空をさして急いだ。
 豊野と言つて汽車に乗るべきところへ着いたは、午後の二時頃。車で駈付けた高柳も、同じ列車を待合せて居たと見え、発車時間の近いた頃に休茶屋からやつて来た。『何処(どこ)へ行くのだらう、彼(あの)男は。』斯う思ひ乍ら、丑松は其となく高柳の様子を窺(うかゞ)ふやうにして見ると、先方(さき)も同じやうに丑松を注意して見るらしい。それに、不思議なことには、何となく丑松を避けるといふ風で、成るべく顔を合すまいと勉めて居た。唯互ひに顔を知つて居るといふ丈、つひぞ名乗合つたことが有るではなし、二人は言葉を交さうともしなかつた。
 軈て発車を報せる鈴の音が鳴つた。乗客はいづれも埒(らち)の中へと急いだ。盛(さかん)な黒烟(くろけぶり)を揚げて直江津の方角から上つて来た列車は豊野停車場(ステーション)の前で停つた。高柳は逸早(いちはや)く群集(ひとごみ)の中を擦抜(すりぬ)けて、一室の扉(と)を開けて入る。丑松はまた機関車近邇(より)の一室を択(えら)んで乗つた。思はず其処に腰掛けて居た一人の紳士と顔を見合せた時は、あまりの奇遇に胸を打たれたのである。
『やあ――猪子先生。』
 と丑松は帽子を脱いで挨拶した。紳士も、意外な処で、といふ驚喜した顔付。
『おゝ、瀬川君でしたか。』

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