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破戒8-3
日期:2017-06-03 10:12  点击:260
        (三)
 
『大丈夫です』とは言つたものゝ、其実丑松は蓮太郎だけに話す気で居る。先輩と自分と、唯二人――二度とは無い、斯(か)ういふ好い機会は。と其を考へると、丑松の胸はもう烈しく踊るのであつた。
 枯々とした草土手のところで、丑松は蓮太郎と一緒に成つた。聞いて見ると、先輩は細君を上田に残して置いて、其日の朝根津村へ入つたとのこと。連(つれ)は市村弁護士一人。尤(もつと)も弁護士は有権者を訪問する為に忙(せは)しいので、旅舎(やどや)で別れて、蓮太郎ばかり斯の姫子沢へ丑松を尋ねにやつて来た。都合あつて演説会は催さない。随つて斯の村で弁護士の政論を聞くことは出来ないが、そのかはり蓮太郎は丑松とゆつくり話せる。まあ、斯ういふ信濃の山の上で、温暖(あたゝか)な小春の半日を語り暮したいとのことである。
 其日のやうな楽しい経験――恐らく斯の心地(こゝろもち)は、丑松の身にとつて、さう幾度もあらうとは思はれなかつた程。日頃敬慕する先輩の傍に居て、其人の声を聞き、其人の笑顔を見、其人と一緒に自分も亦た同じ故郷の空気を呼吸するとは。丑松は唯話すばかりが愉快では無かつた。沈黙(だま)つて居る間にも亦た言ふに言はれぬ愉快を感ずるのであつた。まして、蓮太郎は――書いたものゝ上に表れたより、話して見ると又別のおもしろみの有る人で、容貌(かほつき)は厳(やかま)しいやうでも、存外情の篤(あつ)い、優しい、言はゞ極く平民的な気象を持つて居る。左様(さう)いふ風だから、後進の丑松に対しても城郭(へだて)を構へない。放肆(ほしいまゝ)に笑つたり、嘆息したりして、日あたりの好い草土手のところへ足を投出し乍ら、自分の病気の話なぞを為た。一度車に乗せられて、病院へ運ばれた時は、堪へがたい虚咳(からぜき)の後で、刻むやうにして喀血(かくけつ)したことを話した。今は胸も痛まず、其程の病苦も感ぜず、身体の上のことは忘れる位に元気づいて居る――しかし彼様(あゝ)いふ喀血が幾回もあれば、其時こそ最早(もう)駄目だといふことを話した。
 斯ういふ風に親しく言葉を交へて居る間にも、とは言へ、全く丑松は自分を忘れることが出来なかつた。『何時(いつ)例のことを切出さう。』その煩悶(はんもん)が胸の中を往つたり来たりして、一時(いつとき)も心を静息(やす)ませない。『あゝ、伝染(うつ)りはすまいか。』どうかすると其様(そん)なことを考へて、先輩の病気を恐しく思ふことも有る。幾度か丑松は自分で自分を嘲(あざけ)つた。
 千曲川(ちくまがは)沿岸の民情、風俗、武士道と仏教とがところ/″\に遺した中世の古蹟、信越線の鉄道に伴ふ山上の都会の盛衰、昔の北国街道の栄花(えいぐわ)、今の死駅の零落――およそ信濃路のさま/″\、それらのことは今二人の談話(はなし)に上つた。眼前(めのまへ)には蓼科(たてしな)、八つが嶽、保福寺(ほふくじ)、又は御射山(みさやま)、和田、大門などの山々が連つて、其山腹に横はる大傾斜の眺望は西東(にしひがし)に展(ひら)けて居た。青白く光る谷底に、遠く流れて行くは千曲川の水。丑松は少年の時代から感化を享(う)けた自然のこと、土地の案内にも委(くは)しいところからして、一々指差して語り聞かせる。蓮太郎は其話に耳を傾けて、熱心に眺め入つた。対岸に見える八重原の高原、そこに人家の煙の立ち登る光景(さま)は、殊に蓮太郎の注意を引いたやうであつた。丑松は又、谷底の平地に日のあたつたところを指差して見せて、水に添ふて散布するは、依田窪(よだくぼ)、長瀬、丸子(まりこ)などの村落であるといふことを話した。濃く青い空気に包まれて居る谷の蔭は、霊泉寺、田沢、別所などの温泉の湧くところ、農夫が群れ集る山の上の歓楽の地、よく蕎麦(そば)の花の咲く頃には斯辺(このへん)からも労苦を忘れる為に出掛けるものがあるといふことを話した。
 蓮太郎に言はせると、彼も一度は斯ういふ山の風景に無感覚な時代があつた。信州の景色は『パノラマ』として見るべきで、大自然が描いた多くの絵画の中では恐らく平凡といふ側に貶(おと)される程のものであらう――成程(なるほど)、大きくはある。然し深い風趣(おもむき)に乏しい――起きたり伏たりして居る波濤(なみ)のやうな山々は、不安と混雑とより外に何の感想(かんじ)をも与へない――それに対(むか)へば唯心が掻乱(かきみだ)されるばかりである。斯う蓮太郎は考へた時代もあつた。不思議にも斯の思想(かんがへ)は今度の旅行で破壊(ぶちこは)されて了(しま)つて、始めて山といふものを見る目が開(あ)いた。新しい自然は別に彼の眼前(めのまへ)に展けて来た。蒸(む)し煙(けぶ)る傾斜の気息(いき)、遠く深く潜む谷の声、活きもし枯れもする杜(もり)の呼吸、其間にはまた暗影と光と熱とを帯びた雲の群の出没するのも目に注(つ)いて、『平野は自然の静息、山嶽は自然の活動』といふ言葉の意味も今更のやうに思ひあたる。一概に平凡と擯斥(しりぞ)けた信州の風景は、『山気』を通して反(かへ)つて深く面白く眺められるやうになつた。
 斯ういふ蓮太郎の観察は、山を愛する丑松の心を悦(よろこ)ばせた。其日は西の空が開けて、飛騨(ひだ)の山脈を望むことも出来たのである。見れば斯の大谿谷のかなたに当つて、畳み重なる山と山との上に、更に遠く連なる一列の白壁。今年の雪も早や幾度か降り添ふたのであらう。その山々は午後の日をうけて、青空に映り輝いて、殆んど人の気魄(たましひ)を奪ふばかりの勢であつた。活々(いき/\)とした力のある山塊の輪郭と、深い鉛紫(えんし)の色を帯びた谷々の影とは、一層その眺望に崇高な趣を添へる。針木嶺、白馬嶽、焼嶽、鎗が嶽、または乗鞍嶽(のりくらがたけ)、蝶が嶽、其他多くの山獄の峻(けは)しく競(きそ)ひ立つのは其処だ。梓川、大白川なぞの源を発するのは其処だ。雷鳥の寂しく飛びかふといふのは其処だ。氷河の跡の見られるといふのは其処だ。千古人跡の到らないといふのは其処だ。あゝ、無言にして聳(そび)え立つ飛騨の山脈の姿、長久(とこしへ)に荘厳(おごそか)な自然の殿堂――見れば見る程、蓮太郎も、丑松も、高い気象を感ぜずには居られなかつたのである。殊に其日の空気はすこし黄に濁つて、十一月上旬の光に交つて、斯の広濶(ひろ)い谿谷(たにあひ)を盛んに煙(けぶ)るやうに見せた。長い間、二人は眺め入つた。眺め入り乍ら、互に山のことを語り合つた。

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