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破戒12-2
日期:2017-06-03 10:19  点击:351
        (二)
 
 丑松が驚いたのは無理もなかつた。それは高柳の一行であつた。往(ゆ)きに一緒に成つて、帰りにも亦(ま)た斯(こ)の通り一緒に成るとは――しかも、同じ川舟を待合はせるとは。それに往きには高柳一人であつたのが、帰りには若い細君らしい女と二人連。女は、薄色縮緬(うすいろちりめん)のお高祖(こそ)を眉深(まぶか)に冠つたまゝ、丑松の腰掛けて居る側を通り過ぎた。新しい艶のある吾妻袍衣(あづまコート)に身を包んだ其嫋娜(すらり)とした後姿を見ると、斯(こ)の女が誰であるかは直に読める。丑松はあの蓮太郎の話を想起(おもひおこ)して、いよ/\其が事実であつたのに驚いて了(しま)つた。
 主婦(かみさん)に導かれて、二人はずつと奥の座敷へ通つた。そこには炬燵(こたつ)が有つて、先客一人、五十あまりの坊主、直に慣々(なれ/\)しく声を掛けたところを見ると、かねて懇意の仲ででも有らう。軈(やが)て盛んな笑声が起る。丑松は素知らぬ顔、屋外(そと)の方へ向いて、物寂(ものさみ)しい霙(みぞれ)の空を眺めて居たが、いつの間にか後の方へ気を取られる。聞くとは無しについ聞耳を立てる。座敷の方では斯様(こん)な談話(はなし)をして笑ふのであつた。
『道理で――君は暫時(しばらく)見えないと思つた。』と言ふは世慣(よな)れた坊主の声で、『私(わし)は又、選挙の方が忙しくて、其で地方廻りでも為(し)て居るのかと思つた。へえ、左様(さう)ですかい、そんな御目出度(おめでたい)ことゝは少許(すこし)も知らなかつたねえ。』
『いや、どうも忙しい思(おもひ)を為て来ましたよ。』斯(か)う言つて笑ふ声を聞くと、高柳はさも得意で居るらしい。
『それはまあ何よりだつた。失礼ながら、奥様(おくさん)は? 矢張(やはり)東京の方からでも?』
『はあ。』
 この『はあ』が丑松を笑はせた。
 談話(はなし)の様子で見ると、高柳夫婦は東京の方へ廻つて、江の島、鎌倉あたりを見物して来て、是から飯山へ乗込むといふ寸法らしい。そこは抜目の無い、細工の多い男だから、根津から直に引返すやうなことを為(し)ないで、わざ/\遠廻りして帰つて来たものと見える。さて、坊主を捕(つかま)へて、片腹痛いことを吹聴(ふいちやう)し始めた。聞いて居る丑松には其心情の偽(いつはり)が読め過ぎるほど読めて、終(しまひ)には其処に腰掛けても居られないやうになつた。『恐しい世の中だ』――斯う考へ乍ら、あの夫婦の暗い秘密を自分の身に引比べると、さあ何となく気懸りでならない。やがて、故意(わざ)と無頓着な様子を装(つくろ)つて、ぶらりと休茶屋の外へ出て眺めた。
 霙(みぞれ)は絶えず降りそゝいで居た。あの越後路から飯山あたりへかけて、毎年(まいとし)降る大雪の前駆(さきぶれ)が最早やつて来たかと思はせるやうな空模様。灰色の雲は対岸に添ひ徊徘(さまよ)つた、広濶(ひろ/″\)とした千曲川の流域が一層遠く幽(かすか)に見渡される。上高井の山脈、菅平の高原、其他畳み重なる多くの山々も雪雲に埋没(うづも)れて了(しま)つて、僅かに見えつ隠れつして居た。
 斯うして茫然(ばうぜん)として、暫時(しばらく)千曲川の水を眺めて居たが、いつの間にか丑松の心は背後(うしろ)の方へ行つて了つた。幾度か丑松は振返つて二人の様子を見た。見まい/\と思ひ乍ら、つい見た。丁度乗船の切符を売出したので、人々は皆な争つて買つた。間も無く船も出るといふ。混雑する旅人の群に紛(まぎ)れて、先方(さき)の二人も亦た時々盗むやうに是方(こちら)の様子を注意するらしい――まあ、思做(おもひなし)の故(せゐ)かして、すくなくとも丑松には左様(さう)酌(と)れたのである。女の方で丑松を知つて居るか、奈何か、それは克(よ)く解らないが、丑松の方では確かに知つて居る。髪のかたちこそ新婚の人のそれに結ひ変へては居るが、紛れの無い六左衛門の娘、白いもの花やかに彩色(いろどり)して恥の面を塗り隠し、野心深い夫に倚添(よりそ)ひ、崖(がけ)にある坂路をつたつて、舟に乗るべきところへ下りて行つた。『何と思つて居るだらう――あの二人は。』斯う考へ乍ら、丑松も亦た人々の後に随(つ)いて、一緒にその崖を下りた。
 

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