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破戒15-4
日期:2017-06-03 10:26  点击:301
        (四)
 
 住職は奥様と同年(おないどし)といふ。男のことであるから割合に若々しく、墨染(すみぞめ)の法衣(ころも)に金襴(きんらん)の袈裟(けさ)を掛け、外陣の講座の上に顕はれたところは、佐久小県辺(さくちひさがたあたり)に多い世間的な僧侶に比べると、遙(はる)かに高尚な宗教生活を送つて来た人らしい。額広く、鼻隆く、眉すこし迫つて、容貌(おもばせ)もなか/\立派な上に、温和な、善良な、且つ才智のある性質を好く表して居る。法話の第一部は猿の比喩(たとへ)で始まつた。智識のある猿は世に知らないといふことが無い。よく学び、よく覚え、殊に多くの経文を暗誦して、万人の師匠とも成るべき程の学問を蓄はへた。畜生の悲しさには、唯だ一つ信ずる力を欠いた。人は、よし是猿ほどの智識が無いにもせよ、信ずる力あつて、はじめて凡夫も仏の境には到り得る。なんと各々位(おの/\がた)、合点か。人間と生れた宿世(すくせ)のありがたさを考へて、朝夕念仏を怠り給ふな。斯(か)う住職は説出したのである。
『なむあみだぶ、なむあみだぶ。』
 と人々の唱へる声は本堂の広間に満ち溢れた。男も、女も、懐中(ふところ)から紙入を取出して、思ひ/\に賽銭(さいせん)を畳の上へ置くのであつた。
 法話の第二部は、昔の飯山の城主、松平遠江守の事蹟を材(たね)に取つた。そも/\飯山が仏教の地と成つたは、斯の先祖の時代からである。火のやうな守(かみ)の宗教心は未だ年若な頃からして燃えた。丁度江戸表へ参勤の時のこと、日頃欝積(むすぼ)れて解けない胸中の疑問を人々に尋ね試みたことがある。『人は死んで、畢竟(つまり)奈何(どう)なる。』侍臣も、儒者も、斯問(このとひ)には答へることが出来なかつた。林大学(だいがく)の頭(かみ)に尋ねた。大学の頭ですらも。それから守は宗教に志し、渋谷の僧に就いて道を聞き、領地をば甥(をひ)に譲り、六年目の暁に出家して、飯山にある仏教の先祖(おや)と成つたといふ。なんと斯発心(ほつしん)の歴史は味(あぢはひ)のある話ではないか。世の多くの学者が答へることの出来ない、其難問に答へ得るものは、信心あるものより外に無い。斯う住職は説き進んだのである。
『なむあみだぶ、なむあみだぶ。』
 一斉に唱へる声は風のやうに起つた。人々は復(ま)た賽銭を取出して並べた。
 斯ういふ説教の間にも、時々丑松は我を忘れて、熱心な眸(ひとみ)をお志保の横顔に注いだ。流石(さすが)に人目を憚(はゞか)つて見まい/\と思ひ乍らも、つい見ると、仏壇の方を眺め入つたお志保の目付の若々しさ。不思議なことには、熱い涙が人知れず其顔を流れるといふ様子で、時々啜(すゝ)り上げたり、密(そつ)と鼻を拭(か)んだりした。尚よく見ると、言ふに言はれぬ恐怖(おそれ)と悲愁(うれひ)とが女らしい愛らしさに交つて、陰影(かげ)のやうに顕(あらは)れたり、隠れたりする。何をお志保は考へたのだらう。何を感じたのだらう。何を思出したのだらう。斯(か)う丑松は推量した。今夜の法話が左様(さう)若い人の心を動かすとも受取れない。有体(ありてい)に言へば、住職の説教はもう旧(ふる)い、旧い遣方で、明治生れの人間の耳には寧(いつ)そ異様に響くのである。型に入つた仮白(せりふ)のやうな言廻し、秩序の無い断片的な思想、金色に光り輝く仏壇の背景――丁度それは時代な劇(しばゐ)でも観て居るかのやうな感想(かんじ)を与へる。若いものが彼様(あゝ)いふ話を聴いて、其程胸を打たれようとは、奈何(どう)しても思はれなかつたのである。
 省吾はそろ/\眠くなつたと見え、姉に倚凭(よりかゝ)つた儘(まゝ)、首を垂れて了(しま)つた。お志保はいろ/\に取賺(とりすか)して、動(ゆす)つて見たり、私語(さゝや)いて見たりしたが、一向に感覚が無いらしい。
『これ――もうすこし起きておいでなさいよ。他様(ひとさま)が見て笑ふぢや有(あり)ませんか。』と叱るやうに言つた。奥様は引取つて、
『其処へ寝かして置くが可(いゝ)やね。ナニ、子供のことだもの。』
『真実(ほんと)に未(ま)だ児童(ねんねえ)で仕方が有ません。』
 斯う言つて、お志保は省吾を抱直した。殆んど省吾は何にも知らないらしい。其時丑松が顔を差出したので、お志保も是方(こちら)を振向いた。お志保は文平を見て、奥様を見て、それから丑松を見て、紅(あか)くなつた。
 

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