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破戒17-2
日期:2017-06-03 10:32  点击:282
        (二)
 
 間も無く細君も奥の方から出て来て、其処に酔倒れて居る敬之進が復た/\丑松の厄介に成つたことを知つた。周囲(まはり)に集る子供等は、いづれも母親の思惑(おもはく)を憚(はゞか)つて、互に顔を見合せたり、慄(ふる)へたりして居た。流石(さすが)に丑松の手前もあり、音作兄弟も来て居るので、細君は唯夫を尻目に掛けて、深い溜息を吐くばかりであつた。毎度敬之進が世話に成ること、此頃(こなひだ)はまた省吾が結構なものを頂いたこと、其(それ)や是(これ)やの礼を述べ乍ら、せか/\と立つたり座(すわ)つたりして話す。丑松は斯(この)細君の気の短い、忍耐力(こらへじやう)の無い、愚痴なところも感じ易いところも総(すべ)て外部(そと)へ露出(あらは)れて居るやうな――まあ、四十女に克(よ)くある性質を看(み)て取つた。丁度そこへ来て、座りもせず、御辞儀もせず、恍(とぼ)け顔(がほ)に立つた小娘は、斯細君の二番目の児である。
『これ、お作や。御辞儀しねえかよ。其様(そんな)に他様(ひとさま)の前で立つてるもんぢや無えぞよ。奈何(どう)して吾家(うち)の児は斯(か)う行儀が不良(わる)いだらず――』
 といふ細君の言葉なぞを聞入れるお作では無かつた。見るからして荒くれた、男の児のやうな小娘。これがお志保の異母(はらちがひ)の姉妹(きやうだい)とは、奈何しても受取れない。
『まあ、斯児(このこ)は兄姉中(きやうだいぢゆう)で一番仕様が無え――もうすこし母さんの言ふことを聞くやうだと好いけれど。』
 と言はれても、お作は知らん顔。何時の間にかぷいと駈出して行つて了つた。
 午後の光は急に射入つて、暗い南窓の小障子も明るく、幾年張替へずにあるかと思はれる程の紙の色は赤黒く煤(すゝ)けて見える。『あゝ日が照(あた)つて来た、』と音作は喜んで、『先刻(さつき)迄は雪模様でしたが、こりや好い塩梅(あんばい)だ。』斯う言ひ乍ら、弟と一緒に年貢の準備(したく)を始めた。薄く黄ばんだ冬の日は斯の屋根の下の貧苦と零落とを照したのである。一度農家を訪れたものは、今丑松が腰掛けて居る板敷の炉辺(ろばた)を想像することが出来るであらう。其処は家族が食事をする場処でもあれば、客を款待(もてな)す場処でもある。庭は又、勝手でもあり、物置でもあり、仕事場でもあるので、表から裏口へ通り抜けて、すくなくも斯の草屋の三分の一を土間で占めた。彼方(あちら)の棚には茶椀、皿小鉢、油燈(カンテラ)等を置き、是方(こちら)の壁には鎌を懸け、種物の袋を釣るし、片隅に漬物桶、炭俵。台所の道具は耕作の器械と一緒にして雑然(ごちや/\)置並べてあつた。高いところに鶏の塒(ねぐら)も作り付けてあつたが、其は空巣も同然で、鳥らしいものが飼はれて居るとは見えなかつたのである。
 斯(こ)の草屋はお志保の生れた場処で無いまでも、蓮華寺へ貰はれて行く前、敬之進の言葉によれば十三の春まで、斯の土壁の内に育てられたといふことが、酷(ひど)く丑松の注意を引いた。部屋は三間ばかりも有るらしい。軒の浅い割合に天井の高いのと、外部(そと)に雪がこひのして有るのとで、何となく家(うち)の内が薄暗く見える。壁は粗末な茶色の紙で張つて、年々(とし/″\)の暦と錦絵とが唯一つの装飾といふことに成つて居た。定めしお志保も斯の古壁の前に立つて、幼い眼に映る絵の中の男女(をとこをんな)を自分の友達のやうに眺めたのであらう。思ひやると、其昔のことも俤(おもかげ)に描かれて、言ふに言はれぬ可懐(なつか)しさを添へるのであつた。
 其時、草色の真綿帽子を冠り、糸織の綿入羽織を着た、五十余(あまり)の男が入口のところに顕(あらは)れた。
『地親(ぢやうや)さんでやすよ。』
 と省吾は呼ばゝり乍ら入つて来た。

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