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破戒17-7
日期:2017-06-03 10:34  点击:246
        (七)
 
『奈何(どう)して私は斯(か)う物に感じ易いんでせう。』と奥様は啜(すゝ)り上げた。『今度のやうなことが有ると、もう私は何(なんに)も手に着きません。一体、和尚さんの病気といふのは、今更始つたことでも無いんです。先住は早く亡(な)くなりまして、和尚さんが其後へ直つたのは、未(ま)だ漸(やうや)く十七の年だつたといふことでした。丁度私が斯寺(このてら)へ嫁(かたづ)いて来た翌々年(よく/\とし)、和尚さんは西京へ修業に行くことに成ましてね――まあ、若い時には能(よ)く物が出来ると言はれて、諸国から本山へ集る若手の中でも五本の指に数へられたさうですよ――それで私は、其頃未だ生きて居た先住の匹偶(つれあひ)と、今寺内に居る坊さんの父親(おとつ)さんと、斯う三人でお寺を預つて、五年ばかり留守居をしたことが有ました。考へて見ると、和尚さんの病気はもう其頃から起つて居たんですね。相手の女といふは、西京の魚(うを)の棚(たな)、油(あぶら)の小路(こうぢ)といふところにある宿屋の総領娘、といふことが知れたもんですから、さあ、寺内の先(せん)の坊さんも心配して、早速西京へ出掛けて行きました。其時、私は先住の匹偶(つれあひ)にも心配させないやうに、檀家(だんか)の人達の耳へも入れないやうにツて、奈何(どんな)に独りで気を揉(も)みましたか知れません。漸(やつと)のこと、お金を遣つて、女の方の手を切らせました。そこで和尚さんも真実(ほんたう)に懲(こ)りなければ成らないところです。ところが持つて生れた病は仕方の無いもので、それから三年経(た)つて、今度は東京にある真宗の学校へ勤めることに成ると、復(ま)た病気が起りました。』
 手紙を書いて貰ひに来た奥様は、用をそつちのけにして、種々(いろ/\)並べたり訴へたりし始めた。淡泊(さつぱり)したやうでもそこは女の持前で、聞いて貰はずには居られなかつたのである。
『尤も、』と奥様は言葉を続けた。『其時は、和尚さんを独りで遣(や)つては不可(いけない)といふので――まあ学校の方から月給は取れるし、留守中のことは寺内の坊さんが引受けて居て呉れるし、それに先住の匹偶(つれあひ)も東京を見たいと言ふもんですから、私も一緒に随いて行つて、三人して高輪(たかなわ)のお寺を仕切つて借りました。其処から学校へは何程(いくら)も無いんです。克(よ)く和尚さんは二本榎(にほんえのき)の道路(みち)を通ひました。丁度その二本榎に、若い未亡人(ごけさん)の家(うち)があつて、斯人(このひと)は真宗に熱心な、教育のある女でしたから、和尚さんも法話(はなし)を頼まれて行き/\しましたよ。忘れもしません、其女といふは背のすらりとした、白い優しい手をした人で、御墓参りに行くところを私も見掛けたことが有ます。ある時、其未亡人(ごけさん)の噂(うはさ)が出ると、和尚さんは鼻の先で笑つて、「むゝ、彼女(あのをんな)か――彼様(あん)なひねくれた女は仕方が無い」と酷(ひど)く譏(けな)すぢや有ませんか。奈何(どう)でせう、瀬川さん、其時は最早和尚さんが関係して居たんです。何時の間にか女は和尚さんの種を宿しました。さあ、和尚さんも蒼(あを)く成つて了つて、「実は済(す)まないことをした」と私の前に手を突いて、謝罪(あやま)つたのです。根が正直な、好い性質の人ですから、悪かつたと思ふと直に後悔する。まあ、傍(はた)で見て居ても気の毒な位。「頼む」と言はれて見ると、私も放擲(うつちや)つては置かれませんから、手紙で寺内の坊さんを呼寄せました。其時、私の思ふには、「あゝ是(これ)は私に子が無いからだ。若し子供でも有つたら一層(もつと)和尚さんも真面目な気分に御成(おなん)なさるだらう。寧(いつ)そ其女の児を引取つて自分の子にして育てようかしら。」と斯う考へたり、ある時は又、「みす/\私が傍に附いて居乍ら、其様(そん)な女に子供迄出来たと言はれては、第一私が世間へ恥かしい。いかに言つても情ないことだ。今度こそは別れよう。」と考へたりしたんです。そこがそれ、女といふものは気の弱いもので、優しい言葉の一つも掛けられると、今迄の事は最早(もう)悉皆(すつかり)忘れて了ふ。「あゝ、御気の毒だ――私が居なかつたら、奈何(どんな)に不自由を成さるだらう。」とまあ私も思ひ直したのですよ。間も無く女は和尚さんの子を産落しました。月不足(つきたらず)で、加之(おまけ)に乳が無かつたものですから、満二月(まるふたつき)とは其児も生きて居なかつたさうです。和尚さんが学校を退(ひ)くことに成つて、飯山へ帰る迄の私の心配は何程(どれほど)だつたでせう――丁度、今から十年前のことでした。それからといふものは、和尚さんも本気に成ましたよ。月に三度の説教は欠かさず、檀家の命日には必ず御経を上げに行く、近在廻りは泊り掛で出掛ける――さあ、檀家の人達も悉皆(すつかり)信用して、四年目の秋には本堂の屋根の修繕も立派に出来上りました。彼様(あゝ)いふ調子で、ずつと今迄進んで来たら、奈何(どんな)にか好からうと思ふんですけれど、少許(すこし)羽振が良くなると直(すぐ)に物に飽きるから困る。倦怠(あき)が来ると、復(ま)た病気が起る。そりやあもう和尚さんの癖なんですからね。あゝ、男といふものは恐しいもので、彼程(あれほど)平常(ふだん)物の解つた和尚さんで有ながら、病気となると何の判別(みさかへ)も着かなくなる。まあ瀬川さん、考へて見て下さい。和尚さんも最早(もう)五十一ですよ。五十一にも成つて、未(ま)だ其様(そん)な気で居るかと思ふと、実に情ないぢや有ませんか。成程(なるほど)――今日(こんにち)飯山あたりの御寺様(おてらさん)で、女狂ひを為(し)ないやうなものは有やしません。ですけれど、茶屋女を相手に為(す)るとか、妾狂ひを為るとか言へば、またそこにも有る。あのお志保に想(おもひ)を懸けるなんて――私は呆(あき)れて物も言へない。奈何(どう)考へて見ても、其様な量見を起す和尚さんでは無い筈(はず)です。必定(きつと)、奈何かしたんです。まあ、気でも狂(ちが)つて居るに相違ないんです。お志保は又、何もかも私に打開けて話しましてね、「母親(おつか)さん、心配しないで居て下さいよ、奈何(どん)な事が有つても私が承知しませんから」と言ふもんですから――いえ、彼娘(あのこ)はあれでなか/\毅然(しやん)とした気象の女ですからね――其を私も頼みに思ひまして、「お志保、確乎(しつかり)して居てお呉れよ、阿爺(おとつ)さんだつても物の解らない人では無し、お前と私の心地(こゝろもち)が屈いたら、必定(きつと)思ひ直して下さるだらう、阿爺さんが正気に復(かへ)るも復らないも二人の誠意(まごゝろ)一つにあるのだからね」斯(か)う言つて、二人でさん/″\哭(な)きました。なんの、私が和尚さんを悪く思ふもんですか。何卒(どうか)して和尚さんの眼が覚めるやうに――そればつかりで、私は斯様(こん)な離縁なぞを思ひ立つたんですもの。』

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