日语学习网
破戒17-8
日期:2017-06-03 10:34  点击:239
        (八)
 
 誠意(まごゝろ)籠る奥様の述懐を聞取つて、丑松は望みの通りに手紙の文句を認(したゝ)めてやつた。幾度か奥様は口の中で仏の名を唱(とな)へ乍(なが)ら、これから将来(さき)のことを思ひ煩(わづら)ふといふ様子に見えるのであつた。
『おやすみ。』
 といふ言葉を残して置いて奥様が出て行つた後、丑松は机の側に倒れて考へて居たが、何時の間にかぐつすり寝込んで了つた。寝ても、寝ても、寝足りないといふ風で、斯うして横になれば直に死んだ人のやうに成るのが此頃の丑松の癖である。のみならず、深いところへ陥落(おちい)るやうな睡眠(ねむり)で、目が覚めた後は毎時(いつも)頭が重かつた。其晩も矢張同じやうに、同じやうな仮寝(うたゝね)から覚めて、暫時(しばらく)茫然(ぼんやり)として居たが、軈(やが)て我に帰つた頃は、もう遅かつた。雪は屋外(そと)に降り積ると見え、時々窓の戸にあたつて、はた/\と物の崩れ落ちる音より外には、寂(しん)として声一つしない、それは沈静(ひつそり)とした、気の遠くなるやうな夜――無論人の起きて居る時刻では無かつた。階下(した)では皆な寝たらしい。不図(ふと)、何か斯う忍(しの)び音(ね)に泣くやうな若い人の声が細々と耳に入る。どうも何処から聞えるのか、其は能(よ)く解らなかつたが、まあ楼梯(はしごだん)の下あたり、暗い廊下の辺ででもあるか、誰かしら声を呑(の)む様子。尚(なほ)能く聞くと、北の廊下の雨戸でも明けて、屋外(そと)を眺(なが)めて居るものらしい。あゝ――お志保だ――お志保の嗚咽(すゝりなき)だ――斯う思ひ附くと同時に、言ふに言はれぬ恐怖(おそれ)と哀憐(あはれみ)とが身を襲(おそ)ふやうに感ぜられる。尤も、丑松は半分夢中で聞いて居たので、つと立上つて部屋の内を歩き初めた時は、もう其声が聞えなかつた。不思議に思ひ乍ら、浮足になつて耳を澄ましたり、壁に耳を寄せて聞いたりした。終(しまひ)には、自分で自分を疑つて、あるひは聞いたと思つたのが夢ででもあつたか、と其音の実(ほんと)か虚(うそ)かすらも判断が着かなくなる。暫時(しばらく)丑松は腕組をして、油の尽きて来た洋燈(ランプ)の火を熟視(みまも)り乍ら、茫然とそこに立つて居た。夜は更ける、心(しん)は疲れる、軈て押入から寝道具を取出した時は、自分で自分の為ることを知らなかつた位。急に烈しく睡気(ねむけ)が襲(さ)して来たので、丑松は半分眠り乍ら寝衣(ねまき)を着更へて、直に復(ま)た感覚(おぼえ)の無いところへ落ちて行つた。

分享到:

顶部
11/25 11:03