(五)
『むゝ、勝野君は巧いことを言つた。』と斯う丑松は言出した。『彼(あ)の猪子先生なぞは、全く君の言ふ通り、一種の狂人(きちがひ)さ。だつて、君、左様(さう)ぢやないか――世間体の好いやうな、自分で自分に諂諛(へつら)ふやうなことばかり並べて、其を自伝と言つて他(ひと)に吹聴(ふいちやう)するといふ今の世の中に、狂人(きちがひ)ででも無くて誰が冷汗の出るやうな懴悔なぞを書かう。彼の先生の手から職業を奪取(うばひと)つたのも、彼様いふ病気に成る程の苦痛(くるしみ)を嘗(な)めさせたのも、畢竟(つまり)斯(こ)の社会だ。其社会の為に涙を流して、満腔(まんかう)の熱情を注いだ著述をしたり、演説をしたりして、筆は折れ舌は爛(たゞ)れる迄も思ひ焦(こが)れて居るなんて――斯様(こん)な大白痴(おほたはけ)が世の中に有らうか。はゝゝゝゝ。先生の生涯は実に懴悔の生涯(しやうがい)さ。空想家と言はれたり、夢想家と言はれたりして、甘んじて其冷笑を受けて居る程の懴悔の生涯さ。「奈何(どん)な苦しい悲しいことが有らうと、其を女々しく訴へるやうなものは大丈夫と言はれない。世間の人の睨(にら)む通りに睨ませて置いて、黙つて狼のやうに男らしく死ね。」――其が先生の主義なんだ。見給へ、まあ其主義からして、もう狂人染(きちがひじ)みてるぢやないか。はゝゝゝゝ。』
『君は左様激するから不可(いかん)。』と銀之助は丑松を慰撫(なだめ)るやうに言つた。
『否(いや)、僕は決して激しては居ない。』斯(か)う丑松は答へた。
『しかし。』と文平は冷笑(あざわら)つて、『猪子蓮太郎だなんて言つたつて、高が穢多ぢやないか。』
『それが、君、奈何した。』と丑松は突込んだ。
『彼様(あん)な下等人種の中から碌(ろく)なものゝ出よう筈が無いさ。』
『下等人種?』
『卑劣(いや)しい根性を持つて、可厭(いや)に癖(ひが)んだやうなことばかり言ふものが、下等人種で無くて君、何だらう。下手に社会へ突出(でしやば)らうなんて、其様な思想(かんがへ)を起すのは、第一大間違さ。獣皮(かは)いぢりでもして、神妙(しんべう)に引込んでるのが、丁度彼の先生なぞには適当して居るんだ。』
『はゝゝゝゝ。して見ると、勝野君なぞは開化した高尚な人間で、猪子先生の方は野蛮な下等な人種だと言ふのだね。はゝゝゝゝ。僕は今迄、君も彼の先生も、同じ人間だとばかり思つて居た。』
『止せ。止せ。』と銀之助は叱るやうにして、『其様な議論を為たつて、つまらんぢやないか。』
『いや、つまらなかない。』と丑松は聞入れなかつた。『僕は君、是(これ)でも真面目(まじめ)なんだよ。まあ、聞き給へ――勝野君は今、猪子先生のことを野蛮だ下等だと言はれたが、実際御説の通りだ。こりや僕の方が勘違ひをして居た。左様だ、彼の先生も御説の通りに獣皮(かは)いぢりでもして、神妙にして引込んで居れば好いのだ。それさへして黙つて居れば、彼様な病気なぞに罹(かゝ)りはしなかつたのだ。その身体のことも忘れて了つて、一日も休まずに社会と戦つて居るなんて――何といふ狂人(きちがひ)の態(ざま)だらう。噫(あゝ)、開化した高尚な人は、予(あらかじ)め金牌を胸に掛ける積りで、教育事業なぞに従事して居る。野蛮な、下等な人種の悲しさ、猪子先生なぞは其様な成功を夢にも見られない。はじめからもう野末の露と消える覚悟だ。死を決して人生の戦場に上つて居るのだ。その慨然とした心意気は――はゝゝゝゝ、悲しいぢやないか、勇しいぢやないか。』
と丑松は上歯を顕(あらは)して、大きく口を開いて、身を慄(ふる)はせ乍ら欷咽(すゝりな)くやうに笑つた。欝勃(うつぼつ)とした精神は体躯(からだ)の外部(そと)へ満ち溢(あふ)れて、額は光り、頬の肉も震へ、憤怒と苦痛とで紅く成つた時は、其の粗野な沈欝な容貌が平素(いつも)よりも一層(もつと)男性(をとこ)らしく見える。銀之助は不思議さうに友達の顔を眺めて、久し振で若く剛(つよ)く活々とした丑松の内部(なか)の生命(いのち)に触れるやうな心地(こゝろもち)がした。
対手が黙つて了(しま)つたので、丑松もそれぎり斯様(こん)な話をしなかつた。文平はまた何時までも心の激昂を制(おさ)へきれないといふ様子。頭ごなしに罵(のゝし)らうとして、反(かへ)つて丑松の為に言敗(いひまく)られた気味が有るので、軽蔑(けいべつ)と憎悪(にくしみ)とは猶更(なほさら)容貌の上に表れる。『何だ――この穢多めが』とは其の怒気(いかり)を帯びた眼が言つた。軈て文平は尋常一年の教師を窓の方へ連れて行つて、
『奈何(どう)だい、君、今の談話(はなし)は――瀬川君は最早(もう)悉皆(すつかり)自分で自分の秘密を自白したぢやないか。』
斯(か)う私語(さゝや)いて聞かせたのである。
丁度準教員は鉛筆写生を終つた。人々はいづれも其周囲(まはり)へ集つた。