(四)
銀之助の送別会は翌日(あくるひ)の午前から午後の二時頃迄へ掛けて開らかれた。昼を中へんだは、弁当がはりに鮨(すし)の折詰を出したからで。教員生徒はかはる/″\立つて別離(わかれ)の言葉を述べた。余興も幾組かあつた。多くの無邪気な男女(をとこをんな)の少年は、互ひに悲んだり笑つたりして、稚心(をさなごゝろ)にも斯の日を忘れまいとするのであつた。
斯(か)ういふ中にも、独り丑松ばかりは気が気で無い。何を見たか、何を聞いたか、殆(ほとん)ど其が記憶にも留らなかつた。唯頭脳(あたま)の中に残るものは、教員や生徒の騒しい笑声、余興のある度に起る拍手の音、または斯の混雑の中にも時々意味有げな様子して盗むやうに自分の方を見る人々の眼付――まあ、絶えず誰かに附狙(つけねら)はれて居るやうな気がして、其方の心配と屈託と恐怖(おそれ)とで、見たり聞いたりすることには何の興味も好奇心も起らないのであつた。どうかすると丑松は自分の身体ですら自分のものゝやうには思はないで、何もかも忘れて、心一つに父の戒を憶出して見ることもあつた。『見給へ、土屋君は必定(きつと)出世するから。』斯う私語(さゝや)き合ふ教員同志の声が耳に入るにつけても、丑松は自分の暗い未来に思比べて、すくなくも穢多なぞには生れて来なかつた友達の身の上を羨んだ。
送別会が済(す)む、直に丑松は学校を出て、急いで蓮華寺を指して帰つて行つた。蔵裏(くり)の入口の庭のところに立つて、奥座敷の方を眺めると、白衣を着けた一人の尼が出たり入つたりして居る。一昨日の晩頼まれて書いた手紙のことを考へると、彼が奥様の妹といふ人であらうか、と斯(か)う推測が付く。其時下女の袈裟治が台処の方から駈寄つて、丑松に一枚の名刺を渡した。見れば猪子蓮太郎としてある。袈裟治は言葉を添へて、今朝斯(こ)の客が尋ねて来たこと、宿は上町の扇屋にとつたとのこと、宜敷(よろしく)と言置いて出て行つたことなぞを話して、まだ外にでつぷり肥つた洋服姿の人も表に立つて居たと話した。『むゝ、必定(きつと)市村さんだ。』と丑松は独語(ひとりご)ちた。話の様子では確かに其らしいのである。
『直に、これから尋ねて行つて見ようかしら。』とは続いて起つて来た思想(かんがへ)であつた。人目を憚(はゞか)るといふことさへなくば、無論尋ねて行きたかつたのである。鳥のやうに飛んで行きたかつたのである。『まあ、待て。』と丑松は自分で自分を制止(おしとゞ)めた。彼の先輩と自分との間には何か深い特別の関係でも有るやうに見られたら、奈何しよう。書いたものを愛読してさへ、既に怪しいと思はれて居るではないか。まして、うつかり尋ねて行つたりなんかして――もしや――あゝ、待て、待て、日の暮れる迄待て。暗くなつてから、人知れず宿屋へ逢ひに行かう。斯う用心深く考へた。
『それは左様と、お志保さんは奈何(どう)したらう。』と其人の身の上を気遣(きづか)ひ乍ら、丑松は二階へ上つて行つた。始めて是寺へ引越して来た当時のことは、不図(ふと)、胸に浮ぶ。見れば何もかも変らずにある。古びた火鉢も、粗末な懸物も、机も、本箱も。其に比べると人の境涯(きやうがい)の頼み難いことは。丑松はあの鷹匠(たかしやう)町の下宿から放逐された不幸な大日向を思出した。丁度斯の蓮華寺から帰つて行つた時は、提灯(ちやうちん)の光に宵闇の道を照し乍ら、一挺の籠が舁(かつ)がれて出るところであつたことを思出した。附添の大男を思出した。門口で『御機嫌よう』と言つた主婦を思出した。罵(のゝし)つたり騒いだりした下宿の人々を思出した。終(しまひ)にはあの『ざまあ見やがれ』の一言を思出すと、慄然(ぞつ)とする冷(つめた)い震動(みぶるひ)が頸窩(ぼんのくぼ)から背骨の髄へかけて流れ下るやうに感ぜられる。今は他事(ひとごと)とも思はれない。噫(あゝ)、丁度それは自分の運命だ。何故、新平民ばかり其様(そんな)に卑(いやし)められたり辱(はづかし)められたりするのであらう。何故、新平民ばかり普通の人間の仲間入が出来ないのであらう。何故、新平民ばかり斯の社会に生きながらへる権利が無いのであらう――人生は無慈悲な、残酷なものだ。
斯う考へて、部屋の内を歩いて居ると、唐紙の開く音がした。其時奥様が入つて来た。