(三)
左(と)も右(かく)も検屍(けんし)の済む迄(まで)は、といふので、蓮太郎の身体は外套で掩(おほ)ふた儘(まゝ)、手を着けずに置いてあつた。思はず丑松は跪(ひざまづ)いて、先輩の耳の側へ口を寄せた。まだそれでも通じるかと声を掛けて見る。
『先生――私です、瀬川です。』
何と言つて呼んで見ても、最早聞える気色(けしき)は無かつたのである。
月の光は青白く落ちて、一層凄愴(せいさう)とした死の思を添へるのであつた。人々は同じやうに冷い光と夜気とを浴び乍ら、巡査や医者の来るのを待佗(まちわ)びて居た。あるものは影のやうに蹲(うづくま)つて居た。あるものは並んで話し/\歩いて居た。弁護士は悄然(しよんぼり)首を垂れて、腕組みして、物も言はずに突立つて居た。
軈て町の役人が来る、巡査が来る、医者が来る、間も無く死体の検査が始つた。提灯の光に照された先輩の死顔は、と見ると、頬の骨隆(たか)く、鼻尖り、堅く結んだ口唇は血の色も無く変りはてた。男らしい威厳を帯びた其容貌(おもばせ)のうちには、何処となく暗い苦痛の影もあつて、壮烈な最後の光景(ありさま)を可傷(いたま)しく想像させる。見る人は皆な心を動された。万事は侠気(をとこぎ)のある扇屋の亭主の計らひで、検屍が済む、役人達が帰つて行く、一先づ死体は宿屋の方へ運ばれることに成つた。戸板の上へ載せる為に、弁護士は足の方を持つ、丑松は頭の方へ廻つて、両手を深く先輩の脇の下へ差入れた。あゝ、蓮太郎の身体は最早冷かつた。奈何(どんな)に丑松は名残惜しいやうな気に成つて、蒼(あを)ざめた先輩の頬へ自分の頬を押宛てゝ、『先生、先生。』と呼んで見たらう。其時亭主は傍へ寄つて、だらりと垂れた蓮太郎の手を胸の上に組合せてやつた。斯うして戸板に載せて、其上から外套を懸けて、扇屋を指して出掛けた頃は、月も落ちかゝつて居た。人々は提灯の光に夜道を照し乍ら歩いた。丑松は亦たさく/\と音のする雪を踏んで、先輩の一生を考へ乍ら随(つ)いて行つた。思当ることが無いでも無い。あの根村の宿屋で一緒に夕飯(ゆふめし)を食つた時、頻に先輩は高柳の心を卑(いやし)で[#「卑(いやし)で」はママ]、『是程新平民といふものを侮辱した話は無からう』と憤つたことを思出した。あの上田の停車場(ステーション)へ行く途中、丁度橋を渡つた時にも、『どうしても彼様(あん)な男に勝たせたく無い、何卒(どうか)して斯(こ)の選挙は市村君のものにして遣りたい』と言つたことを思出した。『いくら吾儕(われ/\)が無智な卑賤(いや)しいものだからと言つて、踏付けられるにも程が有る』と言つたことを思出した。『高柳の話なぞを聞かなければ格別、聞いて、知つて、黙つて帰るといふことは、新平民として余り意気地(いくぢ)が無さ過ぎるからねえ』と言つたことを思出した。それから彼(あ)の細君が一緒に東京へ帰つて呉れと言出した時に、先輩は叱つたり(はげま)したりして、丁度生木(なまき)を割(さ)くやうに送り返したことを思出した。彼是(かれこれ)を思合せて考へると――確かに先輩は人の知らない覚期(かくご)を懐にして、斯(こ)の飯山へ来たらしいのである。
斯ういふことゝ知つたら、もうすこし早く自分が同じ新平民の一人であると打明けて話したものを。あるひは其を為たら、自分の心情(こゝろもち)が先輩の胸にも深く通じたらうものを。
後悔は何の益(やく)にも立たなかつた。丑松は恥ぢたり悲んだりした。噫(あゝ)、数時間前には弁護士と一緒に談(はな)し乍ら扇屋を出た蓮太郎、今は戸板に載せられて其同じ門を潜るのである。不取敢(とりあへず)、東京に居る細君のところへ、と丑松は引受けて、電報を打つ為に郵便局の方へ出掛けることにした。夜は深かつた。往来を通る人の影も無かつた。是非打たう。局員が寝て居たら、叩(たゝ)き起しても打たう。それにしても斯(この)電報を受取る時の細君の心地(こゝろもち)は。と想像して、さあ何と文句を書いてやつて可(いゝ)か解らない位であつた。暗く寂(さみ)しい四辻の角のところへ出ると、頻に遠くの方で犬の吠(ほえ)る声が聞える。其時はもう自分で自分を制(おさ)へることが出来なかつた。堪へ難い悲傷(かなしみ)の涙は一時に流れて来た。丑松は声を放つて、歩き乍ら慟哭(どうこく)した。