(一)
学校へ行く準備(したく)をする為に、朝早く丑松は蓮華寺へ帰つた。庄馬鹿を始め、子坊主迄、談話(はなし)は蓮太郎の最後、高柳の拘引(こういん)の噂(うはさ)なぞで持切つて居た。昨日の朝丑松の留守へ尋ねて来た客が亡(な)くなつた其人である、と聞いた時は、猶々(なほ/\)一同驚き呆(あき)れた。丑松はまた奥様から、妹が長野の方へ帰るやうに成つたこと、住職が手を突いて詑入(わびい)つたこと、それから夫婦別れの話も――まあ、見合せにしたといふことを聞取つた。
『なむあみだぶ。』
と奥様は珠数(ずゝ)を爪繰(つまぐ)り乍ら唱(とな)へて居た。
丁度十二月朔日(ついたち)のことで、いつも寺では早く朝飯(あさはん)を済(すま)すところからして、丑松の部屋へも袈裟治が膳を運んで来た。斯(か)うして寺の人と同じやうに早く食ふといふことは、近頃無いためし――朝は必ず生温(なまあたゝか)い飯に、煮詰つた汁と極(きま)つて居たのが、其日にかぎつては、飯も焚きたての気(いき)の立つやつで、汁は又、煮立つたばかりの赤味噌のにほひが甘(うま)さうに鼻の端(さき)へ来るのであつた。小皿には好物の納豆も附いた。其時丑松は膳に向ひ乍ら、兎(と)も角(かく)も斯うして生きながらへ来た今日迄(こんにちまで)を不思議に難有(ありがた)く考へた。あゝ、卑賤(いや)しい穢多の子の身であると覚期すれば、飯を食ふにも我知らず涙が零(こぼ)れたのである。
朝飯の後、丑松は机に向つて進退伺を書いた。其時一生の戒を思出した。あの父の言葉を思出した。『たとへいかなる目を見ようと、いかなる人に邂逅(めぐりあ)はうと、決して其とは自白(うちあ)けるな、一旦の憤怒(いかり)悲哀(かなしみ)に是戒(このいましめ)を忘れたら、其時こそ社会(よのなか)から捨てられたものと思へ。』斯う父は教へたのであつた。『隠せ』――其を守る為には今日迄何程(どれほど)の苦心を重ねたらう。『忘れるな』――其を繰返す度に何程の猜疑(うたがひ)と恐怖(おそれ)とを抱いたらう。もし父が斯(こ)の世に生きながらへて居たら、まあ気でも狂つたかのやうに自分の思想(かんがへ)の変つたことを憤り悲むであらうか、と想像して見た。仮令(たとひ)誰が何と言はうと、今はその戒を破り棄てる気で居る。
『阿爺(おとつ)さん、堪忍(かんにん)して下さい。』
と詑入るやうに繰返した。
冬の朝日が射して来た。丑松は机を離れて窓の方へ行つた。障子(しやうじ)を開けて眺めると、例の銀杏(いてふ)の枯々(かれ/″\)な梢(こずゑ)を経(へだ)てゝ、雪に包まれた町々の光景(ありさま)が見渡される。板葺(いたぶき)の屋根、軒廂(のきびさし)、すべて目に入るかぎりのものは白く埋れて了つて、家と家との間からは青々とした朝餐(あさげ)の煙が静かに立登つた。小学校の建築物(たてもの)も、今、日をうけた。名残惜(なごりを)しいやうな気に成つて、冷(つめた)く心地(こゝろもち)の好い朝の空気を呼吸し乍ら、やゝしばらく眺め入つて居たが、不図胸に浮んだは蓮太郎の『懴悔録』、開巻第一章、『我は穢多なり』と書起してあつたのを今更のやうに新しく感じて、丁度この町の人々に告白するやうに、其文句を窓のところで繰返した。
『我は穢多なり。』
ともう一度繰返して、それから丑松は学校へ行く準備(したく)にとりかゝつた。