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破戒22-1
日期:2017-06-03 10:44  点击:325
        (一)
 
『一寸伺ひますが、瀬川君は是方(こちら)へ参りませんでしたらうか。』
 斯う声を掛けて、敬之進の住居(すまひ)を訪れたのは銀之助である。友達思ひの銀之助は心配し乍ら、丑松の後を追つて尋ねて来たのであつた。
『瀬川さん?』とお志保は飛んで出て、『あれ、今御帰りに成ましたよ。』
『今?』と銀之助はお志保の顔を眺(なが)めた。『それから何(どつち)の方へ行きましたらう、御存じは有ますまいかしら。』
『よくも伺ひませんでしたけれど、』とお志保は口籠(くちごも)つて、『あの、猪子さんの奥様(おくさん)が東京から御見えに成るさうですね。多分その方へ。ホラ市村さんの御宿の方へ尋ねていらしツたんでせうよ――何でも其様(そん)なやうな瀬川さんの口振でしたから。』
『市村さんの許(ところ)へ? 先づ好かつた。』と銀之助は深い溜息を吐いた。『実は僕も非常に心配しましてね、蓮華寺へ行つて聞いて見ました。御寺で言ふには、未だ瀬川君は学校から帰らんといふ。それから市村さんの宿へ行つて見ると、彼処(あすこ)にも居ません。ひよつとすると、こりや貴方(あなた)の許(ところ)かも知れない、斯う思つてやつて来たんです。』と言つて、考へて、『むゝ、左様(さう)ですか、貴方の許へ参りましたか――』
『丁度、行違ひに御成(おなん)なすつたんでせう。』とお志保は少許(すこし)顔を紅(あか)くして、『まあ御上りなすつて下さいませんか、此様(こん)な見苦しい処で御座(ござい)ますけれど。』
 と言はれて、お志保に導かれて、銀之助は炉辺(ろばた)へ上つた。
 紅く泣腫(なきは)れたお志保の頬には涙の痕(あと)が未だ乾かずにあつた。奈何(どう)いふことを言つて丑松が別れて行つたか、それはもうお志保の顔付を眺めたばかりで、大凡(おおよそ)の想像が銀之助の胸に浮ぶ。あの小学校の廊下のところで、人々の前に跪(ひざまづ)いて、有の儘(まゝ)に素性を自白するといふ行為(やりかた)から推(お)して考へても――確かに友達は非常な決心を起したのであらう。其心根は。思へば憫然(びんぜん)なものだ。斯う銀之助は考へて、何卒(どうか)して友達を助けたい、と其をお志保にも話さうと思ふのであつた。銀之助は先づお志保の身の上から聞き初めた。
 貧し苦しい境遇に居るお志保は、直に、銀之助の頼母(たのも)しい気象を看て取つたのである。のみならず、丑松と斯人とは無二の朋友であるといふことも好く承知して居る。真実(ほんたう)に自分の心地(こゝろもち)も解つて、身を入れて話を聞いて呉れるのは斯人だ、と斯う可懐(なつか)しく思ふにつけても、さて、奈何して父親の許(ところ)へ帰つて居るか、其を尋ねられた時はもう/\胸一ぱいに成つて了(しま)つた。蓮華寺を脱けて出ようと決心する迄の一伍一什(いちぶしじゆう)――思へば涙の種――まあ、何から話して可いものやら、お志保には解らない位であつた。流石(さすが)娘心の感じ易さ、暗く煤(すゝ)けた土壁の内部(なか)の光景(ありさま)をも物羞(はづか)しく思ふといふ風で、『ぼや』を折焚(おりく)べて炉の火を盛んにしたり、着物の前を掻合せたりして語り聞かせる。お志保に言はせると、いよ/\彼の寺を出ようと思立つたのは、泣いて、泣いて、泣尽した揚句のこと。『仮令(たとひ)先方(さき)が親らしい行為(おこなひ)をしない迄も、是迄(これまで)育てゝ貰つた恩義も有る。一旦蓮華寺の娘となつた以上は、奈何な辛いことがあらうと決して家へ帰るな。』――とは堅い父の言葉でもあつた。宵闇の空に紛(まぎ)れて迷ひ出たお志保は、だから、何処へ帰るといふ目的(めあて)も無かつたのである。悲しい夢のやうに歩いて来る途中、不図、雪の上に倒れて居る人に出逢(であ)つた。見れば其酔漢(そのさけよひ)は父であつた。其時お志保は左様(さう)思つた。父はもう凍え死んだのかと思つた。丁度通りかかる音作を呼留めて、一緒に助け起して、漸(やつと)のことで家まで連帰つて見ると、今すこし遅からうものなら既に生命を奪(と)られるところ。それぎり敬之進は床の上に横に成つた。医者の話によると、身体の衰弱(おとろへ)は一通りで無い。所詮(しよせん)助かる見込は有るまいとのことである。
 そればかりでは無い。不幸(ふしあはせ)は斯の屋根の下にもお志保を待受けて居た。来て見ると、もう継母も、異母(はらちがひ)の弟妹(きやうだい)も居なかつた。尤(もつと)も、其前の晩、烈しい夫婦喧嘩があつて、継母はお志保のことや父の酒のことを言つて、奈何して是から将来(さき)生計(くらし)が立つと泣叫んだといふ。いづれ下高井にある生家(さと)を指して、三人だけ子供を連れて、父の留守に家出をしたものらしい。それは継母が自分で産んだ子供のうち、三番目のお末を残して、進に、お作に、それから留吉と、斯(か)う引連れて行つた。割合に温順(おとな)しいお末を置いて、あの厄介者のお作を腰に付けたは、流石(さすが)に後のことをも考へて行つたものと見える。継母が末の児を背負(おぶ)ひ、お作の手を引き、進は見慣(みな)れない男に連れられて、後を見かへり/\行つたといふことは、近所のかみさんが来ての話で解つた。
 斯ういふ中にも、ひとり力に成るのは音作で、毎日夫婦して来て、物を呉れるやら、旧(むかし)の主人をいたはるやら、お末をば世話すると言つて、自分の家の方へ引取つて居るとのこと。貧苦の為に離散した敬之進の家族の光景(ありさま)――まあ、お志保が銀之助に話して聞かせたことは、ざつと斯うであつた。
『して見ると――今御家にいらつしやるのは、父親(おとつ)さんに、貴方に、それから省吾さんと、斯う三人なんですか。』銀之助は気の毒さうに尋ねたのである。
『はあ。』とお志保は涙ぐんで、垂下る鬢(びん)の毛を掻上げた。

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