(四)
兎(と)も角(かく)も是事(このこと)を話して友達の心を救はう。市村弁護士の宿へ行つて見た様子で、復(ま)た後の使にやつて来よう。斯う約束して、軈(やが)て銀之助は炉辺を離れようとした。
『あの、御願ひで御座ますが――』とお志保は呼留めて、『もし「懴悔録」といふ御本が御座ましたら、貸して頂く訳にはまゐりますまいか。まあ、私なぞが拝見したつて、どうせ解りはしますまいけれど。』
『「懴悔録」?』
『ホラ、猪子さんの御書きなすつたとかいふ――』
『むゝ、あれですか。よく貴方は彼様(あん)な本を御存じですね。』
『でも、瀬川さんが平素(しよつちゆう)読んでいらつしやいましたもの。』
『承知しました。多分瀬川君の許(ところ)に有ませうから、行つて話して見ませう――もし無ければ、何処(どこ)か捜(さが)して見て、是非一冊贈らせることにしませう。』
斯う言つて、銀之助は弁護士の宿を指して急いだ。
丁度扇屋では人々が蓮太郎の遺骸(なきがら)の周囲(まはり)に集つたところ。親切な亭主の計ひで、焼場の方へ送る前に一応亡くなつた人の霊魂(たましひ)を弔(とむら)ひたいといふ。読経(どきやう)は法福寺の老僧が来て勤めた。其日の午後東京から着いたといふ蓮太郎の妻君――今は未亡人――を始め、弁護士、丑松もかしこまつて居た。旅で死んだといふことを殊(こと)にあはれに思ふかして、扇屋の家の人もかはる/″\弔ひに来る。縁もゆかりも無い泊客ですら、其と聞伝へたかぎりは廊下に集つて、寂しい木魚の音に耳を澄すのであつた。
焼香も済み、読経も一きりに成つた頃、銀之助は丑松の紹介(ひきあはせ)で、始めて未亡人に言葉を交した。長野新聞の通信記者なぞも混雑(とりこみ)の中へ尋ねて来て、聞き取つたことを手帳に書留める。
『貴方が奥様(おくさん)でいらつしやいますか。』と記者は職掌柄らしい調子で言つた。
『はい。』と未亡人の返事。
『奥様、誠に御気の毒なことで御座ます。猪子先生の御名前は予(かね)て承知いたして居りまして、蔭乍(かげなが)ら御慕ひ申して居たのですが――』
『はい。』
斯(か)ういふ挨拶はすべて追憶(おもひで)の種であつた。人々の談話(はなし)は蓮太郎のことで持切つた。軈(やが)て未亡人は夫と一緒に信州へ来た当時のことを言出して、別れる前の晩に不思議な夢を見たこと、妙に夫の身の上が気に懸つたこと、其を言つて酷(ひど)く叱られたことなぞを話した。彼是を思合せると、彼時(あのとき)にもう夫は覚期(かくご)して居ることが有つたらしい――信州の小春は好いの、今度の旅行は面白からうの、土産(みやげ)はしつかり持つて帰るから家へ行つて待つて居れの、まあ彼(あれ)が長の別離(わかれ)の言葉に成つて了(しま)つた。斯う言つて、思ひがけない出来事の為に飛んだ迷惑を人々に懸けた、とかへす/″\気の毒がる。流石(さすが)に堪へがたい女の情もあらはれて、淡泊(さつぱり)した未亡人の言葉は反つて深い同情を引いたのである。
弁護士は銀之助を部屋の片隅へ招いた。相談といふは丑松の身に関したことであつた。弁護士の言ふには、丑松も今となつては斯の飯山に居にくい事情も有らうし、未亡人はまた未亡人で是から帰るには男の手を借りたくも有らうし、するからして、あの蓮太郎の遺骨を護つて、一緒に東京へ行つて貰ひたいが奈何だらう――選挙を眼前(めのまへ)にひかへさへしなければ、無論自身で随いて行くべきでは有るが、それは未亡人が強ひて辞退する。せめて斯の際選挙の方に尽力して夫の霊魂(たましひ)を慰めて呉れといふ。聞いて見れば未亡人の志も、尤(もつとも)。いつそ是(これ)は丑松を煩したい――一切の費用は自分の方で持つ――是非。とのことであつた。
『といふ訳で、瀬川さんにも御話したのですが、』と弁護士は銀之助の顔を眺め乍ら言つた。『学校の方の都合は、君、奈何(どん)なものでせう。』
『学校の方ですか。』と銀之助は受けて、『実は――瀬川君を休職にすると言つて、その下相談が有つたといふ位ですから、無論差支は有ますまいよ。校長の話では、郡視学も其積りで居るさうです。まあ、学校の方のことは僕が引受けて、奈何(どんな)にでも都合の好いやうに致しませう。一日も早く飯山を発ちました方が瀬川君の為には得策だらうと思ふんです。』
斯(か)ういふ相談をして居るところへ、棺(ひつぎ)が持運ばれた。復(ま)た読経の声が起つた。人々は最後の別離(わかれ)を告げる為に其棺の周囲(まはり)へ集つた。軈て焼場の方へ送られることに成つた頃は、もう四辺(そこいら)も薄暗かつたのである。いよ/\舁(かつ)がれて、『いたや』(北国にある木の名)造りの橇へ載せられる光景(ありさま)を見た時は、未亡人はもう其処へ倒れるばかりに泣いた。