(一)
いよ/\出発の日が来た。払暁(よあけ)頃から霙(みぞれ)が降出して、扇屋に集る人々の胸には寂しい旅の思を添へるのであつた。
一台の橇(そり)は朝早く扇屋の前で停つた。下りた客は厚羅紗(あつらしや)の外套で深く身を包んだ紳士風の人、橇曳(そりひき)に案内させて、弁護士に面会を求める。『おゝ、大日向が来た。』と弁護士は出て迎へた。大日向は約束を違(たが)へずやつて来たので、薄暗いうちに下高井を発(た)つたといふ。上れと言はれても上りもせず、たゞ上(あが)り框(がまち)のところへ腰掛けた儘(まゝ)で、弁護士から法律上の智慧(ちゑ)を借りた。用談を済し、蓮太郎への弔意(くやみ)を述べ、軈(やが)てそこそこにして行かうとする。其時、弁護士は丑松のことを語り聞(きか)せて、
『まあ、上るさ――猪子君の細君も居るし、それに今話した瀬川君も一緒だから、是非逢つてやつて呉れたまへ。其様(そん)なところに腰掛けて居たんぢや、緩々(ゆつくり)談話(はなし)も出来ないぢや無いか。』
と強(し)ひるやうに言つた。然し大日向は苦笑(にがわらひ)するばかり。奈何(どんな)に薦(すゝ)められても、決して上らうとはしない。いづれ近い内に東京へ出向くから、猪子の家を尋ねよう。其折丑松にも逢はう。左様(さう)いふ気心の知れた人なら双方の好都合。委敷(くはし)いことは出京の上で。と飽迄(あくまで)も言ひ張る。
『其様(そんな)に今日は御急ぎかね。』
『いえ、ナニ、急ぎといふ訳でも有ませんが――』
斯(か)ういふ談話(はなし)の様子で、弁護士は大日向の顔に表れる片意地な苦痛を看て取つた。
『では、斯うして呉れ給へ。』と弁護士は考へた。上の渡しを渡ると休茶屋が有る。彼処で一同待合せて、今朝発(た)つ人を送る約束。多分丑松の親友も行つて居る筈(はず)。一歩(ひとあし)先へ出掛けて待つて居て呉れないか。兎(と)に角(かく)丑松を紹介したいから。と呉々も言ふ。『むゝ、そんなら御待ち申しませう。』斯う約束して、とう/\大日向は上らずに行つて了つた。
『大日向も思出したと見えるなあ。』
と弁護士は独語(ひとりごと)のやうに言つて、旅の仕度に多忙(いそが)しい未亡人や丑松に話して笑つた。
蓮華寺の庄馬鹿もやつて来た。奥様からの使と言つて、餞別(せんべつ)のしるしに物なぞを呉れた。別に草鞋(わらぢ)一足、雪の爪掛一つ、其は庄馬鹿が手製りにしたもので、ほんの志ばかりに納めて呉れといふ。其時丑松は彼の寺住を思出して、何となく斯人(このひと)にも名残(なごり)が惜まれたのである。過去(すぎさ)つたことを考へると、一緒に蔵裏の内に居た人の生涯(しやうがい)は皆な変つた。住職も変つた。奥様も変つた。お志保も変つた。自分も亦た変つた。独り変らないのは、馬鹿々々と呼ばれる斯人ばかり。斯う丑松は考へ乍ら、斯の何時迄(いつまで)も児童(こども)のやうな、親戚も無ければ妻子も無いといふ鐘楼の番人に長の別離(わかれ)を告げた。
省吾も来た。手荷物があらば持たして呉れと言ひ入れる。間も無く一台の橇の用意も出来た。遺骨を納めた白木造りの箱は、白い布で巻いた上をまた黒で包んで、成るべく人目に着かないやうにした。橇の上には、斯(こ)の遺骨の外に、蓮太郎が形見のかず/\、其他丑松の手荷物なぞを載せた。世間への遠慮から、未亡人と丑松とは上の渡し迄歩いて、対岸の休茶屋で別に二台の橇を傭(やと)ふことにして、軈て一同『御機嫌克(よ)う』の声に送られ乍ら扇屋を出た。
霙(みぞれ)は蕭々(しと/\)降りそゝいで居た。橇曳は饅頭笠(まんぢゆうがさ)を冠り、刺子(さしこ)の手袋、盲目縞(めくらじま)の股引といふ風俗で、一人は梶棒、一人は後押に成つて、互に呼吸を合せ乍(なが)ら曳いた。『ホウ、ヨウ』の掛声も起る。丑松は人々と一緒に、先輩の遺骨の後に随いて、雪の上を滑る橇の響を聞き乍ら、静かに自分の一生を考へ/\歩いた。猜疑(うたがひ)、恐怖(おそれ)――あゝ、あゝ、二六時中忘れることの出来なかつた苦痛(くるしみ)は僅かに胸を離れたのである。今は鳥のやうに自由だ。どんなに丑松は冷い十二月の朝の空気を呼吸して、漸(やうや)く重荷を下したやうな其蘇生の思に帰つたであらう。譬(たと)へば、海上の長旅を終つて、陸(をか)に上つた時の水夫の心地(こゝろもち)は、土に接吻(くちづけ)する程の可懐(なつか)しさを感ずるとやら。丑松の情は丁度其だ。いや、其よりも一層(もつと)歓(うれ)しかつた、一層哀しかつた。踏む度にさく/\と音のする雪の上は、確実(たしか)に自分の世界のやうに思はれて来た。