(四)
『其位(それくらゐ)のことは許して呉れたつても好ささうなものぢや無いか。』と銀之助は準教員の前に立つて言つた。『だつて君、考へて見給へ。生徒が自分達の先生を慕つて、そこまで見送りに随(つ)いて行かうと言ふんだらう。少年の情としては美しいところぢや無いか。寧(むし)ろ賞めてやつて好いことだ。それを学校の方から止めるなんて――第一、君が間違つてる。其様(そん)な使に来るのが間違つてる。』
『左様(さう)君のやうに言つても困るよ。』と準教員は頭を掻き乍ら、『何も僕が不可(いけない)と言つた訳では有るまいし。』
『それなら何故(なぜ)学校で不可と言ふのかね。』と銀之助は肩を動(ゆす)つた。
『届けもしないで、無断で休むといふ法は無い。休むなら、休むで、許可(ゆるし)を得て、それから見送りに行け――斯う校長先生が言ふのさ。』
『後で届けたら好からう。』
『後で? 後では届にならないやね。校長先生はもう非常に怒つてるんだ。勝野君はまた勝野君で、どうも彼組(あのくみ)の生徒は狡猾(ずる)くて不可(いかん)、斯ういふことが度々重ると学校の威信に関(かゝは)る、生徒として規則を守らないやうなものは休校させろ――まあ斯う言ふのさ。』
『左様器械的に物を考へなくつても好からう。何ぞと言ふと、校長先生や勝野君は、直に規則、規則だ。半日位休ませたつて、何だ――差支は無いぢやないか。一体、自分達の方から進んで生徒を許すのが至当(あたりまへ)だ。まあ勧めるやうにしてよこすのが至当だ。兎(と)も角(かく)も一緒に仕事をした交誼(よしみ)が有つて見れば、自分達が生徒を連れて見送りに来なけりやならない。ところが自分達は来ない、生徒も不可(いけない)、無断で見送りに行くものは罰するなんて――其様(そん)な無法なことがあるもんか。』
銀之助は事情を知らないのである。昨日校長が生徒一同を講堂に呼集めて、丑松の休職になつた理由を演説したこと、其時丑松の人物を非難したり、平素(ふだん)の行為(おこなひ)に就いて烈しい攻撃を加へたりして、寧ろ今度の改革は(校長はわざ/\改革といふ言葉を用ゐた)学校の将来に取つて非常な好都合であると言つたこと――そんなこんなは銀之助の知らない出来事であつた。あゝ、教育者は教育者を忌む。同僚としての嫉妬(しつと)、人種としての軽蔑(けいべつ)――世を焼く火焔(ほのほ)は出発の間際まで丑松の身に追ひ迫つて来たのである。
あまり銀之助が激するので、丑松は一旦橇(そり)を下りた。
『まあ、土屋君、好加減(いゝかげん)にしたら好からう。使に来たものだつて困るぢや無いか。』と丑松は宥(なだ)めるやうに言つた。
『しかし、あんまり解らないからさ。』と銀之助は聞入れる気色(けしき)も無かつた。『そんなら僕の時を考へて見給へ。あの時の送別会は半日以上かゝつた。僕の為に課業を休んで呉れる位なら、瀬川君の為に休むのは猶更(なほさら)のことだ。』と言つて、生徒の方へ向いて、『行け、行け――僕が引受けた。それで悪かつたら、僕が後で談判してやる。』
『行け、行け。』とある生徒は手を振り乍ら叫んだ。
『それでは、君、僕が困るよ。』と丑松は銀之助を押止めて、『送つて呉れるといふ志は有難いがね、其為に生徒に迷惑を掛けるやうでは、僕だつてあまり心地(こゝろもち)が好くない。もう是処(こゝ)で沢山(たくさん)だ――わざ/\是処迄(まで)来て呉れたんだから、それでもう僕には沢山だ。何卒(どうか)、君、生徒を是処(こゝ)で返して呉れ給へ。』
斯う言つて、名残を惜む生徒にも同じ意味の言葉を繰返して、やがて丑松は橇に乗らうとした。
『御機嫌よう。』
それが最後にお志保を見た時の丑松の言葉であつた。
蕭条(せうでう)とした岸の柳の枯枝を経(へだ)てゝ、飯山の町の眺望(ながめ)は右側に展(ひら)けて居た。対岸に並び接(つゞ)く家々の屋根、ところ/″\に高い寺院の建築物(たてもの)、今は丘陵のみ残る古城の跡、いづれも雪に包まれて幽(かす)かに白く見渡される。天気の好い日には、斯(こ)の岸からも望まれる小学校の白壁、蓮華寺の鐘楼、それも霙の空に形を隠した。丑松は二度も三度も振向いて見て、ホツと深い大溜息を吐(つ)いた時は、思はず熱い涙が頬を伝つて流れ落ちたのである。橇(そり)は雪の上を滑り始めた。
(明治三十九年三月)