奈良時代に珍重された乳製品「蘇(そ)」の再現料理を食べて、作家の杉本苑子(そのこ)さんがもらした。「三日三晩牛乳をかき混ぜる官吏が朝廷にいて、舐(な)めたとか疑われて鞭(むち)打たれたりして」。杉本さんらしい着眼点だと思う。
作家杉本苑子女士请我品尝了用现代工艺重现的奈良时代无上美味--酥。她说,“曾经有位官员在朝廷连续三天三夜拌牛奶,却因怀疑偷吃而被处以了鞭刑。”杉本女士看待问题的角度依然如此与众不同。
筆がさえるのは、歴史の舞台を動かす英雄を描くときより、舞台から落ちて辛酸をなめた者を描くとき。政略結婚を強いられた姫君、失脚して幽閉された能吏、正室とのいさかいに悩む側室――。そんな人生を好んで取り上げた。
相比那些活跃在历史舞台上的英雄,她更多描绘的是从这舞台跌落的失败者所饱受的辛酸。屈从于政治婚姻的公主、因为政治斗争失败而被幽禁的干吏、与正室龌蹉不断的侧室……。她就是偏爱收集这样的人生故事。
根底には20歳で迎えた敗戦体験があるのだろう。10代を「軍国教育の沼底」で過ごし、負けてようやく「明治以降百年の洗脳」から覚めたのが創作の原点だと話す。ふたたび日本がおかしくなったとしても、「大政翼賛の小説を書くくらいなら私は筆を折る」。親しかった作家永井路子(みちこ)さんとの対談できっぱり語っている。
究其根本,或许就是她在20岁那年迎来了日本投降的那段人生经历吧。她在10岁至20岁的那段人生是在“军国主义教育的深渊”中度过的。如果日本再次变得如此疯狂,“如果要写类似于歌颂政治的小说,我情愿封笔退隐。”她在与好友--作家永井路子谈话时明确表达了这一观点。
享年91。訃報(ふほう)に接して胸によみがえったのは、直木賞を受賞した『孤愁(こしゅう)の岸』である。幕府から濃尾平野で治水の難工事を命じられた薩摩藩士の苦悩に迫った。人は時代に逆らえぬもの、権力はむやみに人を苦しめるものと考えさせられた。
享年91岁。我接到她的讣告后想起了其获得直木奖的作品《孤愁之岸》。她用细腻的笔触生动地描绘了被幕府派往浓尾平原进行治水这项艰巨任务的萨摩藩士的忧愁。人无法违逆这个时代,权力只会令人饱受苦难,从这本书中我想到了这些。
「私は葬式も墓も無用、骨は海にでも撒(ま)いてしまってほしい」「使い古した『広辞苑』を一冊、埋めてくれ」。随想集『春風秋雨』にそんな「遺言」を書き残している。
“我不需要葬礼也不需要墓碑,骨灰撒于大海就好”;“把我用惯了的那本《广辞苑》埋掉吧”。她在随笔》春风秋雨》中留下了这样一段“遗言”。
家や土地は30年以上暮らした静岡県熱海市にすべて託して去った。何を残し、何を残さぬべきか。生涯かけて歴史から謙虚に学んだ作家ならではの旅立ちだった。
她把房屋和土地都全权委托给度过了三十多年生涯的静冈县热海市。什么该留?什么该放弃?一生都以谦逊的姿态学习历史的作家,也已经踏上了另一段旅程。