あとがき――メトレスについて
渡 辺 淳 一
本書の表題である「メトレス 愛人」は同義語で、愛人のことをフランス語で表すとメトレスとなる。
だが意味は同じでも、実際のニュアンスは大分異なり、日本語でいう「愛人」は、経済的にも精神的にも男性に頼っている感じがするのに対して、「メトレス」は自立して仕事をやりながら、他の男性と恋愛関係にある女性、といった感じになるようである。
本書にも「クレッソン首相はミッテラン大統領のメトレスよ」という会話がでてくるように、女性の身で首相という要職をこなしつつ、一方で特定の男性と親しく際《つ》き合っている女性、という意味になる。
ちなみに仏和辞典の「メトレス」の項には、女主人、女教師、女の実力者、といった意味から、主婦、女将、夫人、そして恋人、愛人、妾、情婦といった意味まで広く記されている。
いずれにせよ、メトレスがかなり実力や教養を備えている自立した女性を表し、日本語の愛人という言葉にある、暗さや甘えの部分がないことはたしかである。
もともと日本語は世界でも有数の豊かな語彙《ごい》を持った言語であるが、こと愛に関する言葉だけは、長年、人前で愛を表現することが抑圧されてきたせいか、極端に少なく貧しい。当然のことながら、夫以外の男性を愛する女性を表すには、「愛人」という言葉しかなく、あとは「妾」のような差別的な表現になってしまう。
本書の主人公は経済的に自立し、自分なりのライフスタイルをもち、キャリアアップを目指しながら、同時に妻子ある男性を愛している。
こういう女性をどう表すか。これまでの手垢のついた「愛人」という言葉だけではもの足りないため、あえてメトレスというフランス語と二つ並べて、表題に用いることにした。
くり返すが、メトレスとは男性に頼るだけでなく、自ら仕事をもちつつ、自らの意志で男性との愛を享受する近代的な女性の意味である。むろん妻であっても、主婦であってもかまわない。
この言葉が愛の言葉の貧しい日本でも受け入れられ、恋する女性達が年齢や未婚既婚の区別なく、メトレスという明るい名で呼ばれるようになることを願っている。