貂《てん》 の 皮
春の明るい陽が当っている。道の両側の塀が眩《まぶ》しいくらいである。わけて、上杉|弾正《だんじよう》の中屋敷の長い塀に匍《は》った蔦《つた》は、くっきりと葉のかたちを黒く描いたように土塀の上に落していた。春も、この陽射しでは、初夏を思わせるくらいである。
麻布の飯倉片町というのは、一方が大きな屋敷ばかりならび、一方が小役人などのいる小さな屋敷が押し合うように詰っていた。要するに、このあたりは、武家屋敷ばかりなのである。
「おう、椎茸《しいたけ》さんの宿下《やどさが》りか」
「なるほどな。乙に澄まして歩いてるぜ」
鼠坂《ねずみざか》を上っているどこかの屋敷の仲間者《ちゆうげんもの》が、すれ違いに下って行く登美の姿を見てひやかした。
御殿勤めの女中というのは、髪のかたちや着つけの具合から一目で分るのだ。髪の結いようは、俗に椎茸タボといって奥女中にだけ許された特別なものだった。
「なかなかの上玉だな」
浅黄《あさぎ》色のお仕着せ半纏《かんばん》を着た仲間がまだ遠くに行ってから話しているのが聞えた。
「吉原《なか》に出したら、すぐにお職もんだぜ」
自分のことを云っているらしいが、この意味は登美には分らない。鼠坂の急な勾配《こうばい》を下り切ると、正面がどこかの大名の中屋敷で、その塀について北に曲った。
この辺も、寺と小屋敷がある。ここから、また坂は上りになった。飯倉は坂道ばかり多いところで、それぞれの屋敷の屋根が段々になっていた。
塀から往来にのぞいた桜は、花が全く散っていて、葉ばかりが繁っていた。どこかで、かすかに沈丁花《じんちようげ》が匂っていた。
この匂いをかいだとき、登美は目的の屋敷の近くに来たことを知って微笑した。塀の内で毬《まり》のように丸く繁っている沈丁花を何度も見て覚えているからである。
その屋敷は角になっていた。かなり広いが手入れは行き届いているとはいえない。塀の上に出た植木も繁り放題であった。
乳鋲《ちびよう》のついた大きな門の方には歩かず、登美は裏側に廻って通用口から入った。薪を割る音が高くしていた。
勝手の分っている家だから、構わずに歩くと、薪を割る音が急にやんで、
「これは、お縫《ぬい》さま」
と、ひょっこり尻をからげた老人が鉈《なた》を手にもって出てきた。
「あ、爺やさん」
お縫といわれた登美が微笑《わら》ってお辞儀をすると、
「こりゃアお珍しい方が見えました。丁度、殿さまもご在宅でございます」
──この屋敷は、もとの御廊下番頭、島田又左衛門の住居であった。
島田又左衛門は刀の手入れをしていたが、爺やの吾平《ごへい》の取次ぎを聞いて、
「縫が参ったと?」
と眼をあげた。
三十をいくつも出ていない。浅黒い顔だが、ひごろは柔和な印象を与えた。これで剛直な一面があって、短気がかくされているとは知らない者には想像が出来ないのである。
「お宿下りだそうでございます」
もう二十年もこの家にいる吾平が縫のことを云った。
「早いな」
これはひとりで呟いて、刀の始末をすると、起ち上った。箱のようにがっちりとした体格である。
待たせてある部屋に行くと、お城の中では登美と呼ばれている縫が、両の指をつかえてお辞儀をした。
「おじさま。お変りもなく……」
「遊んでいるから、変りようもない」
島田又左衛門は笑って坐りながら、
「宿下りだそうだな?」
と縫を見た。
「はい。昨日、おゆるしが出ました」
「この前からあまり経っておらぬが」
「今度、お三の間になりました。それで向後は容易に宿下りが叶いませぬので、お美代の方様のお声がかりとやらで、菊川さまから特にお許しが出ました」
「聞いた」
と又左衛門が云ったのは、縫が三の間に出世したことである。
「吹上の花見で、多喜の方に変事があったという。そなたの持ち出した踏台から多喜の方は足を踏みすべらしたそうな」
縫はうつむいた。声も急に細くなって、
「その通りでございます」
とこたえた。肩も急に落ちたようにみえた。
「お美代の方にとって多喜の方は敵であった。その敵を落したそなたの手柄を買って、三の間にとり立てたのじゃな」
「そのようでございます」
「そなたは機会をつかんだのだ。お美代の側にうまく食い込んだ訳だな。縫、よくやった。こうまで早く成就しようとは思わなかったな。これから先、万事、便利になる」
又左衛門は眼を輝かしていたが、或ることに気がついたように、
「しかし、多喜の方には気の毒だが、うまく足が滑ったものだな。まるで注文したようだが」
云いかけて、縫の顔をじっと見た。そうした時のこの男の眼には鋭い光が出た。
「縫、その踏台に、そなたは何か手を加えなかったか?」
縫の返事はすぐには無かった。
縫は顔を上げて、又左衛門を見た。
「細工は、いたしました」
ときっぱり云ったが、眼をかなしそうにしていた。
「やっぱり、そうか」
又左衛門は見つめた。
「多喜の方様が、お短冊を持って桜の枝に結ぼうとなされましたが、お手が届きませぬ。わたくしはその前夜、ほかの道具と一緒にお踏台をお庭に運んだことを思い出し、それをすぐに取りに参りましたが、とっさに一つの考えがわきました」
縫は話し出した。
「お美代の方様は、多喜の方様に歌合せで敗けられて、どんなに口惜しい思いをされているか、多喜の方様憎しとおぼしめしていられるでしょう。もし、ここで多喜の方様をお転ばせ申したら、どのようにお美代の方様は腹|癒《い》せにお喜びになるかしれません。ほかの場合ではございませぬ。大御所さま、御台所はじめ、満座の眼が注がれている晴れの場所でございます。多喜の方様は不面目なお姿になる訳でございます」
「うむ、それで、そなたは多喜の方を転倒させ、お美代に気に入られようとしたのじゃな?」
「踏台に手をかけたとき、とっさにその思案がつきました。お美代の方様にお気に入られることが、わたくしの探索の便利になると存じました」
「その通りだ。そなたは機会をつかんだと、わしは申した」
「幸い、お道具置場のあたりにはお女中衆が居りませなんだ。わたくしは、傍にある花飾りの提灯の中から蝋燭をとり出し、踏台の上に、蝋を塗りました。誰でもその上に上ると、足が滑るようにしたのでございます。それを持って、すぐ多喜の方様のところへ参りましたが……」
縫は口をつぐんだ。あとは言葉に出すことが出来なかったのか、また顔をうつ向けた。それから急に袂《たもと》を掩《おお》って泣き出した。
「泣くことはあるまい」
と先に言葉を出したのは島田又左衛門の方だった。
「そなたは、目的を遂げたのだ。美代に気に入られたではないか。何ごとも手段は用いねばならぬ」
「手段とおっしゃいますか……」
袂を払いのけて、縫は赤くなった眼で又左衛門を直視した。
「手段のためなら……人殺しでも」
「なに?」
「おじさま。わたくしは人殺しをいたしました。罪もない多喜の方様のお命を縮めたのでございます!」
又左衛門は縫の泣くのをしばらく黙って見ていた。庭の沈丁花がここまで匂ってきた。
「人殺しとそなたは申したが」
と又左衛門が云った。
「そなたの意志で多喜の方が死んだのではない。そこまで考えることはあるまい」
この言葉が気休めととれたのか、縫は激しく首を振った。
「いいえ、おじさま。多喜の方様を踏台から落したのはわたくしでございます。それが因《もと》で、ご懐妊のあの方は急死なされました。してみれば、直接に手をおかけしなくとも、わたくしがお命をお落させ申したようなものです。罪もうらみも無いお方を……」
「縫」
と又左衛門は少し激しい口調で云った。
「そこまで考えることはない、とわしは申している」
「でも……」
「多喜の方は不運であった、と考えてくれ。そなたの気持は分らぬではないが、これは忘れてもらわねばならぬ」
又左衛門は諭《さと》すように云った。
「縫、これからはもっといろいろなことがあろう。強い心をもってくれ」
もっといろいろなことが、これから先にある──縫はこの言葉を噛みしめるように黙った。
「分ったな?」
はい、という返事の代りに微かにうなずいた。
「よし」
又左衛門の方が元気にひとりで二、三度うなずいた。
「それでよい。もう気に患《わずら》うな。そなたの気性だ。立ち直ってくれると思う」
又左衛門の顔色にも、ほっとしたものが流れた。浅黒い顔に微笑が出た。
「今日は、ゆるりとして行ってくれ」
「いえ、おじさま」
「うむ?」
「今日のお宿下りを幸い、ぜひ、申し上げたいことがあって参りました」
と云った縫の眼は、今まで沈んだ時にない光が出ていた。
「ほう」
「実は……」
と縫が話し出したのが、お蝶というお火の番の体験した怪談であった。高級奥女中の被る襠《かいどり》が深夜廊下に立って、お用所は? と嗄《か》れた声で訊いたというのである。
それについて、縫が当のお蝶に会って問い質した話を詳しく話した。
話の途中から眼をいよいよ光らせて聴いていた又左衛門が、最後に聞き終ると、
「そうか」
と腕を組んだ。肩のあたりに力が入った。
「そうか。いよいよ大奥に坊主をひきずり込んだか? ……法華《ほつけ》坊主めが」
と又左衛門が渋い顔をして云った。
「夜中に襠を坊主頭の上から被って、用所が分らずにうろうろするとは笑止千万だ。なるほど庫裡《くり》と違って、長局の廊下では迷うのは当り前だ。坊主の迷うのは法界坊と相場が決っている。やはり怪談だな」
うつむいている縫を見て、
「感応寺の坊主であろうが、奥女中も寺詣りでは飽き足らず、坊主を長局の部屋に引き入れるとは増長したものだ。どこの、誰の部屋から迷い出たものか?」
「さあ」
そこまでは、お火の番のお蝶は見届けていない。が、その襠をきた人間の立っていた廊下の場所から考えると、年寄、中年寄、中臈、お客|会釈《あしらい》、表使いなどの部屋が近いのである。一の側は、こういう重い役の女中たちで、一部屋に一人ずつ住む。同じ造り方で、一部屋の間口が三間、奥行七間あって二階造りである。
幽霊の立っていた場所は、これらの部屋に近いのだが、さてそれが誰の部屋から出たものか、縫にも見当がつかなかった。
それを云うと、又左衛門もうなずいた。
「縫、これから先がそなたの仕事だ。すでに大奥の内にまで坊主を忍び込ませているとなると、容易ならぬ事態だ。また、それだけに尻尾《しつぽ》が掴めるかもしれぬ」
「いえ」
と縫は遮った。
「あの時の幽霊騒動で懲りて、もう二度とその危い真似はしないでしょう」
「うむ。すると、やはり参詣か。どうじゃ、相変らず、智泉院への代参は多いか?」
「それは、もう」
と縫は羞《はに》かんで云った。
「お局でも、その志願でいっぱいでございます。お年寄も、それが捌《さば》き切れぬのでお困りでございます」
「美代が大奥の風儀を乱した張本人だ」
と又左衛門は嘆息して云った。
「大御所様は美代の|とりこ《ヽヽヽ》になってござる。美代が法華宗に熱を上げているものだから、大御所様も法華信者となってお題目を唱えてござるそうな。それにつれて、出世を願う諸大名めが、われもわれもと太鼓叩きだ。大奥女中が智泉院へ詣でて祈祷をうけるのが手柄になっているそうな」
又左衛門は苦々しく笑った。
「その祈祷がどのような祈祷か、縫、そなたは知っていよう」
「はい」
縫は、さしうつむいた。
「これから、いろいろなことがあると申したのは……縫、そなたも場合によっては、その祈祷所に参らねばならぬのだ」
島田又左衛門の屋敷は、七百石取りだが、無役であるから、主人の手元の不如意を表わしたように、いかめしい門も、土塀も手入れの行き届かないところが、荒廃となって眼に見えていた。
ただ、この屋敷の前を通って気づくのは、かすかに漂ってくる沈丁花の匂いである。
眩しいばかりに明るい陽が降っている道路を、ひとりの男が、ぶらぶらと歩いていた。島田の屋敷の前を通り過ぎたかと思うと、戻ってくる。それから、また足を回《かえ》した。四十恰好の武士で、供も無いくらいだから、あまり身分が高そうではなかった。
用があるような、無いような歩き方である。さりとて、邸の内からかすかに流れてくる沈丁花の匂いを賞玩するような風流人でも無さそうである。
この男は、縫が島田の屋敷に入った時からこの辺をうろつきはじめていた。
正確にいうと、縫がここに来る途中、鼠坂を下っている時から、あとを歩いて来ていたのだ。だから、どこかの仲間同士が、
「椎茸さんの宿下りか。あの容貌《きりよう》なら、吉原《なか》に出したら、すぐにお職もんだぜ」
と縫の品さだめをしていたのを聴いたはずである。
いや、実は、それがすれ違いに耳に入ったものだから、それまでぼんやり歩いていた彼の眼が急に先方を注意したのであった。
縫の後姿を見て、この男は小首をかしげた。それから自分の記憶を正確にするため、少し足を早めて追ったのだ。これは追い抜いて、さり気なく女の横顔を覗いてみようとする魂胆だったが、それが成就せぬうちに、縫の姿が島田又左衛門の邸の内に消えたのであった。
しかし、縫が裏門に廻るために変えた姿勢から、彼女の横顔をちらりと見ることには成功した。
「やはり、あの女中だ」
思わず動いた唇には、この言葉が低く出た。
彼は、しばらくそこに立って考えた。それまでに無かった熱心さがこの男の顔色に流れたのはこの時からである。
急ぎの用事の無い身体か、あっても、それを放棄したのか、とにかく、彼は島田の門前を行きつ戻りつ歩きはじめたのであった。それも、ただ、ぼんやりと歩いているのではない。眼は絶えず裏の勝手門に奪われていた。それは、いつかは其処から出てくる縫の姿を待っている表情であった。
このあたりは、あまり通行人がない。たまに、近所に住んでいる小役人か、その家族らしい者が通りがかるくらいである。そのたびに、男は何気ない風に、自分も通行人のひとりのように装っていた。眼つきは鋭かった。
この男は、ただ屋敷の前をうろうろしているだけではない。近所の女が折よく通りかかったのに訊いたものである。
「あのお屋敷は、どなたのお住居ですか?」
島田又左衛門様と教えられて、彼は首をひねった。彼の覚えの中には無いらしいのである。
どういう人間であろうか、と考えているような顔であった。が、とにかく、縫の出て来るのを待ちうけていることには変りはない。
近所には寺が多い。男はその寺の門前に彳《たたず》んだり、塀に沿って歩いたりしている。無論、通行人に不審がられないためだったが、眼は島田の屋敷以外には遊んでいない。
晩春の陽をぞんぶんに浴びて、彼が少々退屈したときだ。
「これは落合《おちあい》さま」
不意に後から声をかけられて、彼はぎょっとなって振り返った。五十年輩の男が、お辞儀をして笑いながら立っていた。
「なんだ、お前か」
と云ったのは、相手が大奥の屋根直しの御用で出入りしている鳶の親方だったからである。
「今日はお非番でございますか?」
「うむ」
と男が渋い顔をすると、
「結構でございますな。今日はお天気がよろしくて。落合様はこの辺にお知り合いでも?」
「いや」
と、添番落合久蔵があわてて打ち消したのは、自分の行動に臆したものを感じているせいである。自分たち添番の住居は四谷塩町だと相手に知られていた。
「ちょっと、寺に知り合いの回向《えこう》があってな、その帰りに、人を待ってぶらぶらしている」
「なるほど、ご仏参でございますか。それはご苦労さまでございます」
鳶の親方で神田に住む六兵衛という男だったが、小腰をかがめると、添番落合久蔵の傍を離れた。
「ご免下さいまし」
五十をすぎた丁寧な男で、久蔵が西丸に詰めているとき、番所近くの七ツ口にはよく顔を見せた男である。添番という役目柄、鳶が仕事をしている際は、久蔵は現場を見廻ったものだが、しかし、その時の六兵衛の顔は、屋根の上で働いている職人たちを見上げて、まことに厳しいものだった。眼の動き方一つで、若い連中を手足のように働かせていた。まるで戦場の侍大将だな、と久蔵でさえ思ったものだ。たった今の、おだやかな物腰とはまるで異《ちが》う。
(いやな所で遇ったな)
何となくそう思って、久蔵が歩いて行く六兵衛の背中を見送っていると、意外にも彼の姿は島田の屋敷の裏門をくぐって消えた。
落合久蔵は、おや、と眼をむいた。
島田又左衛門と縫とは、まだ向い合っていた。
「美代の勢力を大奥から追放するには」
と又左衛門は云った。
「美代の周辺に集っている役つき女中どもの非行から曝《あば》かねばならぬ。それが何よりの突破口じゃ。林肥後、水野美濃、美濃部筑前、それに中野播磨、内藤安房、瓦島《かとう》飛騨、竹本若狭などの連中が美代と結託して容易ならぬ野望を企てている。それを挫くには、美代の腹心の女中どもを引っくくり、美代を打ちのめすことが早みちじゃ」
「容易ならぬ野望と仰せられますと?」
縫は不審な眼をあげた。
「いや」
又左衛門はその眼を遮った。
「いずれ話す。重大なことだから、わしももう少し考えねばならぬ。そのうち、そなたにもうすうすその様子が知れる筈」
「はい」
「とにかく、水野、中野の一派を大御所の周囲から追い落さねばならぬ。美代と結んで増長した奴らが飛んでもない野望を企んでいることだけは知っていてくれ。縫、単にそなたの父に関わったことだけではないぞ」
「はい」
父のことと云われて、縫はさしうつむいた。父はお美代の養父、御小納戸頭中野播磨守清茂に疎《うと》まれて、あらぬ咎めをうけ、閉門の後、知行所に引込んで不遇の後に死んだのである。この島田又左衛門の義兄で、粕谷《かすや》市太夫という名だった。六百石で、お城では御納戸役をつとめていた。
父が死ぬまで中野播磨守を恨んでいたことは縫の脳裡にしみ込んでいる。まだ将来への志もあって、勤めには精励していたのだが、陥穽《かんせい》に落ちて、途中で廃人同様になったのがどんなに口惜しかったかしれない。父の死を早めたのは、その絶望と、中野播磨への憤怒の果ということができる。
中野播磨守は、隠居して石翁と名乗り、向島の壮大な別墅《べつしよ》に引込んでいるが、お美代の養父を嵩《かさ》にきて、今でも西丸での勢力が少しも衰えない。大御所家斉の「相談相手」として勝手なときに、いつでも登城する。
登城するのでも、向島から屋形船に乗って隅田川を下り、辰《たつ》の口に着けるという気儘ぶりである。船の障子は阿蘭陀《おらんだ》渡りのギヤマンで張るという豪勢さだ。花見どきでも、石翁の別荘があるため、諸人恐れをなして、川向うから桜見をしたというくらいである。隠居しても、布衣《ほい》以上の格式の行列で登城した。
縫が父の恨みを石翁に晴らそうとしても、とても手の出る相手ではなかった。その心を知っている島田又左衛門が、己の計画に彼女を引き入れたのである。
又左衛門が、縫に、父のことだけではないぞ、と云ったのは、この仕事がもっと公辺につながっているという意味なのだ。西丸老中林肥後守、御小納戸頭取美濃部筑前守、西丸御側御用取次水野美濃守の三人は大御所家斉の寵臣であり、お美代の方に加勢している。これに美代の養父中野石翁が加わって、四奸臣が何ごとか画策しているという。又左衛門は縫にその詳細は云わないが、縫が想像しても公儀を動顛《どうてん》させるくらいな野望らしい。
縫がそのことを探るのはとても不可能であり、又左衛門にしても正面からぶつかることは出来ないのであろう。そこで考え出したのが、お美代の方の勢力失墜である。
「美代さえ落せば、奸臣の策謀も自然と消滅する」
というのが又左衛門の云っていることなのだ。この策謀が何であるか、又左衛門はまだ口を閉じている。
しかし、美代を追い落すことは容易ではない。家斉の寵愛をうけ、その腹にもうけた二人の女《むすめ》は加賀の前田と安芸《あき》の浅野に縁づかせている。権勢絶頂の彼女を落すことは何人にも不可能である。
が、それには、たった一つの方法があるのだ。
美代は、実は、法華宗中山智泉院とその別寺感応寺の住職日啓の娘である。彼女が法華信者になったのはそこからきている。大奥の女中が挙げて法華宗なのは、無論、美代に媚《こ》びているからだ。
智泉院や感応寺は、老女の代参が頻りである。のみならず、加持祈祷のため、衣類が長持に詰められて旺《さか》んに運ばれる。
しかるに、感応寺の坊主と大奥女中との奇怪な関係が世間に近ごろ取沙汰されるようになった。
ないことではない。何年か前に、谷中《やなか》の延命院事件というのがあった。これも法華宗である。この時は住職の日当という坊主が多数の大奥女中の帰依《きえ》を得て、遂に五十数名の女を籠絡《ろうらく》した一件である。
大奥女中の行状は、そのころ眼にあまるものがあったが、何分、相手が大奥であるから歴代の寺社奉行が見て見ぬふりをしていた。うかつに手をつけたら、己の失脚となりそうだからである。
文化十年、播州《ばんしゆう》竜野城主、脇坂《わきさか》淡路守|安董《やすただ》が寺社奉行となるに及んで、思い切ってこれを摘発した。硬骨漢の脇坂は坊主と奥女中とを検挙して世間の喝采を博したが、さすがに奥女中の方には遠慮して、人数も最少限度にした。その点は、まだ不徹底であった。
それでも、脇坂淡路守は、一度は退職せねばならなかった。大奥とは、それほどの怪物である。
延命院事件で打撃をうけた大奥女中も、ほとぼりがさめると、またもや虫が起って感応寺の妙な祈祷をうけるようになった。
今度は前回と違い、美代の実父が住職をしている感応寺だけに、お詣りはなかなか派手である。美代の周囲の役づき女中が、いろいろな口実をつくっては御代参を買って出る。
ところが、今度、前の寺社奉行脇坂淡路守が、再び寺社奉行に復帰した。硬骨漢の脇坂が出たというので、世間はよろこんだ。
狂句好きの江戸町民は、早速、
「また出たと坊主びっくり貂《てん》の皮」
と落首した。
貂の皮は、脇坂の槍の投げ皮である。
しかし、感応寺の坊主が、脇坂の再任で果してびっくりするかどうか、それは今後の彼の手腕である。
島田又左衛門の身内の縫が、大奥に奉公してお美代の方の周辺に近づいたのは、どうやら脇坂淡路守と線がつながりそうである。
そして、そのことは更に、又左衛門の云う奸臣の野望挫折にも関連がありそうなのである。
又左衛門が縫に云った、
「そなたの父のことだけではない」
という言葉には、これだけの意味があったのだ。
「しかし」
と又左衛門は縫に云った。
「そなたが心に咎めるのは尤もだが、多喜の方の一件で、美代に気に入られたのは何よりじゃ。よくやった。脇坂どのが聞かれたら喜ばれよう」
大そう満足げな顔である。彼の口から、果して脇坂淡路守の名が出た。
「けれど、おじさま」
縫は、つと顔をあげて又左衛門を見た。今までとは違った眼である。妙におびえた色があった。
「腑《ふ》に落ちぬことがございます」
「何だな」
「わたくしが細工した踏台が、隠した場所から消えておりました」
「と申すと?」
「多喜の方様を落した踏台でございます。わたくしは騒ぎが起ってから、誰にも気づかれぬようにお鳥籠茶屋の床下に隠したのでございますが、あの幽霊騒ぎが起った翌晩、処分しようと取り出しに行きました。すると、いくら探しても、もとの場所には……」
「無かったのか?」
「はい、もしや誰かが取り出したのでは……見られたらすぐ分ります。踏台には蝋《ろう》が塗ってありますから、多喜の方様がお転びになったのは、その細工のためだということが……」
「ふうむ」
島田又左衛門の表情もむつかしいものになった。
「隠した場所に間違いはないか?」
「しかと覚えております。他人《ひと》に見られてはならない品ですから」
縫の眼には動揺があった。
「どんな奴だろう?」
と又左衛門が呟いたのは、むろん、その踏台を隠した場所から取り出した人間のことである。
掃除する男が何気なく床下から拾い出して片づけたか。もしそれなら別段のことはないが、品物のとり片づけ方によっては、それから先、誰かが細工に気づかぬとも限らないのである。
「今日で幾日になる? 例のことが起ってからだ」
「お花見の時からおよそ一カ月近く経ちます。わたくしが踏台を取り出しに行ったのが、その五日あとでございます」
「誰かの手で、踏台がとり出されたのは何時《いつ》のことか知れぬが」
と又左衛門は云った。
「とにかく、そなたより先《せん》を越した者があるのだ」
「事情を知ってでございましょうか?」
縫は不安そうに訊いた。
「さあ」
又左衛門も迷っていた。
「それから二十日以上も経ったが、踏台のことでは誰も騒がぬのだな?」
「はい」
「してみると、仔細はないかもしれぬ。いまごろは、ひっそりとどこかの物置に抛《ほう》り込まれているのかも分らぬ。事情を知らぬお庭の掃除番が、塗った蝋まできれいに拭った上でな」
「それでは、あんまり……」
「気楽過ぎると申すか。いや、心配するほどではないかもしれぬぞ。無論、気をつけるに越したことはないが」
又左衛門は縫を安心させるように云った。が、自分でも、それで落ちつきたいような云い方であった。
縫はそれきり黙った。眼は又左衛門の坐った太い膝と、その上に置いた逞しい手とを見ている。それは意志を感じさせ、縫に信頼を与えている手であった。今もそれを思ったのだ。
縫は幼い時から、おじさま、と呼んでいるこの母方の叔父に信頼を置いていた。一徹だが、気のやさしいところが好ましいのである。その代り、この男は、嫌いとなると、頑固なくらい意地を通すのである。御廊下番頭の役を棒に振ったのは、西丸老中林肥後守と衝突したのである。三十を過ぎた今でも独身を通しているので、世間では偏屈な人だと云っている。
「申し上げます。神田の六兵衛が参りました」
と吾平が襖《ふすま》を開けて取り次いだ。