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军人家书 寄自冲绳
日期:2017-06-30 12:35  点击:448
釣りや演芸会を楽しみ、満開のアンズに見ほれ、内地から届く週刊誌「サンデー毎日」を回し読みする――。ある日本兵が旧満州から家族へ送った膨大な絵手紙を、那覇市歴史博物館で開催中の企画展で見た(27日まで)。
 
钓鱼、观看表演会、欣赏盛开的杏花……。大家传阅着从内地送来的周刊杂志《Sunday每日》……。我在那霸市历史博物馆举行的规划展(截止27日)中看到了某个日本士兵从“原满洲地区”寄给家人的大幅带图书信。
 
福岡市出身で陸軍野戦重砲隊員だった伊藤半次(はんじ)氏の遺品である。絵を愛する提灯(ちょうちん)職人だった。「雄大な大陸にいると短気な俺でも気が長くなる」。おどけた絵からゆったりとした兵営の日常が浮かぶ。
 
这是出生福冈市的原陆军野战重炮士兵伊藤半次氏的遗物。他原本是位热爱绘画的灯笼工匠。“身处庞大的大陆,原本性急的我也变得耐心起来。”风格轻松的画作让我联想到了军营日常轻松的气氛。
 
その数、3年間で約400通。妻をいたわり、3人の子を励ました。だが転戦した沖縄で音信状況は一変する。「少尉殿外(ほか)班長諸氏も皆元気」「お手紙を下さい」「サヨーナラ」。8カ月で3通。自慢の絵は1通もなかった。
 
3年间,他写了大约400封带图书信,以此安慰妻子,鼓励3个孩子。但是,到了转战后的冲绳,通信状况却发生了巨大的改变。“少尉阁下下属的各位班长都很有精神”;“请给我写信”;“永别了”。在八个月间,他只写了3封信,其引以为傲的画作也没了踪影。
 
「家族思いで筆まめな人。米軍上陸への備えや空襲、戦闘で手紙どころじゃなかったのだと思います」。孫の博文(ひろふみ)さん(48)は推理する。
 
“他把对家人的思念全写在了纸上。我觉得他由于防备美军登陆和空袭,所以在战斗期间根本没有时间写信。”其孙伊藤博文(48岁)如此推测说。
 
沖縄戦では、特に司令部が南部に撤退した後、住民を洞窟から追い出し、食糧を奪った兵がいた。外間(ほかま)政明学芸員(49)によると、半次氏の部隊はそれ以前に首里近辺で壊滅的な打撃を受けていた。生き残った兵は雨と泥に耐えて南下し、糸満市の摩文仁(まぶに)の丘付近で戦死したとみられる。
 
在冲绳战役中,尤其是在司令部南撤之后,有些士兵把当地居民从藏身的洞穴里赶出来,并抢夺他们的粮食。据博物馆研究员外间政明(49岁)说,半次氏所在的部队之前在首里附近遭受过毁灭性打击。幸存下来的士兵忍受着雨水和泥泞南下后,在绳满市的摩文仁高地附近全部战死。
 
今年もまた、沖縄慰霊の日を迎えた。摩文仁の丘を訪ねると、戦没者の名を刻んだ「平和の礎(いしじ)」に伊藤半次の刻銘があった。最期に目にしたのは砲弾の嵐か、それとも焼き払われたサトウキビ畑だったか。愛する家族のもとに戻れなかった天性の画家の無念をかみしめた。
 
今年又将迎来冲绳悼念日。我走访了摩文仁高地,在篆刻着战死者名字的“和平之基础”上发现了伊藤半次的名字。他最后目睹的是疾风骤雨般的炮击呢?还是被夷为平地的甘蔗地?我细细品味着这位性情秉直的画家无法回到深爱家人身边的遗憾。

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