挑戦する人は多いが、なかなか通読できない本がある。代表例が、今年で出版150年となる『資本論』だろう。著者のマルクスは生前、難解だと苦情を聞かされると「労働日」の章を読んでくれと言っていたそうだ。英国にはびこる長時間労働を扱っている。
有些书很难通读,很多挑战者都铩羽而归。其典型代表就是《资本论》,今年是其出版150周年。据说作者马克思听到人们抱怨难以理解后,建议他们读一下题为“劳动日”的章节,其针对的是在英国随处可见的长时间劳动。
「わたしたちも普通の人間です。超人ではありません。労働時間が長くなるとある時点で働けなくなるのです……頭は考えるのをやめ、目は見るのをやめるのです」(中山元〈げん〉訳)。事故を起こしたとして裁判にかけられた鉄道労働者の言葉だという。
“我们是普通的人,而非超人。如果劳动时间边长,那么到了某个点就再也干不动了…..脑袋会停止思考,眼睛也会闭上”(中山元翻译)。据说这是一位铁路工作者说的话,因为发生了事故而遭到了判刑。
読んでいくと、本当に19世紀の記述なのかという気がしてくる。食事の時間を削られ、働かされる人たちがいる。納期に追われ過労死した若者がいる。
越读下去,我就越怀疑这是否真的是19世纪的记录呢?有些被迫劳动的人,连吃饭时间都被削减。还有年轻人因为赶工期而活活累死。
現代の日本は、またも過労の犠牲を生んでしまったか。新国立競技場の建設工事にあたっていた20代の建設会社員が失踪し、自ら命を絶った。失踪前の1カ月間は211時間の時間外労働をこなしていたという。人間よりも工期が優先なのか、違法状態がまかり通っている。
而今的日本难道又出现了累死的劳动者了吗?新国立竞技场的建设工地上,一位20岁的建筑公司员工失踪,并自杀了。据说在其失踪前的1个月间,他加班211个小时。相比劳动者,工期更重要吗?违法情况真是肆无忌惮。
残業時間を規制するため法改正の動きはあるが、どうも様子がおかしい。「残業代ゼロ」法案を通そうという流れが同時にあり、将来、規制の抜け道に使われるのではと危惧される。対応をめぐって連合内部で意見が割れ、労働界は大揺れである。
为了规范加班时间,国家正修改法律,但其外在表现出来的姿态又非常奇怪。有人意图同时推动所谓“零加班费”法案。将来,其难保不成为规避法律的工具。围绕如何对应这一时间,联合协会内部也是意见分歧,劳动界的反应非常强烈。
労働者が死と隷従に追いやられるのを防ぐ。そのための強力な法律を――。マルクスはそんな訴えで章を終えている。悔しいことに、少しも古びてはいない。
必须防止劳动者被逼入绝境。为此需要强力的法律……。马克思在文章结尾如此呼吁。令人悔恨的事情,古今没有任何改变。