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凶杀事件 案发一年
日期:2017-07-30 20:00  点击:442
1970年、横浜市で脳性まひのある2歳の女の子が母親に殺された。施設への入所を断られ、将来を悲観しての犯行とされた。母親の境遇を思いやる地域住民らが減刑を求めて運動を起こす。しかし、これに異を唱えた人たちがいた。
 
1970年,在横滨市发生了一起母亲杀死患脑麻痹的2岁女婴事件。这位母亲将女婴送往相关机构时遭到拒绝后对未来感到绝望,于是施行了犯罪。同情其境遇的当地居民发起了请求减刑的运动。但是,有人却表示反对。
 
「母親を憎む気持ちは毛頭ない。だが罪は罪として裁いてほしい」。脳性まひの当事者らが思いを意見書で訴えた。切実な言葉が本紙に残る。「減刑になることは、僕たちの存在が、社会で殺してもいいということ」「かわいそうだから障害児を殺した方がいいという、そんな愛ならば、いらない」。
 
“我对这位母亲没有丝毫怨恨。但是罪行就是罪行,还是要对其审判。”身患脑麻痹的人们通过意见书提出了自己的想法。本报也刊登了其真切的言词。“减刑就是意味着社会希望抹杀我们的存在”;“因为同情而杀死患儿,如果认可该方式并称其为爱的话,还是不要为好。”
 
半世紀前の訴えを、男は想像すらできなかったろう。相模原市の「津久井やまゆり園」で19人の命が奪われた。事件から、きょうで1年になる。
 
男人的话,是无法想象半世纪前的这一呼吁的。在相模原市的“津久井百合园”发生了19人丧命的惨剧。今天正是其一周年纪念日。
 
あまりにもむごく、異常な犯行だった。しかし今も答えが出ないのは、被告の男の思考そのものも異常だと片付けることができるのか、という問いではないか。
 
其犯罪手法极其残忍,超乎人们的想象。但是时至今日,被告男性的思维方式是否能用异常来形容仍无法回答。
 
「彼は正気だった」。和光大名誉教授の最首悟(さいしゅさとる)さんが事件後にそう語っていた。「いまの日本社会の底には、生産能力のない者を社会の敵と見なす冷め切った風潮がある。この事件はその底流がボコッと表面に現れたもの」。障害のある娘と暮らすゆえの重い言葉であろう。
 
“他绝对是正常人”,事件发生后,和光大学名誉教授最首悟如此说道。“现在日本社会的底部,流动着敌视失去劳动能力之人的暗流。这次事件就是这股暗流的显现。”因为他和身患残疾的女儿一起生活,所以其话语格外有说服力。
 
言語障害があるならあるまま、喋(しゃべ)れるなら喋れるまま、お互いの存在を認め合う関係を――。あのとき声を上げた一人である故・横田弘さんが著書で述べている。問われているのは、当たり前のことができるかどうかである。
 
有语言障碍就有语言障碍吧,话多就话多吧,只有能确立相互认可的关系……。那时,已故的横田弘先生在其著作中表达了其想法。是否能将其当作平常之事来处理,这是我们想问的事情。
 

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