21世紀の世界は、冷戦期以上に「国家」によって、いつのまにか戦争に引き込まれてしまいかねない危うさがある。知らずのうちに自らも憎悪の虜となり、報復の銃を手にしてしまっているような怖さがある。このシナリオはあまりにも愚かすぎる。だが、( )。アフガン戦争もしかり、もし、この報復の連鎖に身を任せれば、人類は間違いなく「野蛮への逆戻り」となる。
では、このような時代における「日本人としてのアイデンティティー」というのは、何であろうか。日本人として世界に発信できることは何なのだろうか。その結論は一人一人が出すよりほかないが、少なくともそれが自国の経済力や軍事力など、国家の力を誇ることと同一ではないことは確かである。そもそも「アイデンティティー」というのは、国家から与えられるものではないのである。言えることは、あなた自身がひとりの日本人として、狭い自国だけの国益至上主義の呪縛から独立して、人類社会の共通の利益に立って考えられるかどうかであり、また、日本人が受け継いできたよき文化的伝統をもう一度捉え直し、国際社会の中で「私はどう生きるか」という問い直しができるかどうかにかかっている。「日本人としてのアイデンティティー」とは何かという答はあなた自身の中にあるのだから。
1、( )に入るものとして、最も適当なのはどれか。
①あり得ないことではないのである
②あろうはずがないのである
③あってしかるべきなのである
④あったわけではないのである
2、筆者は「日本人のアイデンティティー」についてどう考えてるか。
①人類社会の共通の利益に立って行動することから生まれるものだ。
②国際社会の中で「私はどう生きるか」という問い直しの中から生まれる。
③日本人が受け継いできた、よき文化的伝統の中にこそ存在する。
④日本国の国益から離れて、日本人のアイデンティティーは語れない。