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长崎核爆 七二周年
日期:2017-08-10 18:29  点击:536
原爆投下から25年後のことである。子ども向けの雑誌に全身ケロイドの怪獣が掲載され「ひばくせい人」との説明が添えられた。出版社は批判を浴び、社会問題になった。長崎での被爆体験を持つ作家の林京子さんが作品で取り上げている 
 
事情发生在投掷下原子弹25年后,以孩子为对象的杂志上刊登了一幅全身疤痕累累皮肤异常的怪兽图片,并辅以说明称“被核爆性人”。出版社当即受到了各界的猛烈批评,一时间成了个社会问题。具有长崎核爆经历的作家林京子在其作品中谈到了此事。 
 
けしからん、と書いているわけではない。「これはこれでいい。漫画であれピエロであれ誰かが何かを感じてくれる」。原爆が風化しているとの危機感ゆえであろう。被爆30年後の私小説『祭りの場』にある 
 
当然,他并没有明确撰文批评说,这太过分。反倒认为“这么做并不出格。无论是漫画也好,小丑也罢,总有人会感觉到些什么”。或许是因为担心核轰炸被淡化的危机感使然。核轰炸30年后的私小说《祭场》中就有这段描述。 
 
語り部と呼ばれた作家は、今年2月に他界するまで原爆を書き続け、問い続けた。女学校時代に動員された兵器工場での被爆体験。原爆症で亡くなった友人たち。そして自分もいつ発症するかと、おびえる日々 
 
这位被称作宣传员的作家一直到今年2月离开人世,始终坚持有关核轰炸的文字创作,始终面向社会提出一系列的问题。在她还在上女校的学生时代就被动员进了兵工厂,在那里遭到了核轰炸。她有很多因核爆症而亡故的朋友,而且,自己也提心吊胆担心着不知哪一天也会发病,战战兢兢地过着每一天。 
 
半年ごとの診断で「異常なし」と記入されるのが何よりありがたかったと、エッセーで書いている。「次の定期診断の日まで生きられる……六カ月の保証を信じて、ひたすら生きた」。白血球の減少が指摘されたときは空に手をあわせた。「どうかあと少し、せめて息子が中学生になるまで、生かして下さい」 
 
她在随笔中写道,每半年就有一次的诊断,记录中“无异常”这几个字对她而言是多么的弥足珍贵。“我相信这六个月的保证,我一定能够活到下一次的定期诊断日。总而言之就是想要活着”。当被提醒到白血球减少的时候,便双手合十对着天空祈求老天保佑,“务必让我多活几天,至少活到儿子上中学的那一天” 
 
核兵器がいかに非人道的か。どのように人間を破壊するか。実相を知る人たちが一人、また一人と去る。語り継ぐことの重みをかみしめる72回目の原爆忌である 
 
核武器是多么的惨无人道,对人类的破坏有多么严重。知道这些实情的人正在一个个地离去。今年是第72年的核爆忌日,使我们更深刻体会到把实情传述给后人的分量。 
 
「体験しなければわからぬほど、お前は馬鹿か」。絵画により原爆を告発した故・丸木俊(とし)さんの言葉だとして林さんが記したものだ。原爆も、戦争も。いまを生きる私たちに投げかけられた警句であろう。 
 
“难道你竟然愚蠢到这个程度?不亲身经历就不知道它的严重危害?”不是利用绘画,而是直接揭露核爆罪恶的已故丸木俊先生的这段话语被林女士写进了她的作品之中。无论是关于核爆,还是战争,所有这些都是警句,它时刻提醒着我们这些尚且存活着的人。 

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