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八十年前 东京奥运
日期:2017-08-27 10:34  点击:650
1936(昭和11)年の夏、日本は喜びにわき返った。アジア初の五輪を4年後に東京で開くと決まったからだ。祝賀のラッパが鳴り響き、街に五輪マークがひるがえった。
 
1936年(昭和11年)夏,日本全国一片欢腾。因为东京将在4年后举办亚洲第一届奥运会。祝贺的喇叭四处想起,街道上摇曳着奥运标志。
 
しかし翌年夏には早くも雲行きが怪しくなる。手を携えるべき大日本体育協会と東京市が対立し、開催3年前にいたってなお主会場が決まらない。東京湾埋め立て案、明治神宮外苑案、代々木案などが浮かんでは消えた。巨額の建設費がたたった。
 
但是在第二年的夏天,前景却变得诡异起来。本应协作的大日本体育协会和东京市发生了对立。原因是距比赛举行只剩下三年了,但主会场却迟迟未定。填埋东京湾提案、明治神宫外苑提案、代代木地提案等各种方案此起彼伏。最后花费了巨额的建设费。
 
五輪ポスターでは公募で選んだ1等の作品が使えなくなる。描かれた神武天皇の姿に「天皇をポスターに使うとは何ごとか」と横やりが入った。混乱が続く中、政府は38年夏、激しくなった日中戦争を理由に開催そのものを断念する。
 
奥运标志原本花落公募第一名的作品,但是对于这描绘了神武天皇的标志,有人无事生非“将天皇作为标志使用,居心何在?”1938年夏季于一片混乱中,政府以“日中战争”加剧为由,放弃了举办权。
 
「たしかに準備段階から迷走続きでした」と幻の東京五輪に詳しい古城庸夫(こじょうやすお)・江戸川大准教授は話す。「ですが、もし日本が大陸から兵を引くことができれば、開催の道はありました。五輪予算が戦費に圧迫されず、英米からのボイコットの声も収まっていたでしょう」。
 
“确实,从准备阶段开始就一片混乱”,熟悉那次宛如虚幻东京的奥运会的江户川大学副教授古城庸夫先生这样说道。“但是,如果日本能够从大陆撤兵,那么那届奥运会还是能够举办的。奥运经费也不会被军费占用,来自英美的抵制声音也会消失。”
 
以来80年にもなろうというのに、五輪の準備中に起きる混迷のメニューが現代とほとんど変わらないことに驚く。混乱のもとをたどればかさむ費用という問題に行きつく。これまでは多くの開催都市が借財を抱えてやり繰りしてきたが、そろそろ限界も見えてきた。名乗りを上げる都市がすっかり減ったという事実が裏付ける。
 
虽然80年过去了,但奥运筹备陷入混乱的场景却一般无二,这着实令人震惊。究其混乱的源头,费用增多的问题显然是“罪魁祸首”。截止现在,很多举办城市都是负债操办,但这也差不多到极限了。报名的城市迅速减少的事情就是明证。
 
人類最大のスポーツ行事に人類がそろって手を焼く。考えてみれば不思議な話である。
 
对于人类最大的体育赛事,大家竟然一筹莫展。如此想来,还真是莫名其妙。

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