この夏、芭蕉の弟子たちに関する本を何冊か続けて読んだ。きっかけは東京都江東区の芭蕉記念館で見た「蕉門十哲」展。其角、嵐雪ら門人たちの織りなす意外にどろどろとした人間関係を知ったからだ。
这个夏天,我看了好几本关于芭蕉几位弟子的书。起因是我参观了位于东京都江东区的芭蕉纪念馆举办的“蕉门十哲”展。通过其角、岚雪等门下弟子交错演绎的各种人生意外令我知悉知悉了其错综复杂的人际关系。
たとえば許六――。〈十団子(とおだご)も小粒になりぬ秋の風〉という句を師に激賞され、彦根俳壇を率いた。だが『芭蕉の門人』(堀切実著)によると、何かと大言壮語する癖があった。世にもてはやされた其角や支考の作風にケチをつけ、師の神髄を継ぐ者は自分ひとりだと見えを切った。
就拿许六这位弟子来说吧,他因为吟诵了一句“十団子も小粒になりぬ秋の風”(秋风阵阵,一串丸子有十个,个个样子如往昔)而获得老师赞赏,还当过彦根地区俳歌界的领军人物。但是据《芭蕉门人》(堀切实著)上说,他似乎有说大话的习惯。曾享誉全国的其角和支考为人小气,都认为继承老师俳歌精髓的人只有自己一个人。
〈五位六位色こきまぜよ青簾(あおすだれ)〉〈黄菊白菊其(そ)の外(ほか)の名はなくもがな〉。そんな句を残した嵐雪は、其角と並び称される高弟だった。だが芭蕉との関係が冷え、師の没後は俳壇でたちまち勢力を失う。
“五位六位色こきまぜよ青簾“(蓝色的门帘,5、6种颜色交错)、“黄菊白菊の外の名はなくもがな”(白菊、黄菊外,再无其他名),留下上述诗句的岚雪是与其角并称的芭蕉高足。但他与芭蕉关系冷淡,在老师离世后就在俳歌界失势了。
近江の路通(ろつう)は路上生活者である。『乞食(こじき)路通』(正津勉著)を読むと、旅の芭蕉と出会い、1首を詠んで弟子入りを許された。だが品行に難があり、門人たちには嫌われる。〈いねいねと人にいはれつ年の暮〉。「去れ」「去れ」と座から追われるような目に遭ったらしい。
近江的路通是路边的乞丐。读了《讨饭的路通》(正津勉著)后我才知道他邂逅旅途中的芭蕉,在吟诵一首诗后获准拜入师门。但是他的品行有欠缺,被其他弟子所厌恶。“いねいねと人にいはれつ年の暮”(年末被人四处赶)。“滚”、“滚”,他也曾被人从座位上赶走。
これら芭蕉一門の歩みをたどって浮かぶのは、残念ながら、鉄の結束などではない。むしろ自派の拡大に汲々(きゅうきゅう)とし、他派を牽制(けんせい)する男たちの姿である。
很遗憾,追溯芭蕉门人的人生轨迹后所看到的并非是他们的精诚团结。他们个个为了扩大自己的派别而牵制其他门派,呈现在人们眼前的就是这样一种面貌。
蕉門の作品群は日本の短詩文化の精髄だろう。だが、きらめく水面の底では嫉妬や駆け引き、蹴落とし合いが繰り広げられた。いつの時代、どこの組織にも見られる人くさき営みを風雅の極みの蕉門に見て、なぜか妙に安堵(あんど)した。
芭蕉一系的作品集可以说是日本短诗文化的精髓。但是,在光鲜的水面下却不断涌动着嫉妒、利用以及互相拆台。无论哪个时代,无论哪个组织,如果看到了风雅至极的芭蕉一派的为人处世,都会感到一种莫名的安心。