批評家の四方田犬彦(よもたいぬひこ)さんのエッセーに「待つことの悦(よろこ)び」がある。約束の場所に早めに着いて、彼女を待つ。地下鉄の改札から駆け上ってくる姿を、一枚の絵のように想像しながら。心は恍惚(こうこつ)感でいっぱいだ
批评家四方田犬彦先生的随笔中提出了“等待之喜悦”的概念。早早地来到了约好的地方,等着她的到来。想象着她从地铁检票口出现的身姿宛若一幅画似的令人期待,可内心却充满着空荡荡的感觉。
しかし彼女はなかなか来ない。心配はやがていら立ちに変わり、彼女の誠意が疑わしくなる。そして訪れる孤独と絶望。そのあとの彼女の到着は奇跡のようにも感じた。「遅れたことのたわいのない原因を説明する彼女は、なんと美しく、魅力に満ちていることか」
然而,左等右等她还是没有到来。担心渐渐地变成了忐忑,甚至怀疑起她的诚意来。紧接着袭上心头的是孤独和绝望。在此之后她的来到简直就觉得是一个奇迹,“一味地说明迟到原因的她,尽管并没有什么大不了的理由,可还是觉得她是多么的美,且充满魅力”
携帯電話もスマホもない時代の恋を知る方なら思い当たるだろうか。気持ちを揺さぶるような「待つ」が消えつつある現代である。いつでも通信機器でつながり、時差のない世界が生まれている
假如你是一个对于那个既没有移动电话又没有智能手机的时代的男女恋爱比较了解的人,想必一定经历过如此场景吧。当年的那种搅得人心烦意乱的“等待”已经在现代社会中消失了。无论什么时候利用通信工具就能取得联系,一个不存在时差的同步世界因此而诞生。
待ちぼうけ。待ち遠しい。待ち焦がれる。待ちわびる。待つことを表現する日本語のいかに豊かなことか。去来する感情に言葉をあて、つらさを和らげたのだろう
空等一场,等了又等,等得着急,等得心烦意乱,等等。不难看出日语中表达等待之意的方式是多么的丰富。或许所有这些都是在给翻腾于内心的情感一个语言定位,并以此来缓和情绪纠结吧。
時間をかけて患者と向き合う精神科医ゆえか。春日武彦さんは、待つことの意味を強調する。「人事を尽くして天命を待つ」は決して消極的な態度ではない。それは自分の予想や想像を超えた物語を見せてくれるから「楽しく面白い」のだと書く
或许是因为他是一位需要花费一定时间去面对患者的精神科医生的缘故,春日武彦先生曾撰文反复强调等待的意义,并认为“尽人事,听天命”绝非消极的态度。由于这么做能够让你看到一个超越预估及想象的过程,因此是一种“既有趣又能愉悦情绪”的行为。
20日、出発が遅れた飛行機で、乗り合わせていた歌手の松山千春さんが歌を披露したという。「いらだつでしょうが、みんな苦労していますから待ちましょう」と語りかけながら。思いがけなく訪れた物語は、待ちくたびれた人たちを和ませたことだろう。
20日,起飞延误的飞机上,歌手松山千春一展歌喉,然后说道“我知道大家很着急,但是所有人都不容易,我们耐心的等一会儿吧”。大概是这个意外惊喜,安抚了人们焦急的等待吧。