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木曾地区 长蛇下山
日期:2017-09-02 07:31  点击:610
「夏らしい暑い日だった/一時間程(ほど)白い雨が降った/麓(ふもと)では雨が降りやむ頃(略)南木曽(なぎそ)山の頂(いただき)から蛇抜けが出てきた」。長野県南木曽町を訪ね、先月建てられた石碑を見た。3年前、中学生の命を奪った土石流のすさまじさを伝える 
 
“盛夏酷暑之日/骤降暴雨一小时,极目望去白茫茫一片/就在山下雨停之际,南木曾山顶出现了泥石流宛若长蛇下山”。我来到了长野县南木曾町采访,看到了上月建成的石碑。它告诉我3年前的那场泥石流残酷地夺去了一名中学生的生命。 
 
題を「平成じゃぬけの碑」という。蛇抜けとは聞きなれぬ言葉だが、木曽一帯では危険な土石流を指す。斜面が急なため雨が奔流となって沢を下り、岩や土が村々を押しつぶす 
 
命名为“平成长蛇下山(泥石流)之碑”。所谓长蛇下山是一个很少耳闻的词汇,在木曾一带特指危险性极高的泥石流。由于山体的坡度很陡峭,当雨水奔流直下的时候,往往会穿越水潭滚滚而来,夹带的岩石及土方能将村庄摧毁。 
 
「大蛇が身をうねらせるように沢を駆け下りる。昔は『山抜け』と呼びました」。分厚い町史を開いて堀賢介?町総務課長(58)が話す。大きな蛇抜けは数十年ごとに起き、古くは江戸末期、天保年間に死者99人の記録がある。供養のために建てられた石地蔵を住民はいまも大切に守る 
 
“就像一条翻滚着的大蛇冲破水潭奔流直下,从前称之为‘山漏’”,该町的总务课长堀贤介翻开了厚厚的町史如是说到。特大的长蛇下山几十年一次,早在江户末期天保年间曾创下了死99人的纪录。因为供养之需而建造的石质地藏菩萨即便到了今天仍然受到当地居民的重视和保护。 
 
昭和28(1953)年の被害も激しかった。土石が教員住宅を直撃し、3人が亡くなった。中学生たちが古老から予兆を聞き取り、有志が石碑に刻んだ 
 
发生在昭和28(1953)年的那场灾害特别严重,岩石及土方直接摧毁了教师住宅,造成3人死亡的惨剧。中学生们从老辈人处获悉了预兆的具体现象,并且由关注者将这些内容镌刻在了石碑上。 
 
刻まれた教えは六つ。「白い雨が降るとぬける」。視野が白くかすむ大粒の雨が降ったら注意せよ。直前には火薬臭のような「きな臭い匂いがする」。ぶっきらぼうな箇条書きの行間から生き延びた人々の声が聞こえる 
 
镌刻着的教诲共有六项,例如,“暴雨下成白茫茫一片时极易造成泥石流”。当雨珠特大,视野白花花雾蒙蒙的时候千万提高警觉。泥石流爆发之前会闻到一股火药味,“发出一股焦臭味”。似乎从这些直截了当的条文字里行间听到了那些逃离死神的人们的呼声。 
 
今年も列島各地で雨や水が猛威をふるう。河川の勾配が急なこの国では、鉄砲水や土石流などに備えを怠らず暮らすほかない。大切なのは後の世代が油断せぬよう水の猛威を語り継ぐことだろう。江戸、昭和、平成の蛇抜けの跡を訪ね、先人の警告を胸に書きとめた。 
 
今年全日本都遭受到了雨水的侵袭。由于河道陡峭,人们在日常生活中就要时刻提防水害和泥石流等自然灾害。更重要的是要告诉子孙后代大水无情,切不可掉以轻心。遍访江户、昭和、平成的灾害痕迹,将前人的警告铭记于心。
 

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