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「父の日課」
日期:2017-09-06 09:59  点击:353
「あいつの墓参りを毎日してやれないのは忍びない」、こういうと父はきっぱり我々家族との同居の申し出を断った。「あいつ」とは亡くなった母のことだ。父は早朝5kmのランニングを四十年以上毎日続けている。その道すがら母が眠る霊園に寄り、母の墓碑をきれいにし、手を合わせる日課を欠かさないのだそうだ。
昨年、母は食道がんでこの世を去った。その臨終に立ち会った際、父は母の手をとって跪き、声を漏らさず泣いていた。火葬場の待合で、低い背凭れの椅子に腰掛けた父の背中があまりに小さく見え、私は思わずかける言葉を失ってしまった。長い闘病生活を共に戦った父の思いは、一潮やるせないものだったに違いない。
 
しかし、やはり高齢者の単身生活は何かと不安が多いので、私達夫婦は何度も説得を試みたが結局無駄だった。生来の頑固者である父は、こちらがあれこれと進言するたび、「大袈裟な。年寄り扱いするな」といってヘソを曲げてしまう。
だが、そんな強気な態度とは裏腹に、父も実際は物静かな田舎の一人住まいに一抹の寂しさを感じていることもまた確かなのだろうと思う。里に私の息子達を連れ帰った際、再び孫と離れ離れに暮らさなければならない、あの別れ際に見せる父のせつない表情にそれは毎回はっきりと表れている。傍で息子達もまた同様の顔をしているのだから、彼らの父親である私としても堪らないのである。
 
毎朝、着古した柔道着に袖を通し、ランニングシューズを履いて、交通量の少ない田舎の県道の路肩をヨチヨチと頼りない足取りで走る父の姿はご近所で有名だった。「年の割に立派」だとか「微笑ましい」などと、知り合いから声をかけられるたび、なんだかほの暖かいような照れ臭い気持ちにさせられる。
 
教員だった父は、家庭においても教鞭をとる厳格な態度そのままに、もっぱら躾に厳しい親だった。熱心で遠慮のない父の教育に私はいつしか窮屈さを感じ、やがて進学を口実に地元を離れた。社会に出てからも実家に帰ることは稀だった。しかし結婚が転機となり、二人の息子を授かってからは私にも不束ながら父親としての自覚が芽生え、子供を育てることの難しさや苦労をひとつひとつ身をもって知る毎に、それはそのままあの日の父への共感へと繋がっていった。
果たして私は父のようになれるだろうか。たとえ息子達から疎まれても自分の信念を曲げず、生き様で道理を示していけるような強い人間に。自問してみるが、まだ答えは出ない。私も父親として、男として、ヨチヨチと着実に前進していくしかない。
 
たかが日課、されど日課である。
私達はせめて心残りがないように体力と気力が続く限りは、父の思うようにさせてあげようと心を決めた。同じ家族の一員として、塵一つない母の墓碑を誇らしく思うと同時に、やはり私は父に頭が上がらない。
今日も父は着古した柔道着を着て、人気の少ない道路の端っこをマイペースで走っていることだろう。晴空の下、だんだん遠く小さくなっていく父の後姿に、私は今までにないほど親密で、また愛おしい感情を抱かずにはいられない。
 
長生きしてほしい、と心から願っている。

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